tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『Masato』岩城けい

Masato (集英社文庫)

Masato (集英社文庫)


「スシ!スシ!スシ!」いじめっ子エイダンがまた絡んでくる―。親の仕事の都合でオーストラリアに移った少年・真人。言葉や文化の壁に衝突しては、悔しい思いをする毎日だ。それでも少しずつ自分の居場所を見出し、ある日、感じる。「ぼくは、ここにいてもいいんだ」と。ところがそれは、母親との断絶の始まりだった…。異国での少年と家族の成長を描いた第32回坪田譲治文学賞受賞作。

岩城けいさんのデビュー作『さようなら、オレンジ』も、オーストラリアを舞台に異国に住むことと外国語習得について描いた作品でしたが、今作も同じく。
作者がオーストラリア在住ということで、書きやすい、そして書きたい題材なのでしょう。
前作は大人が主な登場人物でしたが、今回は小学生の男の子が主人公となっており、読みやすさと美しい描写が両立した文章が印象的な物語に仕上がっています。


父のオーストラリア出向に伴い現地校に転校した主人公の真人ですが、最初はクラスメイトや先生が何を言っているのかもよく分からず、自分の言いたいこともろくに言えず、いじめっ子とケンカをしては校長室に呼び出され――と、なかなか溶け込めずに苦労します。
それでも周りの人たちの言っていることをそのままマネしているうちに、英語はぐんぐん上達し、友達ができ、サッカーに夢中になって、自分なりにオーストラリアでの生活を楽しめるようになっていきますが、そうすると今度は日本に帰国してからのことを心配する母親から、日本人向けの補習校に通うことを強制されます。


真人の視点に立って読むと、真人がかわいそうでなりませんでした。
言葉の通じない国に連れてこられて、英語ができるようになれば将来何かと有利だからという理由で現地校に放り込まれて、いじめられて。
帰国子女は外国語が話せていいなぁなどと安易に考えていた時期が私にもありましたが、なんと浅はかな考えだったかと思い知らされます。
自分の意思に反して、親の都合でいきなり外国に住むことになるなんて、いくら適応力が高い子でも大変なことでしょう。
現地語を習得しつつ、もちろん学校で各教科を学び、いつか帰国する日のために日本語力も保ち続けなければならないとなれば、勉強量は相当なものになり、負担が重いであろうことも想像できます。
もちろん、帰国後も意識して勉強を続けなければ、せっかく身につけた現地語の運用能力を維持することはできません。
バイリンガルなどと簡単に言いますが、外国に住めば自動的にバイリンガルになれるというような甘い話ではないのです。
私は外国に住んだ経験も長期の留学経験もない、単なる英語好きですが、語学に近道なしというのは本当だなと改めて思わされました。
それでも成長期の子どもというのはさすがにたくましいもので、自分が本当にやりたいことを見つけ、自分の居場所を自分で決めて前に進んでいく真人の姿を眩しく感じました。


そんなふうに途中までは主人公であり語り手である真人に感情移入していたのですが、真人の教育方針を巡って両親が対立し始めてからは、母親の方の気持ちが気になって仕方ありませんでした。
真人に「お母さんなんか大嫌いだ」とまで言わせてしまうほど、真人の意思を無視するような態度をとるお母さんですが、別に悪意があって息子に嫌がらせをしているわけではなく、お母さんにはお母さんなりの複雑な思いがあるのだということが、真人の視点からも見えてきます。
英語を話せるようになったらいいなと期待を抱いてオーストラリアにやってきても、英語力はちゃんと伸ばす努力をしなければ伸びず、ある程度時間も労力も必要だし、キャリアを捨てて夫についてきたのに、夫は出向期間が終わったら退職してオーストラリアに残って自動車の輸入業をやりたいなどと自分のキャリアのことしか考えていないし、息子は自分が理解できない英語で話し始めるし学年相応の漢字も書けなくなるし、狭い日本人コミュニティ内の人間関係に気を遣うし――で、これはもうお母さんとしてはノイローゼ気味になっても仕方のない状況だなと思うと、なんともいたたまれない気持ちになりました。
もちろんお父さんの方にも言い分はあるでしょうし、海外での仕事で苦労も多いことでしょう。
それでも、旦那さんの仕事の都合で海外へ、あるいは日本の各地へ、引っ越していき新たな生活を始めることを余儀なくされる奥さんは本当に大変だなと思います。
私にそういうことができるかというと、うーん……と考え込んでしまいます。
家族といっても、やりたいことや住みたい場所が全員一致するとは限りません。
そうなった時にどうするか。
真人が自分の希望する道とは違う道を選んだことに、お母さんは傷ついたかもしれませんが、真人の成長を感じたのも確かでしょうし、真人の自立を通じてお母さん自身も自立への岐路に立っているのだろうなと思いました。


外国に住むとは、そこで現地の人と交流するということは、現地の言葉を習得するとはどういうことか、について真正面から切り込んだ意欲的な作品でした。
個人的に関心のあるテーマということもあり、すぐに作品に引き込まれて一気読みでした。
私自身の外国人や外国文化、そして英語との関わり方も顧みることができ、非常に有意義な読書となり満足です。
☆5つ。


●関連過去記事●
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MY BEST BOOKS OF THE YEAR 2017

