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『太宰治の辞書』北村薫

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

太宰治の辞書 (創元推理文庫)


みさき書房の編集者として新潮社を訪ねた《私》は新潮文庫の復刻を手に取り、巻末の刊行案内に「ピエルロチ」の名を見つけた。たちまち連想が連想を呼ぶ。卒論のテーマだった芥川と菊池寛、芥川の「舞踏会」を評する江藤淳三島由紀夫……本から本へ、《私》の探求はとどまるところを知らない。太宰が愛用した辞書は何だったのかと遠方にも足を延ばす。そのゆくたてに耳を傾けてくれる噺家。そう、やはり「円紫さんのおかげで、本の旅が続けられる」のだ……。《円紫さんと私》シリーズ最新刊、文庫化。

「円紫さんと私」シリーズのファン待望の最新刊です。
解説を書かれている米澤穂信さんの「まさか、また読めるとは思わなかった――。」という言葉がすべてのファンの思いを代弁してくれていますね。
本当に、まさかの続編刊行に、心躍りました。


前作『朝霧』はもう10年以上前の作品です。
作中の時間が現実の時間と呼応しているわけではありませんが、作中時間もずいぶん進んで、大学を卒業して編集者としての道に足を踏み入れた主人公の「私」は、今作では結婚して中学生の息子もいる立派な「おばさん」になっています。
でも、歳をとっても文学への愛情と謎解きを楽しむ心は全く変わっておらず、その「私」らしさにうれしくなりました。
編集者としても脂がのってきた頃でしょうか、本や文学に関する疑問が湧いてくるとすぐさま動いて調べる「私」には天職ともいえるぴったりの職業で、なんだかうらやましく感じました。
そしてもちろん、人生の経験を重ねて変わった部分もあって、「私」はもはや謎解きに関して円紫さんに頼りっぱなしではありません。
探偵役は円紫さんから「私」に移ったのです。
もちろん円紫さんは「私」にとって変わらず頼りになる師であり、今回もしっかり「私」を導く役目を負っていますが、ふたりの関係性は「私」が大人になったことでより対等なものへと変化しています。
円紫さん自身も大真打ちとなり、自分で謎解きをするよりは一歩引いたところでどっしり構えて「私」を見守る役目が似合うようになっており、降り積もった時の重さを感じて感慨深くなりました。


さて、今回「私」はタイトルにも含まれる太宰治をはじめ、芥川龍之介三島由紀夫といった日本の近代作家についての謎を追いかけ、真相に迫っていきます。
編集者という立場を活かして実在の出版社へ出かけて行って貴重な資料や本を見せてもらったり、文学館に問い合わせの電話をしたり、遠方の図書館へ出かけていったりと、丁寧に資料を追いかけ検証していく様子が描かれていますが、これは『六の宮の姫君』で卒論を書くためにリサーチしていた様子を思い起こさせ、懐かしい気持ちになりました。
もしかしたら「私」自身も懐かしい気持ちになっているのかな、などと想像すると楽しいです。
また、この調査の過程は、多少創作部分が加えられているとしても、大部分は作者の北村さん自身がたどった道のりなのだと思われます。
「私」が主人公の小説でありながら、作者の思考と行動がその裏に透けて見えるのが、他の小説にはない不思議な読み心地でした。
謎解きに主眼を置くミステリというよりは、どちらかというと作者自身の文学論という印象が強く、その点はシリーズの最初の方の作品とは大きく異なります。
それでも「謎を追う」という部分はシリーズを通じて一貫しています。
文学を論じるということは文学にまつわる謎を解くことなんだなと、北村さんに教えてもらったように感じました。


日常の謎ミステリという期待を持って読むと肩すかしですが、とにかく「私」と円紫さんにまた会えたことがうれしかったです。
作中に登場する文学作品や作家についても興味深いエピソードや引用が豊富で、普段あまりなじみのない文学の世界に触れることができ刺激になりました。
ぜひさらなる続編を読みたいです。
☆4つ。


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