tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『平場の月』朝倉かすみ


須藤が死んだと聞かされたのは、小学校中学校と同窓の安西からだ。須藤と同じパート先だったウミちゃんから聞いたのだという。青砥は離婚して戻った地元で、再会したときのことを思い出す。検査で行った病院の売店に彼女はいた。中学時代、「太い」感じのする女子だった。五十年生き、二人は再会し、これからの人生にお互いが存在することを感じていた。
第32回山本周五郎賞受賞の大人のリアルな恋愛小説!

ひさしぶりの恋愛小説、そして『田村はまだか』ぶりの朝倉かすみさん。
『田村はまだか』も淡々としていて地味な物語だなと思ったものでしたが、本作も恋愛小説の中では相当地味な話です。
けれども、その地味さが本作においてはいい方向に作用していました。


青砥と須藤という、中学時代の同級生だった50歳の男女が再会し、恋人関係になるという単純明快なストーリーですが、まず驚かされるのは、結末がいきなり冒頭で明示されることです。
上記のあらすじにも書かれているとおり、須藤が亡くなったことを青砥が知る場面から物語は始まります。
結末がわかっているから衝撃が少なく安心して読める……かというとそんなこともなく、行間から立ちのぼる不穏な空気に心をかき乱されます。
青砥と須藤が再会する場所も、病院ですからね。
それでも、病院に患者として行ったのは青砥の方で、のちに亡くなる須藤の方は病院の売店レジに立つ店員で、最初は患者ではなかったのです。
けれども大腸の内視鏡検査を受けることになり、その結果として思わぬ病を宣告される須藤。
病気だとわかったからというだけではないのでしょうが、須藤を支えたい、ともに生きていきたいと思い始める青砥。
ふたりは自然に恋に落ち、恋人というよりは夫婦のようなパートナー関係が始まります。
恋愛には違いないのだけれど、ふたりの恋愛はまったくキラキラしていない。
「大人の恋愛」という言葉で想像するような、エロティックなものでもない。
ふたりの関係は生活臭がプンプン漂う、地に足が着いた「大人の恋愛」なのです。
「愛し合う」というよりは「ともに生活する」という言葉の方が似合っていて、地方都市に住むごく普通の、いやどちらかというと下層を生きる男女の暮らしの現実が、生々しく描き出されていました。


本当に、物語のどこをとってもリアルで現実的なのです。
ふたりのLINEのやり取りも、着ている服や食べているものや、家の間取りや置かれているもの、同僚や同級生との付き合い方も。
青砥に至っては年収まではっきり書かれていますがこれもなんともリアルな数字。
生活水準が生々しく想像できてしまいます。
そこに入り込んでくる恋愛がキラキラしたものにならないのは、これはもう当然というか、なったら困るというか。
毎日必死で仕事をし生活している中年の男女には、キラキラなど邪魔になりかねません。
もちろん恋愛ですからそれなりにときめきはあって、でもこの年齢になると自分の生活をそう大きくは変えられないし、親の老いに加えて、自分自身の老いも重くのしかかってくる。
そうなると、キラキラした恋愛を楽しむ恋人よりは、ともに生活していく運命共同体のようなパートナーがほしくなるというのは、青砥と須藤よりは年下の私にも感覚的にわかる気がしました。
青砥と須藤の恋愛は悲しい結末を迎えることになりますが、青砥が感じた須藤と「深く根を張った」という感覚はきっと本物ですし、須藤側の心情は描かれていないので想像するしかありませんが、須藤の方もきっと青砥と同じ想いを抱いていたはずです。
須藤が言うとおり、50歳という年齢になってそういう相手と出会えるのは奇跡的なことで、須藤はきっとその幸せな思い出を胸に旅立ったはずだと思うと、じんわりと胸にあたたかいものが広がりました。


悲恋の物語であり、残された青砥のさみしさは伝わってくるものの、あまり悲しいという感じはしませんでした。
切なくはあるけれど、日常生活と地続きの恋愛はいい意味で非現実感がなくて、余計な夢や幻想を抱かなくていいという意味でも「いい恋愛」だなという印象です。
キラキラ感も甘さもほとんどないというのが恋愛小説としては一風変わっているのかもしれませんが、こんな恋愛もアリだな、と素直に思える物語でした。
☆4つ。




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