tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

2024年9月の注目文庫化情報


少しずつではありますが、秋の気配が漂ってきました。
もう少し気温が下がれば、快適に読書を楽しめる秋の到来ですね。


さて、夏の豪華文庫化ラインナップがまだ読み切れていない中、9月の新刊がまたまた豪華でうれしい悲鳴です。
特に上橋菜穂子さんの『香君』が楽しみだなぁ……と思ったら、文庫は全4巻で、3巻と4巻はそれぞれ11月と12月に発売とのこと。
早く読みたいのはやまやまですが、2巻までを先に読んでしまうと続きが気になって悶々とすることになるのは必至。
おとなしく全巻が手元にそろうのを待ってから読み始めようと思います。
それまでに読むべき本はたくさんありそうですから、きっと待ち遠しく思う暇もないはず。
いやあ、読書生活の充実ぶりがうれしい限りです。

『夜が明ける』西加奈子


15歳のとき、俺はアキに出会った。191センチの巨体で、フィンランドの異形の俳優にそっくりなアキと俺は、急速に親しくなった。やがてアキは演劇を志し、大学を卒業した俺はテレビ業界に就職した。親を亡くしても、仕事は過酷でも、若い俺たちは希望に満ち溢れていた。それなのに――。この夜は、本当に明けるのだろうか。苛烈すぎる時代に放り出された傷だらけの男二人、その友情と救済の物語。

ひさしぶりの西加奈子作品は、日本社会が抱える問題を俯瞰しつつも真剣に向き合おうという気概が感じられました。
最近はGDPの順位が落ちてきたとはいえ、日本はまだまだ豊かな国のはずなのに、この生きづらさは、この息苦しさはなんだろう?
そんなふうに感じている人すべてに読んでほしい作品です。


「俺」は背が高くて周囲から恐れられていた高校の同級生に、フィンランドの俳優「アキ・マケライネン」に似ていると指摘します。
その日から自分のことを「アキ・マケライネン」と称し、周りからも「アキ」と呼ばれるようになって、人気者になっていく彼と「俺」との友情が始まったのでした。
アキはシングルマザーの母と2人の家庭に育ち、高校生でありながらアルバイトをして家計を支えています。
一方の「俺」こと主人公は大学受験を前に父が突然他界し、その父に借金があったことから、大学には奨学金を得て進学することになります。
アキと主人公、それぞれに事情は異なるものの、学生でありながら働いてお金を稼がなければならない2人の苦境が描かれていくのですが、特にアキの貧困ぶりには胸が痛みました。
母親の職業は明言されていないものの、まともな仕事ではないということが察せられますし、精神的にも不安定で、アキに対する言動は虐待と言っていいものです。
こういう家庭には公的な援助が必要ではないかと思いますが、アキの母親は他人の介入を拒否し、やがて体を壊して亡くなります。
母の死後も正規の職に就いていないアキの苦境は続き、ついにはホームレス状態にまで追い込まれます。
主人公の方は大学を卒業後、テレビ番組の制作会社に正社員として就職できたので、そこまでの貧困ぶりではないものの、奨学金の返済に追われ、激務に疲弊する毎日で、貯金もろくにできないまま心身のバランスを崩していくのでした。


そして主人公が追い詰められるもう一つの要因は、テレビ業界に蔓延するハラスメントです。
仕事の現場で一緒になるテレビ局員からパワハラを受け、オネエタレントからのセクハラに遭い、さらには元女優のベテランタレントから食事に付き合わされたり大量のメールを送ってこられたりするようになります。
けれども主人公はそれらの加害行為に対して抵抗はしません。
特に元女優からされた行為については、「ハラスメント」であるという認識すらありません。
結局心身を壊して仕事を辞めるところまで追い詰められ、後輩女性の森からそれがハラスメントだと指摘されるまで、彼は自分を追い詰めたものの正体を正しく把握できなかったのです。
これは主人公に限った話ではなく、多くの日本人が直面してきた問題だったのではないでしょうか。
女性が加害者に、男性が被害者になるハラスメントがあること、男性もセクハラの被害者になることがあるということ、それらは我慢しなくてもいいし、誰かに助けを求めてもいいのだということ――そうしたことは、これまで決して共通認識ではなかった。
貧困だって、誰かに気軽に助けを求められないということが状況を悪化させているケースも少なくないと思われます。
主人公は父の死の際にあれこれ助けてくれた弁護士から「負けるな」と何度も言われますが、悪意は全くなく単なる応援として発されたこの言葉も、主人公には結果的にプラスには働きませんでした。
そもそも人生は勝ち負けではないし、負けてはいけないと歯を食いしばってどんなつらいことにも理不尽にも耐えるというのは、本当に正しいのか。
深く考えさせられました。


社会にはまだまだ理不尽なことがたくさんあります。
格差が広がり、「自己責任」のような冷たく突き放すような言葉が多用されます。
それでも少しずつ社会は変わっていっている。
弱い立場にある人たちが声をあげられるようになってきたり、ハラスメントへの批判が強くなったり。
少しずつではあっても、社会はきっと生きやすいものに変わっていくのだと、希望を持っていこうと思わせる物語でした。
☆4つ。

