tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『夏物語』川上未映子


大阪の下町で生まれ小説家を目指し上京した夏子。38歳の頃、自分の子どもに会いたいと思い始める。子どもを産むこと、持つことへの周囲の様々な声。そんな中、精子提供で生まれ、本当の父を探す逢沢と出会い心を寄せていく。生命の意味をめぐる真摯な問いを切ない詩情と泣き笑いの筆致で描く、全世界が認める至高の物語。

本屋大賞にノミネートされるなど国内でも話題になりましたが、翻訳されて海外でも評判になった作品です。
最近は小川洋子さん、多和田葉子さん、川上弘美さん、村田沙耶香さんなど、海外でも高く評価される日本人女性作家が増えていて、なんだかとてもうれしいです。
この中からいずれノーベル文学賞を受賞される方が出てきたらいいな……などと夢想しています。
川上未映子さんの作品についてもいつかは読まなきゃと思いつつなかなか機会がなかったのですが、本作の文庫化で初めてその機会が訪れました。
そして、初めて読んだ川上作品がこの作品で、本当によかったと思いました。


本作が初めてなので当然知らなかったのですが、この作品は川上さんの芥川賞受賞作『乳と卵』を発展的にリライトして第一部とし、さらに第二部を加えて長編としたものなのですね。
主人公で駆け出しの作家である夏子、その姉で大阪でホステスをしている巻子、巻子の娘・緑子という3人の女性を中心に物語が展開します。
第一部では、巻子が豊胸手術を受けたいと言い出すエピソードに、緑子が母である巻子やおばの夏子としゃべるのを拒否し、自分の言いたいことは筆談で伝えるというエピソードが中心に語られます。
そして、第二部では夏子が自分の子どもに会いたいと思うようになり、けれどもパートナーはおらず、いたとしてもセックスができないという問題を抱えているために、非配偶者間人工授精 (AID) で子どもを産むことを考え始めるという話が進んでいきます。
巻子の豊胸手術を受けたいという願いも、緑子の母との会話をしないという問題も、夏子のAIDで出産したいという望みも、共通するのはいずれも女性の身体に関わるということです。
ただ、私も同じ女性ですが、だからといってこの3人に共感できるかというと、そうとは限りません。
思春期に差しかかり、自分が将来子どもを産む体に変わっていくということに戸惑い、嫌悪感を覚える緑子の気持ちはかろうじてわかる気がしましたが、それがなぜ母親としゃべらないということにつながるのかはよくわかりませんでしたし、巻子の豊胸手術や夏子のAIDに至っては、どうしてそう願うのだろう?と疑問しかありませんでした。
胸に関するコンプレックスはわかるにしても、手術してまで自分の理想の胸にしたいとは私は思ったこともありませんし、AIDに関してもパートナー以外の精子を使って妊娠するなんて抵抗があります。
特にAIDは、本作の中でも語られていますが、私も以前AIDで生まれた当事者へのインタビューを読んだことがあり、そこでその人が自分の出自について悩み、苦しんだこと、また「AIDで子どもを産むなんて身勝手だ」と厳しいことを言っていたので、なんとなくあまり道徳的・倫理的にはよくないことなのではないかというイメージを持っていました。


けれども、本作は別にAIDの倫理性を問おうとしているのではありません。
それについて多少語られてはいますが、主題はまったく別のところにあります。
川上さんが書きたかったのは、女性の身体と心を持って生きる、ということそのものなのでしょう。
巻子がなぜ豊胸手術を受けたいのか、緑子はなぜ母と話したくないのか、夏子はなぜAIDで子どもを産みたいのか、いずれも「これこれこうだから」と具体的な説明はされていません。
そこは読者の想像に任されていると捉えることもできるでしょうが、私は、もしかしたら本人たちにも「なぜなのか」の説明はうまくできないのかもしれないなと思いました。
3人の思いは、どれも女性の本能に近い心の動きから生まれたものなのかもしれないと感じたのです。
そもそも、女性はなぜ子どもを産みたいと思うのでしょうか。
「女は子宮で考える」などと揶揄されることがありますが、もしも女が論理だけで考える生き物だったら、子どもは生まれてこなくなるのではないでしょうか?
妊娠出産はお金もかかるし、なのに働くのが難しくなることもあるし、つわりや貧血など身体への影響は当然大きく、出産は痛いし出血が多ければ死ぬこともあり得るし、産後も体力の消耗は激しく体型も変わってしまうという、正直に言ってデメリットだらけです。
それでも多くの女性が子どもを産みたいと願い、実際に産むのはーーこれはもう、理屈で説明できるものではないのだと思います。
あえて理由をつけるならば、「女だから」、でしょうか。
だからといって子どもを欲しくない女性は女ではないとかそういうことではなく、女が子どもを産みたいと思う場合、それは理屈ではないのだ、ということなのです。


夏子がAIDに関して最後の決断をすることになる最後から2つ目の章と最後の章は、胸がいっぱいになって涙がこみあげてくるほどでした。
特に最後の章は圧巻です。
巻子、緑子、夏子の3人の思いや望みには共感できないところもあったのですが、最終的には3人とも間違いなく同じ女性だという仲間意識のようなものを抱くようになっていました。
女性の身体的・心理的側面に強い光を当てた物語です。
男性はこれを読んでどう感じるのか気になりました。
また、夏子たちの大阪弁が大阪人の日常会話での発音をそのまま文字にしたような感じで、同じ大阪人として心地よかったのも大きな魅力でした。
☆5つ。