tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『中野のお父さんは謎を解くか』北村薫


運動神経抜群の編集者・田川美希の毎日は、本や小説にまつわる謎に見舞われ忙しい。
松本清張の「封印」作品の真実、
太宰治作品中の意味不明な言葉、
泉鏡花はなぜ徳田秋声を殴ったのか……
そんな時は実家に行き、高校教師にして「本の名探偵」・お父さんの知恵を借りれば親孝行にもなる!?

文芸雑誌編集者の美希が、忙しい日常の中で文学にまつわる謎に遭遇すると、中野にある実家に帰って高校の国語教員である父の助けを乞うという、いわば「文学系日常の謎」 (文学が日常かどうかは人によるでしょうが……) ミステリの第二弾です。
文学に造詣が深く、ご自身も元国語科高校教員である北村薫さんらしい作風で、ファンなら読み逃せないシリーズのひとつへと成長しつつあります。


なんといってもこの「中野のお父さん」の博識ぶりに毎回感心させられます。
博識といっても、分野が文学系に偏っているところはご愛敬。
でも、いくら高校の国語科教員でも、ここまで文学や作家に詳しい人はそうはいないのではないでしょうか。
娘の美希が父親のもとに持ち込む謎は、文学や本についてのものに限られるとはいえ、内容的には多種多様です。
本作でも「怪盗ルパン」シリーズの翻訳者・南洋一郎からはじまって、松本清張太宰治徳田秋声泉鏡花尾崎紅葉の関係、菊池寛に、さらには名作絵本『100万回生きたねこ』まで登場します。
決して純文学ばかりでも、文豪ばかりでもない、というところが本作のよさです。
私もどちらかというと文学には疎くて、有名な作品でも読んでいないものがたくさんあるのですが、それでも自らの読書経験と照らし合わせて懐かしく思ったり、美希やお父さんの意見や感想に共感したり、といった場面がそこかしこに登場します。
もちろん初めて聞くような作家名もたくさん登場していて、一体このお父さんはどれだけの読書量なのかと感心させられる、それもまた本作を読む楽しみです。
しかも美希が謎をぶつけると、あっという間に、そして的確に、その解答やヒントとなる本を自宅の書庫から見つけ出してきて、まるで魔法のように謎を解いてしまう。
尿酸値が気になるお年頃の普通のお父さんでありながら、こと文学や作家や本に関する謎については類まれなる名探偵ぶりを発揮するという、その大きなギャップが魅力です。


収録されている8つの短編のうち、いちばん面白かったのは「火鉢は飛び越えられたのか」でした。
ともに尾崎紅葉を師とするふたり、徳田秋声泉鏡花にまつわる話で、紅葉の死後、徳田秋声が紅葉を批判する言葉を口にしたのに怒った泉鏡花が、ふたりの間にあった火鉢を飛び越えて秋声を殴りつけたという逸話が紹介されます。
さて、この事件は本当に起こったのか?という謎を、美希とお父さんが調べることになります。
作中でも言われているとおり、「火鉢を飛び越えて」というのが面白いです。
こういう動きのある描写は絵になるというか、映像が自然と頭に浮かびますね。
そんなダイナミックなけんかが、後世に名が残るほど著名な作家同士の間で起こったというのもまた興味をかきたてられます。
お父さんはこの事件について書かれていると思われる書物をいくつか探し出し、それらを読み比べて、本当にそんなことがあったのか真相を探るのですが、その過程も非常に知的な探求で楽しいものでした。
当時のことを知っている人はもういない時代になっても、さすがにこのレベルの作家になるとちゃんといろいろなところに記録が残っているもので、「おや?」と思ったら古い資料をあたってみる、という学問の基本的なところを軽視してはいけないなと思わされます。
そして、こうした学問の面白さがそのまま謎解きの面白さにもなるのだという、北村さんの『六の宮の姫君』でも感じた驚きを、ここで再度思い出すことになりました。
さらに、この話を最後まで読むと思わぬ驚きが待っていました。
それは、この徳田秋声泉鏡花のエピソードを紹介する文章が、米澤穂信さんの講演会レポートからの引用だったということ。
まさかここで米澤さんの名前が出てくるとは思わず、北村さんと米澤さんという、私が好きな作家同士の予想外のコラボレーションに胸が熱くなりました。


いやはや今作もたいへん面白く読みました。
文学というとちょっと敷居が高いと感じる人も多いかと思いますが、特に難解ということもなく、北村さんの日常の謎ミステリが存分に楽しめて娯楽性の高い1冊です。
最後には美希に恋の予感……?と思いきや、マイペースな美希のことなので、どう転ぶことやらわかりませんが、シリーズを追いかける楽しみがひとつ増えたことは間違いありません。
☆4つ。




●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp