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『新章 神様のカルテ』夏川草介

新章 神様のカルテ (小学館文庫)

新章 神様のカルテ (小学館文庫)


栗原一止は、信州松本に住む実直にして生真面目な内科医である。「二十四時間、三百六十五日対応」の本庄病院を離れ、最先端の医療を行う信濃大学病院に移り早二年。患者六百人に医者千人が対応する大学病院という世界に戸惑いながらも、敬愛する漱石先生の“真面目とはね、真剣勝負という意味だよ”という言葉を胸に、毎日を乗り切ってきた。だが、自らを頼る二十九歳の女性膵癌患者への治療法をめぐり、局内の実権を握る准教授と衝突してしまう。330万部のベストセラー、大学病院編スタート!特別編「Birthday」も同時収録。

大好きなシリーズ、「神様のカルテ」。
神様のカルテ3』で第一部は完結となり、短編集の『神様のカルテ0』を挟んで、本作から第二部がスタートしました。
第一部と何が変わったかというと、物語の舞台となる一止 (いちと) の勤務先が、市中の一般病院から一止の母校でもある信濃大学の大学病院へと移りました。
最愛の「細君」ことハルとの間には、小春という娘が生まれ、公私ともにますます充実する一止の奮闘が描かれています。


幸いなことに大病も大けがも経験することなく生きてきた私には、大学病院はかなり縁遠い世界です。
それだけに未知の世界をのぞき見するような気分で、興味深く読み始めたのですが、どうやら一止にとっても大学病院は戸惑いや驚きの多い場所だった模様。
一般病院では患者の数に対して医者が圧倒的に足りない状況であることが多いのだと思いますが、大学病院は逆で、大学院生や研修医も含めれば医者の方が患者よりも多いのです。
ならば大学病院に勤務する医者は楽なのかというと、そんなことはまったくないという実態が、本作を読むとよくわかります。
一般病院では対応ができない難しい症例が集まり、大きな組織ならではのいろんなしがらみやルールでがんじがらめになり、大学院生という立場の一止は薄給で医師としてこき使われ自分の研究のために実験を進めながら生活費を稼ぐためアルバイトにも行かなくてはならないという多忙極まりない状況。
かくして一止は、結局シリーズ1作目から変わることなく、自らが置かれた環境の理不尽さと不条理さを嘆きながら日々奔走することになるのです。
それでも本作の一止がかつてなく頼もしく感じられたのは、一般病院で鍛えられた日々の積み重ねがあり、大学病院の最先端医療に触れ、個性派ぞろいの上司や同僚や後輩たちと切磋琢磨し、ハルと小春の笑顔に支えられているからなのでしょう。
激務だけならとっくに潰れているのかもしれませんが、医師としての使命感はもちろん、やりがいも確かにある仕事なのだということが伝わってきます。


そんな一止が今回向き合うことになるのは、29歳の膵がん患者の女性・二木 (ふたつぎ) さんです。
29歳という若さで発見が難しく治療も困難といわれる膵がんのステージIVという情報だけでも、医療の素人の私ですら気持ちが沈んでしまうような、厳しい状況だとわかります。
医療は万能ではないという、このシリーズで繰り返し語られてきた言葉が重くのしかかり、胸が苦しくなりました。
しかもこの患者・二木さんにはまだ幼い娘もいるのです。
完治の見込みがない患者に対して、医者ができることとは何か。
医者というと、検査をして診断をして治療をする人、というイメージですが、一止の二木さんとの向き合い方からは、決してそれだけではないのだということが見えてきます。
患者はもちろん、その家族の心情をも慮り、彼らの言葉に耳を傾け、時に励まし時に叱咤しながら、共に病と闘う、それが医者という職業なのです。
一止が研修医の「お嬢」とコミュニケーション能力について話をする場面がありますが、医者というのはまさに高いコミュニケーション能力が必要とされる職業でしょう。
単に会話がうまいというのではなく、患者にとって何が必要か、何が最善かを見極めて、それを患者とその家族に伝え、納得してもらう力が必要なのです。
病状が悪化しながら入院を拒む二木さんを一止が説得するシーンは、一止の医師としての信念がこもった言葉の力強さに心打たれ、涙なしには読めませんでした。
病気を治すことができないという点で一止には無力感もあったでしょうが、闘病の苦しみの中で二木さんの心が救われていたのは確実で、医者が患者を救うということは何も命を救うことだけを意味するのではないのだということを痛感しました。


今、このコロナ禍において、医療がひっ迫し、医療従事者への負担増という問題がメディアでも大きく取り上げられています。
けれども、コロナ前も医療従事者たちはずっと重い負担と責任を背負い厳しい環境で闘い続けてきて、その闘いはコロナ禍が終息しても続いていくのです。
その当たり前の事実を、眼前に突き付けられたような気がしました。
特に今病気やけがを抱えていなくても、安心して日常生活を送ることができるのは、医療従事者たちの日々の奮闘のおかげだと、自然に感謝の気持ちがわいてきます。
今この時期だからこそ、読めてよかったと心から思いました。
☆5つ。




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