tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『3時のアッコちゃん』柚木麻子

3時のアッコちゃん (双葉文庫)

3時のアッコちゃん (双葉文庫)


澤田三智子は高潮物産の契約社員。現在はシャンパンのキャンペーン企画チームに所属しているが、会議が停滞してうまくいかない。そこに現れたのが黒川敦子女史、懐かしのアッコさんだった。会議に出すアフタヌーンティーを用意して三智子の会社に五日間通うと言い出した。不安に思う三智子だったが…!?表題作はじめ、全4編を収録。読めば元気になるビタミン小説、シリーズ第二弾!

威圧的で強引だけれど、面倒見がよく頼り甲斐のあるキャリアウーマン・「アッコさん」こと黒川敦子が、働く女子たちの悩みを解決する短編集『ランチのアッコちゃん』の続編です。
勤めていた教材出版社が倒産した後、「東京ポトフ」という移動式ポトフ販売のお店を立ち上げたアッコさんが、今回も元部下である澤田三智子をはじめとする女子たちを助けています。


表題作「3時のアッコちゃん」では、三智子が所属する部署の会議に毎日アッコさんが現れて、本場英国仕込みのアフタヌーンティーを振る舞うというお話です。
ダージリンやアッサムなどさまざまな紅茶と、それに合うお菓子や軽食が供され、読んでいるだけでおいしそうだし、私もここに混ざりたいなどと思えてきます。
ティータイムを組み込むことで会議の雰囲気が少しずつよくなっていき、下っ端の三智子にも自分の意見を言い、自らが考えた企画を発表する機会が生まれます。
前作ではなんとも頼りなく覇気もなかった三智子が、派遣社員から契約社員に少しステップアップし、成長したところを見せていてうれしくなりました。
もちろんそれはアッコさんのさまざまなアドバイスと叱咤激励のおかげなのですが、自分の頭で考え、勇気を出して発言したのは紛れもなく三智子自身。
彼女の頑張りに拍手を送りたくなる、爽やかな読後感でした。


第2話の「メトロのアッコちゃん」や第4話の「梅田駅アンダーワールド」は過去の自分と主人公の女の子を重ねて読みました。
「メトロ」はブラック企業で疲弊する若い女子社員を、「梅田駅」は就活中の女子大生を描いています。
氷河期世代の私も就職活動には苦労し、なんとかブラックに限りなく近い企業に就職して、数年後激務と精神的疲労に耐えかねて退職したという経験を持っているので、この2話の主人公たちの気持ちは分かりすぎるくらい分かりました。
「メトロ」の方ではアッコさんが地下鉄で通勤する主人公に、通勤ルートを変えてみることを提案するのですが、これには膝を打つ思いでした。
私も地下鉄通勤をしていたことがありますが、駅も電車の中も暗く、朝でも太陽の光が見えないせいか、気分が上がりにくいのです。
特に長時間労働や職場での人間関係などに疲れているときには、そんな暗い場所にいるとどんどん気が滅入ってきて、前向きな気持ちを持つことが難しくなります。
まずそんな状況を変えてみればいい、というアッコさんのアドバイスは的を射ているなと感心しました。
できることならこのアドバイスを過去の私にも読ませたかったくらいです。
「梅田駅」では就活がうまくいかず、慣れない土地で道に迷って雨まで降ってきて――という女子大生の散々な状況に同情し、でも最後は開き直ったかのように前を向く彼女の姿がすがすがしく、エールを送りたくなりました。


実は3話と4話にはアッコさんはほとんど登場しないのですが、それでもなんとなくアッコさんの存在感が感じられる、というのが面白かったです。
この2話は舞台が関西で、神戸の岡本でのイノシシ騒動だとか、「梅田ダンジョン」と呼ばれる複雑怪奇な地下街だとか、関西人の私には舞台となっている場所の空気感までリアルに想像できて余計に楽しめました。
この「アッコちゃん」シリーズは主に若い女性をターゲットにした作品だと思うのですが、若い女性たちを指導する立場のアッコさん側の人にも、物語を楽しみつつ自分の後輩指導の参考にもできそうでおすすめです。
3作目の『幹事のアッコちゃん』もすでに刊行されており、続きを楽しみにしています。
☆4つ。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp

『神様のカルテ0』夏川草介

神様のカルテ0 (小学館文庫)

神様のカルテ0 (小学館文庫)


人は、神様が書いたカルテをそれぞれ持っている。それを書き換えることは、人間にはできない―。信州松本平にある本庄病院は、なぜ「二十四時間、三百六十五日対応」の看板を掲げるようになったのか?(「彼岸過ぎまで」)。夏目漱石を敬愛し、悲しむことの苦手な内科医・栗原一止の学生時代(「有明」)と研修医時代(「神様のカルテ」)、その妻となる榛名の常念岳山行(「冬山記」)を描いた、「神様のカルテ」シリーズ初の短編集。二度の映画化と二度の本屋大賞ノミネートを経て、物語は原点へ。日本中を温かい心にする大ベストセラー最新作!

このシリーズには毎回泣かされているのですが、シリーズ前日譚であり番外編ともいえる本作でもやはり泣かされてしまいました。
短編集ということで読み応えという面で長編には劣るのではないかなどと考えていたのですが、全くそんなことはありませんでした。
むしろ、シリーズ本編ではなかなか書く機会がないだろうと思えるエピソードを拾い上げることでシリーズの世界をさらに広げつつ、「神様のカルテ」というタイトルの意味にも踏み込んで、読後の満足感は本編と比べても全く遜色ありませんでした。


シリーズの前日譚ということで、一止たちおなじみの登場人物のまだ初々しい時代の話が読めるのが、ファンにはうれしいです。
有明」で描かれる、医学生の頃の一止や進藤や砂山の姿がなんだかとても新鮮でした。
医師国家試験に向けて勉学に励みつつ、恋愛や友人関係や進路について思い悩むさまは、本当に普通の大学生という感じで、自分自身の大学時代と重ねあわせて懐かしい気持ちになりました。
私は医学生というと優秀な人たちというイメージを強く持ってしまうのですが、優秀だろうがなんだろうが若者の持つ悩みや迷いは共通だなと思えて、大いに親近感を抱きました。
それにしても、医学生の進藤がかっこよくて素敵です。
恋人である千夏の目線で描かれている部分があるせいかもしれませんが、きっと一止の目にも進藤はかっこいい男として映っているのではないかなという気がしました。
一止の方はというと、「神様のカルテ」で研修医時代のエピソードが描かれており、これがまたよかったです。
当たり前のことですが、医者も最初はみな新人。
年齢のわりに落ち着いた雰囲気の一止も、さすがに研修医時代は医師としてまだまだひよっこで、頼りない部分もありますが、百戦錬磨の指導医や先輩看護師に導かれて、自らの目指す医師像を固め、着実に経験を積んでいく姿を頼もしく思いました。


さらに、本編では脇役である本庄病院の事務長・金山の人となりが掘り下げて描かれている「彼岸過ぎまで」もとてもよかったです。
単にお金にうるさい事務方というのではなく、金山なりに地域病院のありかたをしっかり考えていて、医師のためを思って仕事をしているプロフェッショナルぶりが伝わってきました。
自分の役割を確実に果たし、地域により良い医療を提供することを第一に考えるという点では医師たちと同じ。
医師や看護師といった医療職だけでは病院は成り立たないのだということがよく分かる一編で、シリーズ本編とは異なる切り口を興味深く読みました。
切り口が異なるといえば、「冬山記」もそうですね。
一止と結婚する前の榛名が登場する、ある日の冬山での出来事を描いた一編です。
自然の厳しさの前に人間の弱さが浮き彫りになるようなストーリー展開ですが、同時に人間の持つ強さも印象的に描かれています。
榛名の凛とした強さが美しく、説得力のある言葉ひとつひとつに胸を打たれました。
一止が登場する直前で話が終わっているのがなかなか憎らしいです。


医療を取り巻く厳しい現実についても改めて触れられていますが、そんな中で日々懸命に闘っている人々の姿に勇気づけられるようでした。
「神の手」を持つわけでもなく、「失敗しない」スーパードクターでもない、そんな普通の人たちによってこそ、この国の医療は支えられているのだという事実が胸に迫り、何度も目頭が熱くなりました。
シリーズの続編 (次は「4」でしょうか) への期待がさらに高まります。
☆5つ。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp

『サラバ!』西加奈子

サラバ! 上 (小学館文庫)

サラバ! 上 (小学館文庫)

サラバ! 中 (小学館文庫)

サラバ! 中 (小学館文庫)

サラバ! 下 (小学館文庫)