さあさあ、2017年も最後となりました。
毎年恒例となっております、マイベスト10企画をお送りします。
今年読んだ48作品 (小説のみ) の中で特によかった10作品を読了順でリストアップしています。
作者名は敬称略です。
書名をクリックすると私の感想ページに飛びます。


『旅猫リポート』 有川浩
『空飛ぶタイヤ』 池井戸潤
『冬虫夏草』 梨木香歩
『トオリヌケ キンシ』 加納朋子
『鹿の王』 上橋菜穂子
『Aではない君と』 薬丸岳
『満願』 米澤穂信
『サラバ!』 西加奈子
『神様のカルテ0』 夏川草介
『Masato』 岩城けい


え、リンクが貼られていないタイトルがあるって?
――はい、すみません、『Masato』はつい先日読み終わったばかりで、まだ感想を書けておりません。
とても良い作品だったので、じっくり感想を書いて何日か後にはアップしたいなと思っています。
アップ後にまたリンクを貼りますね。

【2018/1/3 追記】『Masato』の感想記事にリンクを貼りました!


こうして振り返ってみると、今年もミステリからファンタジーまで、バラエティに富んだ読書ができて満足です。
今年初めて読んだ (アンソロジーは除く) 作家さんは、又吉直樹、北川恵海、住野よる東山彰良の4名とちょっと少なめでした。
来年はもっと新しい作家さん、新しいジャンルにも積極的に挑戦していきたいですね。


今年も拙い文章を読んでいただきありがとうございました。
来年もよい本との出会いがたくさんありますように。

『太宰治の辞書』北村薫

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

太宰治の辞書 (創元推理文庫)


みさき書房の編集者として新潮社を訪ねた《私》は新潮文庫の復刻を手に取り、巻末の刊行案内に「ピエルロチ」の名を見つけた。たちまち連想が連想を呼ぶ。卒論のテーマだった芥川と菊池寛、芥川の「舞踏会」を評する江藤淳三島由紀夫……本から本へ、《私》の探求はとどまるところを知らない。太宰が愛用した辞書は何だったのかと遠方にも足を延ばす。そのゆくたてに耳を傾けてくれる噺家。そう、やはり「円紫さんのおかげで、本の旅が続けられる」のだ……。《円紫さんと私》シリーズ最新刊、文庫化。

「円紫さんと私」シリーズのファン待望の最新刊です。
解説を書かれている米澤穂信さんの「まさか、また読めるとは思わなかった――。」という言葉がすべてのファンの思いを代弁してくれていますね。
本当に、まさかの続編刊行に、心躍りました。


前作『朝霧』はもう10年以上前の作品です。
作中の時間が現実の時間と呼応しているわけではありませんが、作中時間もずいぶん進んで、大学を卒業して編集者としての道に足を踏み入れた主人公の「私」は、今作では結婚して中学生の息子もいる立派な「おばさん」になっています。
でも、歳をとっても文学への愛情と謎解きを楽しむ心は全く変わっておらず、その「私」らしさにうれしくなりました。
編集者としても脂がのってきた頃でしょうか、本や文学に関する疑問が湧いてくるとすぐさま動いて調べる「私」には天職ともいえるぴったりの職業で、なんだかうらやましく感じました。
そしてもちろん、人生の経験を重ねて変わった部分もあって、「私」はもはや謎解きに関して円紫さんに頼りっぱなしではありません。
探偵役は円紫さんから「私」に移ったのです。
もちろん円紫さんは「私」にとって変わらず頼りになる師であり、今回もしっかり「私」を導く役目を負っていますが、ふたりの関係性は「私」が大人になったことでより対等なものへと変化しています。
円紫さん自身も大真打ちとなり、自分で謎解きをするよりは一歩引いたところでどっしり構えて「私」を見守る役目が似合うようになっており、降り積もった時の重さを感じて感慨深くなりました。


さて、今回「私」はタイトルにも含まれる太宰治をはじめ、芥川龍之介三島由紀夫といった日本の近代作家についての謎を追いかけ、真相に迫っていきます。
編集者という立場を活かして実在の出版社へ出かけて行って貴重な資料や本を見せてもらったり、文学館に問い合わせの電話をしたり、遠方の図書館へ出かけていったりと、丁寧に資料を追いかけ検証していく様子が描かれていますが、これは『六の宮の姫君』で卒論を書くためにリサーチしていた様子を思い起こさせ、懐かしい気持ちになりました。
もしかしたら「私」自身も懐かしい気持ちになっているのかな、などと想像すると楽しいです。
また、この調査の過程は、多少創作部分が加えられているとしても、大部分は作者の北村さん自身がたどった道のりなのだと思われます。
「私」が主人公の小説でありながら、作者の思考と行動がその裏に透けて見えるのが、他の小説にはない不思議な読み心地でした。
謎解きに主眼を置くミステリというよりは、どちらかというと作者自身の文学論という印象が強く、その点はシリーズの最初の方の作品とは大きく異なります。
それでも「謎を追う」という部分はシリーズを通じて一貫しています。
文学を論じるということは文学にまつわる謎を解くことなんだなと、北村さんに教えてもらったように感じました。


日常の謎ミステリという期待を持って読むと肩すかしですが、とにかく「私」と円紫さんにまた会えたことがうれしかったです。
作中に登場する文学作品や作家についても興味深いエピソードや引用が豊富で、普段あまりなじみのない文学の世界に触れることができ刺激になりました。
ぜひさらなる続編を読みたいです。
☆4つ。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp