tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『朱色の化身』塩田武士


昭和31年、4月。福井・芦原温泉を大火が襲う。
「関西の奥座敷」として賑わった街は、300棟以上が焼失した。
60年後、東京。元新聞記者のライター・大路亨は、失踪した謎の女・辻珠緒の行方を追ううちに、
芦原出身の彼女と大火災の因縁に気づく――。
膨大な取材で時代の歪みを炙り出す、入魂の傑作長編。

『罪の声』の塩田武士さんによる、ジャーナリズム小説ともいうべき作品です。
塩田さん自身が元新聞記者という経歴が存分に活かされており、あるフリーライターの取材の過程が丹念に描かれています。
舞台となる福井県は私にとっては祖父の故郷で現在も親戚が多く住む、なじみのある土地であるということにも興味を持って読んでみました。


元新聞記者で現在はフリーのライターである大路は、同じく元新聞記者の父親から思いも寄らぬ依頼を受けます。
それは大路の祖母・菊代が生前、辻静代という女性の調査を興信所に依頼していたことがわかったのだが、菊代は辻静代の何を知りたかったのかという謎を解きたい、というものでした。
大路は父の思いを汲み、辻静代の孫にあたる辻珠緒という大ヒットゲームの作者の居場所を探ろうとしますが、彼女は勤務先の会社にも「しばらく休む」と告げたまま音信不通となり、行方不明の状態になっていました。
大路は珠緒のゆくえの手がかりを探して彼女の縁者たちに話を聞いていきますが、その取材から徐々に浮かび上がってくるのは、珠緒が送ってきた苦難の人生でした。
会うべき人ひとりひとりに会い、丁寧に話を聞き出し、少しずつ真実に迫っていく大路の取材の様子を読者も一緒になぞるような感覚で読めるため、人々の話を元に核心へ迫っていく面白さも、ある事実をひとつの側面だけから見て判断してしまう怖さも、どちらも味わうことができます。
ぞっとしたのは、大路が早い段階で取材した珠緒の高校時代の恩師について、その後の別の取材相手の話から思わぬ事実が判明すること。
当たり前かもしれませんが人は自分に都合の悪いことは話しません。
あるひとりの話だけで物事を判断してはいけないというのが取材の鉄則であり、それはジャーナリストではない一般の人すべてにとっても、同じことが言えるのではないかと感じました。
テレビや雑誌などでの発言、あるいはSNSでの投稿内容、そうしたものすべてにおいて、誰かひとりの発言だけでその内容に関する善悪や正誤を断じることはできないのです。
物事を多角的に見ることの大切さと難しさを痛感させられます。


そして、大路の取材対象である辻珠緒の苦難も、面白いというと語弊がありますが、物語としてぐいぐい読ませる力を持ったものでした。
珠緒は実父が暴力団員で、家庭には恵まれなかったと言わざるを得ません。
けれども頭がよかった彼女は、努力して京大へ進学し、男女雇用機会均等法施行の第一期生として銀行の総合職に就くことになります。
当時の女性たちを取り巻く環境がどんなに厳しいものだったか、頭ではわかっていても、実際には想像以上だったのだろうなと思わされました。
懸命に学んで努力して、男性に負けない知識とスキルと資格を得ても、女性であることの壁を突破することはできず、家柄でも不利を被った珠緒ですが、だからといって銀行を辞めて老舗の和菓子店の御曹司と結婚し専業主婦になる道を選んでも、結局幸せをつかむことはできなかった彼女の半生が胸に突き刺さります。
性別も家柄も自分では選べないのに、それによって差別され不当な扱いを受ける理不尽。
そのような状況はずいぶん改善され、私も女性であることで損をしたなどとはあまり感じませんが、それがどんなに幸せなことか、過去の人々の苦難の歴史があったからこそ今その幸せを享受できているのだということを、改めて実感しました。
もちろん現代の社会から差別が完全に撤廃されたわけではありません。
だからこそ、冷たく寒々とした珠緒との邂逅を経て、最後に大路が心に深く刻むジャーナリストとしての矜持と決意に、温かいものを感じました。


福井空襲、福井地震、芦原大火と戦中・戦後の福井を相次いで襲った苦難、そして激動の昭和を生きた女性たちの苦難が重なって、なんとも重苦しい雰囲気が終始つきまとう作品です。
それでも、最後の最後に一条の光が射す、希望の物語でもありました。
惜しむらくは登場人物が多く人間関係も複雑で、少々わかりにくさがあったことでしょうか。
読みごたえに関しては期待以上で、じっくり読み込む楽しみを味わえました。
☆4つ。




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