サラバ! 下 (小学館文庫)


僕はこの世界に左足から登場した―。圷歩は、父の海外赴任先であるイランの病院で生を受けた。その後、父母、そして問題児の姉とともに、イラン革命のために帰国を余儀なくされた歩は、大阪での新生活を始める。幼稚園、小学校で周囲にすぐに溶け込めた歩と違って姉は「ご神木」と呼ばれ、孤立を深めていった。そんな折り、父の新たな赴任先がエジプトに決まる。メイド付きの豪華なマンション住まい。初めてのピラミッド。日本人学校に通うことになった歩は、ある日、ヤコブというエジプト人の少年と出会うことになる。

西加奈子さんの作品を読むのはまだ2作目なのですが、2作目にして早くもこれが当分はベストだろうと思える作品に出会ってしまいました。
もしかしたら、今年読んだすべての本の中でもベストかも……。
それくらい、圧倒的な物語の世界に惹きつけられ、没頭しました。


本作は圷歩 (あくつあゆむ) というライターが書いた自叙伝という体をとった小説です。
ですが、イランで生まれてエジプトと大阪で育つという経歴は、作者の西さん自身の経歴と同じなので、西さん自身の自叙伝でもあるのかもしれません (主人公は男性なので、もちろん西さん自身の半生とは異なる部分も多いのだろうとは思いますが)。
そのため、さすがに作者自身がはっきりとした記憶を持っていると思われるエジプト・カイロの描写にはとてもリアリティがあり、行ったことのない私の脳裏にも、ありありとカイロの風景が浮かんできました。
空港のトイレでの印象的なできごと、メイドさんのいる豪邸での生活、ピラミッドを見に行ったこと、現地の日本人学校の様子などなど、まだ子どもである主人公の目線で見たカイロが生き生きと描かれており、海外に興味のある私にはとても魅力的で、ワクワクしながら読みました。
そして、このカイロで歩はヤコブという少年との運命的な出会いを経験します。
言語の壁を超えて、ふたりは親友となりますが、そのふたりの深い友情と愛情を表す象徴のような言葉として使われるのが、本書のタイトルになっている「サラバ」という言葉です。
単に「さようなら」という意味だけではなく、いろいろな意味を込めてこの言葉を交わしてきたふたりが、歩の帰国に伴う別れの場面で発する「サラバ」は特に胸に響くものがあり、泣かされました。
ここまでが上中下巻のうちの上巻の内容。
全体の3分の1ですでに私はこの物語に圧倒されていました。


そして、中巻以降物語は一気に加速していきます。
容姿に恵まれ、優秀な歩は華々しい青春時代を送ります。
高校でもよい出会いに恵まれ、本や映画や音楽に親しんだことが歩のその後の人生にも影響することになります。
その一方で、幼い頃から変わり者だった歩の姉・貴子は、母親とうまくいかず、学校ではいじめを受け、高校に進学せずほとんど引きこもりになってしまいます。
両親の仲は悪化し、圷家は崩壊状態となりますが、歩はそうした家族の問題から目を背け続けました。
それが問題だったのか、自分の芯のようなものを持てないまま大人になった歩は、30代に入ってからそれまでの成功が嘘のように転落していきます。
そんな歩を救うのが、かつては歩にとって厄介な存在だった姉の貴子だというのが皮肉でもあり、感動的でもありました。
世界各国をめぐり、自分の信じるものを見出した貴子の言葉は、歩にも響いたでしょうが、私にも強く響きました。
この物語は「自らの信じるもの」を探し、見つける物語であり、つまるところそれこそが生きるということなのでしょう。


歩は自分の「信じるもの」を見つけるまでの半生を物語として書き、書くことによって救われます。
多くの本好きが経験するように、物語は読者を救うものでもあります。
私も子どもの頃からたくさんの物語に救われてきたひとりですが、私を救ってくれた物語を書いた人も書くことによって救われていたとしたら、それはなんと素晴らしいことかと胸がいっぱいになりました。
思った以上に骨太で、力強くて、重いものも含んだ物語でしたが、登場人物がみな個性的でユーモアもあって、楽しく読めました。
個人的に、主人公の歩と同じ世代なので、育ってきた時代の空気感が手に取るように分かり、それも感情移入しやすい一因だったと思います。
物語の持つ力に、改めて感じ入った作品でした。
☆5つ。