tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『むらさきのスカートの女』今村夏子


「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導し……。ベストセラーとなった芥川賞受賞作。文庫化にあたって各紙誌に執筆した芥川賞受賞記念エッセイを全て収録。

今村夏子さんの作品はいつも怖いというか、どこか不気味でぞわぞわと胸騒ぎがするような物語なのですが、今回もまたそんな印象を抱きました。
怪談でもホラーでもない、それどころか大した事件は起こらない、ごく普通の日常を描いた物語に見せかけて、実はそうではない。
ちょっと背筋が寒くなるような、なんとも嫌な感覚があって、それでも読後感が悪いというわけではないという、絶妙のバランスを堪能できます。


語り手の「わたし」は、ある公園のいつも同じベンチに座っている「むらさきのスカートの女」と友達になりたいと思い、ベンチに求人誌を置いて彼女が自分と同じ職場で働くように仕向けます。
狙い通りに彼女は「わたし」と同じホテルの清掃員として働き始めるのですが、もうこの序盤のあらすじだけでちょっと怖いですね。
読み始めた時には、子どもたちに「むらさきのスカートの女」と呼ばれているその女性が得体の知れない人物のように思われて不気味だったのですが、読み進めていくうちに、不気味なのは「わたし」の方なのではないか、とだんだん印象が変わっていきます。
「わたし」は「むらさきのスカートの女」を常に観察しています。
彼女のことは名前も知らないのに、彼女の生活パターンや就労状況についてはよく知っていて、住んでいる場所も知っている。
これは一体どういうことか?
客観的には描写されない「わたし」の姿を想像してみると、もうそれはストーカーのようにしか思えませんでした。
しかも彼女と友達になりたいというのはいいとして、普通に話しかけるのではなく、彼女が自分と同じ職場で働き出すように画策するというのは、友達になる手段として普通ではないでしょう。
「むらさきのスカートの女」のことをよく知っている、つまり、しょっちゅう「むらさきのスカートの女」の周りをうろちょろしているはずなのに、「むらさきのスカートの女」の方は「わたし」のことをまったく認識していないようなのも不気味です。
物陰に隠れながらこそこそと「むらさきのスカートの女」のことを観察している女、それが「わたし」なのだろうかというイメージが頭に浮かびます。


ところが、さらに読み進めると、ちょっとおかしいのは「わたし」だけではないというのが少しずつ見えてくるのです。
「むらさきのスカートの女」は無事に「わたし」が勤めるホテルに清掃員として採用されますが、彼女の働きぶりは非常にまともなように見えます。
それが、彼女はだんだんホテルの備品を持ち帰ったり、勤務中に客室に鍵をかけて閉じこもったりするようになるのです。
ですが、これは実は他の清掃員たちも密かにやっていることでした。
もちろんそんなことが許される職場があるとは思われません。
非常に離職率が高く常に人員募集中ということが「わたし」によって語られているので、あまりいい職場ではなさそうだという印象を最初から抱いていましたが、読み進めるうちにその印象はどんどん悪い方向へ変わっていきます。
とにかく、清掃員にも管理職にも、まともな人物がひとりも見当たらないのです。
もちろんあくまでも「わたし」の視点で語られている範囲内の話ではあるのですが、やたら観察力のある「わたし」のこと、「まともな人がひとりもいない」というのはもうそのままこの職場の実態なのだろうと解釈せざるを得ません。
犯罪者だとかそういう意味の悪人ではなくとも、善人でもない。
おそらくは一見「普通の人」が持つ「まともではない」側面の気持ち悪さに背筋がぞわりとしました。


本作のすごさはその気持ち悪さを直接的には描かず、「わたし」の視点で見た出来事や会話などから読者に想像させるところです。
「わたし」の一人称視点でありながら、「わたし」の感情があまり伝わってこないのも何やら不気味で、さらに想像力をかきたてられます。
なんともブラックで、それでいてどこかコミカルなところもあり、これは今村夏子さんにしか書き得ない世界としか言いようがありません。
それほど大きな事件が起こるわけでもないのに、強烈な印象を残す物語でした。
☆4つ。