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『君が夏を走らせる』瀬尾まいこ

君が夏を走らせる (新潮文庫)

君が夏を走らせる (新潮文庫)


ろくに高校に行かず、かといって夢中になれるものもなく日々をやり過ごしていた大田のもとに、ある日先輩から一本の電話が入った。聞けば一ヵ月ほど、一歳の娘鈴香の子守をしてくれないかという。断り切れず引き受けたが、泣き止まない、ごはんを食べない、小さな鈴香に振り回される金髪少年はやがて―。きっと忘れないよ、ありがとう。二度と戻らぬ記憶に温かい涙あふれるひと夏の奮闘記。

中学生たちが寄せ集めのメンバーで駅伝大会に挑戦する青春小説『あと少し、もう少し』に登場した不良少年、大田君が主人公になって帰ってきました。
本作で大田君が挑戦するのは駅伝ではなく、なんと子守り。
16歳の高校生、もちろん結婚もしておらず子どももいない大田君に突然降ってわいた子守りアルバイトの顛末を描いた物語です。


同じ高校の先輩にあたる中武先輩から、2人目妊娠中の奥さんが切迫早産で入院することになったが会社を休めないので、奥さんが退院するまで上の子ども・鈴香の面倒を見てほしいと頼まれた大田は、断り切れずに夏休みの間毎日先輩の家に通って鈴香とともに1日を過ごすことになります。
鈴香は1歳10か月、片言ながら言葉を話し、活発に動くようになって、かわいい盛りの女の子です。
「ぶんぶー」という言葉で喜びや不満を表現し、自由気ままに動き回り、喜怒哀楽をはっきり表してくるくると表情が変わっていく鈴香の姿が、文章だけなのにありありと頭の中に浮かんできます。
きっと瀬尾さんご自身の育児経験が存分に作品に活かされているのでしょうね。
泣き止まないしごはんも食べない、まったく大人の思い通りにならないという育児の大変な部分もしっかり描かれています。
それでもやっぱり小さな子どもはかわいい。
かわいらしい鈴香の様子に、読んでいるだけで心がほっこり、気持ちがなごみました。


けれども、声を大にして言いたいのは、実は本作で一番かわいいのは大田君だ、ということです。
かわいいというか、もはや「愛おしい」という感情まであふれ出てくるくらいに。
大人でも言うことをきかない子どもにはイライラさせられ、時には何もかも投げ出したくなることもあるだろうと思いますが、大田は困ったり戸惑ったりしながらも真剣に鈴香に向き合います。
なかなかレトルトの幼児食を食べてくれない鈴香に、おいしいものなら食べてくれるのではないかと、子どもの好きそうな味付けの料理を工夫して自分で作って食べさせるところなどはもう感動ものです。
ちゃんと栄養を考えて、鈴香が苦手な野菜も細かく刻んで食べやすいようにして入れるという配慮まで行き届いています。
大人が食べても普通においしそうな料理がいくつか登場し、他人の子どもの鈴香のためにここまでできるなんて!と感心せずにはいられません。
他にもおもちゃで一緒に遊んだり、絵本を読み聞かせたり、公園へ連れて行って他の子のお母さんたちとも仲良くなったり。
単なる子守りバイトというより、やっていることが完全に母親です。
小学生の時から学校をサボったりタバコを吸ったりしていた筋金入りの不良の大田だからこそ、そのギャップに心を撃ち抜かれました。
その一生懸命さはまさしく中学生の時に駅伝大会で走った時のひたむきさそのもの。
鈴香だけではなく先輩やその奥さんのこともきちんと気遣えて、不良なんてとんでもない、なんていい子なんだとすっかり大田に入れ込んでしまったので、アルバイト期間が終わって鈴香との別れがやってくるラストシーンには泣かされました。
約1か月間、毎日を共に過ごして濃密な時間を過ごした大田と鈴香ですが、大田には忘れられない一生ものの思い出になっても、幼い鈴香は大田と過ごした日々のことをずっと覚えていてはくれないでしょう。
けれど、記憶には残らなかったとしても、鈴香の長い人生のほんのわずかな時間に、大田が大きな影響を与えたのは確かです。
そのことがまだ16歳の大田のこれからの人生にも、きっとよい影響となっていくに違いありません。


16歳と1歳10か月がともに過ごし、ともに成長した「ひと夏の思い出」。
それはキラキラと輝く何よりも貴い時間で、駅伝とは違うけれど、これもまた間違いなく青春です。
これからもぐんぐん成長し続けるであろうふたりへの愛おしさに胸がいっぱいになり、真夏の暑い空気の中に清涼な風がさあっと吹き抜けていくような、さわやかな読後感に満たされました。
☆5つ。




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