tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『その扉をたたく音』瀬尾まいこ


ミュージシャンの夢を捨てきれず、親からの仕送りで怠惰に暮らす、29歳無職の宮路。ある日、余興の時間にギターの弾き語りをするために訪れた老人ホーム・そよかぜ荘で、神がかったサックスの音色を耳にする。演奏していたのは年下の介護士・渡部だった。「いた、天才が。あの音はきっと、俺を今いる場所から引っ張り出してくれる」――神様に出会った興奮に突き動かされ、ホームに通うようになった宮路は「ぼんくら」と呼ばれながらも、入居者たちと親しくなっていく。人生の行き止まりで立ちすくんでいる青年と、人生の最終コーナーに差し掛かった大人たちが奏でる感動長編!

瀬尾まいこさんの作品はいつどんな時でも気持ちよく読めるのがいいですね。
疲れている時でもサクッと読めて心を癒してくれます。
今回は高齢者施設が舞台という変化球的な音楽小説です。


宮路は29歳ですが、大学卒業後も就職活動をせず、音楽で食べていきたいという夢を抱いて毎日ギターをかき鳴らすだけの日々を送っています。
アルバイトすらせず無職でも生きていけているのは、実家が裕福で毎月20万円の仕送りをしてくれるから。
正直なところ、なんて恵まれた甘ちゃんなんだ!と思わずにはいられませんでした。
しかし、宮路ももちろん29歳にもなれば、自分に少なくともプロのミュージシャンとしてやっていけるような才能などないことには気づいていて、なんとなくこのままではいけないという気もしているのです。
そんな時にそよかぜ荘という老人ホームのレクリエーションの時間にギター弾き語りをすることになった宮路は、そこで運命の出会いを果たします。
それはそよかぜ荘で介護士として働く年下の青年、渡部。
彼のサックスの音色に心を揺さぶられた宮路は、再び彼の演奏を聴きたいとそよかぜ荘に出入りするようになります。
居住者の高齢者たちに買い物を頼まれたり、ウクレレを弾けるようになりたいおじいさんの講師役を引き受けたりしているうちに、渡部と友達になり一緒にセッションをしようと約束するのですが、もちろん彼らのステージはそよかぜ荘で、聴衆はおじいさんおばあさん。
途中、高齢者相手だからこそのトラブルにも見舞われますが、宮路と渡部のコンビは無事に演奏当日を迎えます。


物語前半こそ、なんて甘ったれているんだとあきれながら読んでいた宮路の印象は、読み進めるにつれてどんどん変わっていきます。
彼は基本的に真面目で、細やかな気配りもしっかりできる人なのです。
そよかぜ荘の住人たちに買い物を頼まれれば、適当に目についたものを買うのではなく、何を買っていけば依頼者にとって一番いいかを自分なりに考えます。
「面白い本」を頼まれた時などは10冊購入して自分で全部読んでセレクトするという、実の子どもや孫でもそこまでしないだろうというマメさを見せます。
いくら無職で暇だからといっても、普段本を読まないという人がなかなかそこまでできるものではないでしょう。
おじいさんからウクレレを弾けるようになりたいと言われた時には、自分も初心者用のウクレレを購入してひととおり弾けるように練習し、おじいさんに合いそうな曲の楽譜も準備していくという、これまたいくらギタリストだからといってもそこまではなかなかやらないだろうという真剣さで見事な講師ぶりです。
宮路は恵まれた家庭で生まれ育った甘ちゃんですが、それだけに育ちはいいのでしょう。
まっすぐ素直に育ってきたのだなあと思わせる人柄が宮路の一番の魅力です。
社会人経験がないだけにまだ子どもっぽい部分が残っているのは否めませんが、それもそよかぜ荘に通い、渡部や高齢者たちと交流していくうちに少しずつ変わっていきます。
何しろ相手が人生の最終段階に差し掛かった高齢者なだけに、若者相手とは勝手が違います。
つらい出来事にも遭遇しながら、やっとたどり着いた渡部のサックスとの共演のステージは、宮路が夢として思い描いていたものとは相当かけ離れていたはずですが、文句ひとつ言うことなくただただ音楽と目の前の聴衆たちに真摯に向き合う宮路の姿に心打たれました。


社会人経験はなくとも、真面目で気が利いて優しい宮路にはきっと合う仕事が見つかるよと、安堵するような応援するような気持ちで心地よい読後感を味わいました。
登場するちょっと懐かしい名曲の数々がそんな物語を優しく彩っています。
ところで、瀬尾まいこさんファンの読者は、「渡部」「サックス」というキーワードにピンとくるものがあるかもしれません。
そう、本作に登場する渡部は、『あと少し、もう少し』に登場する渡部と同一人物です。
『あと少し、もう少し』では吹奏楽部から陸上部に借り出されて駅伝を走っていた渡部が、本作では大人になって介護士として立派に働いているのだから、読者としてはその成長ぶりにも感動しました。
『あと少し、もう少し』のスピンオフとしては『君が夏を走らせる』もあり、これもとてもよかったので、また別の人物が登場する新たなスピンオフが読めるといいなと期待しています。
☆4つ。




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