tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『臨床の砦』夏川草介


小さな病院は命がけでコロナに立ち向った。
神様のカルテ』著者、最新作!
感染症指定医療機関でコロナ禍の最前線に立ち続ける現役医師が自らの経験を克明に綴った記録小説!

神様のカルテ」シリーズの著者、夏川草介さんは現役のお医者さんです。
2020年にコロナ禍が始まってからは、コロナ診療の最前線で闘ってこられました。
この作品は小説という形を取ってはいますが、夏川さんが実際に経験してこられたことを元に書かれています。
それだけに非常に生々しいコロナ診療の最前線の実態が、克明に描かれていました。


長野県の感染症指定医療機関信濃山病院に勤務する内科医、敷島寛治が主人公です。
この病院でのコロナ診療の始まりは、2020年2月にクルーズ船で発生したコロナ患者を受け入れたことでした。
まずこの話にびっくり。
このクルーズ船が停泊していたのは横浜だったと記憶しています。
横浜からはるばる長野まで運ばれた患者さんがいたのですね。
それだけコロナ患者を受け入れる病院が少なかったということなのでしょうが、いきなり知らなかった事実を突きつけられて衝撃を受けました。
その後も作中で繰り返し語られるのは、コロナ患者を受け入れる医療機関が非常に少ないということでした。
なかなか他の医療機関からの協力が得られず、自治体や政府は無関心とも取れるような無策ぶりを見せる中、2020年の年末から2021年1月にかけて、日本は「第3波」と呼ばれるコロナ感染者急増期に突入します。
信濃山病院ももちろん例外ではなく、発熱外来を受診する人が列をなす中、病床は不足し、医師や看護師は疲弊し、コロナ以外の一般診療にも影響が出始め、いわゆる「医療崩壊」の状態になります。
大都市圏ではない長野ですらこんな状況なのですから、東京や大阪などもっと感染者の多い地域の医療現場はどうなっていたのかと、今さらながら背筋が寒くなりました。


当時、SNSなどでも「もっとコロナを診られる病院を増やせ」だとか「医療者のくせにコロナを怖がるな」だとかいった、厳しい論調もありました。
ですが、本作を読めばそう簡単なことではないのだということがわかります。
感染を広げないためには患者をあちこちに散らばせない方がよいのですから、コロナ診療をする病院を単純に増やせばいいというものではありません。
また、医療者だって人間なのですから未知の感染症は怖いに決まっています。
いやむしろ、医療者だからこそ怖かったのではないでしょうか。
主人公の敷島にしても、18年の経験を持つベテランと言っていい医者です。
それなのに、治療法も感染力の強さも後遺症の実態もわからず、18年の経験がまったく通用しないというのは恐怖以外の何物でもないでしょう。
さらには、コロナ感染者だけではなく、コロナ患者を受け入れている医療機関に勤める職員にまで向けられる差別と誹謗中傷。
よくこんな中で逃げずに闘ってくださった、と医療者への感謝の念が自然に湧いてきます。
そういえばコロナ禍初期には医療者への感謝を示そうという呼びかけがあったり、ブルーインパルスの飛行が行われたりといったことがありましたが、最近はそのようなこともなくなってしまいました。
もちろん今はワクチンもありますし、治療法も確立してきて、第3波の時ほど過酷な状況ではないかもしれません。
ですが、感染者が増加すれば医療者への負担が増すという状況は変わっていないのではないでしょうか。
少しずつ日常生活が元に戻ってきている現在ですが、医療への過度な負担を避けるため、引き続き感染対策を確実に実行していかなくてはならないということを、改めて胸に刻みました。


本作は夏川さんの実際の経験を元に書かれていますが、愚痴や批判などは少なく、冷静に第3波における医療機関の混乱ぶりを描いています。
それは、フィクションという形態を取ったからこそ可能だったのでしょう。
作者自身、あとがきで実態はもっと過酷だったということを認めておられます。
第3波の極限状態の中、睡眠時間を削ってまで本作を執筆されていたということですが、「本書を書かなければ、診療を続けることは困難になっていただろう」との言葉に胸を衝かれました。
夏川さんにとって本作の執筆が必要なことだったのと同じように、一般の読者が本作を読むのも必要なことだと思います。
今はまだコロナ禍は終わってはいませんが、それでもいつかは終息する。
けれどまた新たなウイルスの発生によるパンデミックは起こり得る。
その時にこそ、この貴重な記録小説は、きっと大切な示唆と教訓を与えてくれることでしょう。
☆4つ。
なんと本作、この夏に続編も刊行されるとのこと。
敷島の、そして夏川さんの、その後の闘いぶりを読めるのを楽しみにしています。