『カミサマはそういない』深緑野分


変な予感がするんだ。
扉の向こうで、何か恐ろしいものが、僕を待っている気がして――。
ミステリ、ホラー、SF……さまざまな終末的世界の絶望と、微かな光を描く異色の短編集。この物語に、救いの「カミサマ」はいるのか――。
目を覚ましたら、なぜか無人の遊園地にいた。園内には僕をいじめた奴の死体が転がっている。ここは死後の世界なのだろうか? そこへナイフを持ったピエロが現れ……(「潮風吹いて、ゴンドラ揺れる」)
僕らはこの見張り塔から敵を撃つ。戦争が終わるまで。しかし、人員は減らされ、任務は過酷なものになっていく。そしてある日、味方の民間人への狙撃命令が下され……(「見張り塔」)
など全7編を収録。

7つの短編で構成された、ダークでブラックな味わいの作品集です。
ミステリだったり、ホラーだったり、SFだったり、ファンタジーだったり、とジャンルはバラバラで深緑さんの引き出しの多さを感じさせますが、共通しているのはどの作品でもどこか不穏な空気が漂うというところ。
終末感が漂うディストピア的な舞台もあり、救いのなさを感じさせます。
救いがないといえばタイトルがもう救いがありませんね。
「カミサマ」=神様=救済とみなすなら、「カミサマ」が「そういない」というのはそうそう簡単に救いは訪れませんよ、ということですから。
タイトルが表すとおりの閉塞感のある狭い世界で繰り広げられる、不穏な7つの物語を味わい深く読みました。


「伊藤が消えた」は一軒家で同居していた3人の男たちのイヤミスです。
「女のイヤミスはいっぱいあるけど男のイヤミスはあまりない」というところから着想した作品とのことで、確かに男同士のイヤミスはあまり読んだことがないような気がします。
それはやはり女性同士の関係の方がドロドロしがちということなのでしょうか。
けれども男性同士の関係でもドロドロしないということはないはずです。
では男性がドロドロした関係に陥るとどうなるのか、その答えがこの作品に存分に表れていました。
最初は単に3人の男性のうちひとりが失踪しただけの話かと思わせて、だんだん不穏な色が濃くなっていくことで高まる不安感にぞわりと背筋が寒くなります。


次の「潮風吹いて、ゴンドラ揺れる」は廃遊園地を舞台にしたホラーで、冒頭から死体が出てくるわ不気味なピエロが襲ってきて主人公の少年が殺されそうになるわで、不穏どころの騒ぎではなく非常に怖い話でした。
その凄惨な世界が円環をなしていて抜け出せず、永遠に続くかのような結末も怖すぎます。


ごく短いながら強烈な印象を残す和風怪談「朔日晦日」を挟んで、「見張り塔」は深緑さんお得意のミリタリーミステリです。
主人公が上官から命じられる「特別任務」の内容とその意図、そして戦争の現況についての真実が明らかになると、やはりこれも背筋が寒くなるのですが、そもそも戦争という非日常状態であるという設定がどこか怖さを和らげているところがあるのは、深緑さんの他の作品 (『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』) と共通しています。
戦争そのものが十分に恐ろしいわけですし、人が人を殺すという点では殺人事件も戦争も同じですから。


次の「ストーカーVS盗撮魔」は舞台が現代日本で、リアリティがあるという点で怖い話です。
SNS上で目を付けたユーザーの投稿内容から住んでいる場所や生活パターンなどの個人情報を推測し、その推理が正しいかどうか実際に確かめに行くという、犯罪とまではいかないかもしれないものの、かなり後ろ暗いことをやっている人物が、盗撮魔に遭遇します。
SNSへの投稿内容には気を付けようと思わずにはいられませんでした。


「饑奇譚」はスチームパンク風の世界観で、1年に一度の「"大放出"の日」に理不尽な目に遭った少年の物語。
"大放出"という現象 (?) の詳しい仕組みやどうしてそうなっているのかについてはあまり説明がなく、それは作中の人物たちもよくわかっていないからなのではないかと感じられて、それが不安をかき立てます。
「なんだかよくわからないけどそうなっている」、そしてみんな抗うことなくそれを受け入れている。
こういうことは現実にもあるような気がして、落ち着かない気分にさせられました。


最後の「新しい音楽、海賊ラジオ」は、舞台は陸地のほとんどが海に沈んでしまった終末世界ではあるのですが、収録作の中では唯一明るく希望のある話でした。
音楽好きの少年が新しい音楽を求めて冒険するという筋書きも、他の作品と比べるとずいぶん前向きで、ワクワク感さえあります。
各話の扉ページが他の作品は黒地にタイトル白字なのですが、この作品だけは白地に黒字というのも、そういう理由なのでしょうか。


全体的に不穏で不気味な短編集でしたが、最後に明るい光が感じられる話で締められていてほっと一息つけました。
夏なので少し怖い話が読みたいという人におすすめですが、決して怖いだけではないというのが本作の良さでしょう。
なんといっても、怖い話が得意ではない私でも十分楽しめたのですから。
☆4つ。