tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

2018年6月の注目文庫化情報


あら、今月はずいぶん豪華なラインナップだなぁと思いましたが、よく考えると夏の文庫フェアが始まるから、ですよね。
今年のノベルティはどんなものがあるのかな、と楽しみにしています。
もちろん一番の楽しみは、面白い本と出会うこと、なのですが。
奥田英朗さんはここのところ毎年家族ものコメディの短編集がこの時期に文庫化されていますね。
これまでに刊行された作品がどれも面白かったので、今年も期待しています。
あとは宮部さん、湊さん、原田さんあたりは購入決定かな。
あとは書店の店頭で見てから考えます。
楽しみ楽しみ。

『真実の10メートル手前』米澤穂信


高校生の心中事件。二人が死んだ場所の名をとって、それは恋累心中と呼ばれた。週刊深層編集部の都留は、フリージャーナリストの太刀洗と合流して取材を開始するが、徐々に事件の有り様に違和感を覚え始める。太刀洗はなにを考えているのか? 滑稽な悲劇、あるいはグロテスクな妄執――己の身に痛みを引き受けながら、それらを直視するジャーナリスト、太刀洗万智の活動記録。「綱渡りの成功例」など粒揃いの六編、第155回直木賞候補作。

米澤穂信さんの初期の長編『さよなら妖精』の登場人物である、太刀洗万智が活躍する短編集です。
米澤さんの作品の中でも『さよなら妖精』が一番と言っていいくらいに好きな私には、たまらない1冊でした。


さよなら妖精』では高校生だった太刀洗ですが、本作では時が経ち、ジャーナリストとなって登場します。
さよなら妖精』で主人公の守屋に残酷な真実を突き付けるという、ある意味作中で一番つらい役目を担った太刀洗が、真実を追求し世間に広く伝える職業を選んだということが、意外なようにも自然なことのようにも感じられました。
本作の中で、太刀洗は記者として6つの事件 (とまではいかないものもありますが) に向き合います。
彼女は常に冷静に、丁寧で綿密な取材を行って真実に迫っていきます。
そうして明らかになる真実は、いずれもなかなかつらいものばかり。
決して楽しいといえるような仕事ではないのですが、それでも彼女がジャーナリストという職業を選んだのは、やはり『さよなら妖精』で描かれた過去のできごとも少しは影響しているのでしょうし、性格的にも合っているような気がします。


収録されている6作のうち、『さよなら妖精』のファンとしてうれしいのは、やはり「ナイフを失われた思い出の中に」でした。
太刀洗が取材する事件自体は『さよなら妖精』に全く関係のないものですが、『さよなら妖精』のある重要な登場人物につながる人物が登場します。
それが単なるファンサービスではなく、物語の主題とタイトルとに密接にかかわるものとしての登場であり、物語ラストのなんともいえない切ない感慨と深い余韻につなげられていることに感銘を受けました。
太刀洗と、外国からやってきた客の心によみがえる「失われた思い出」が読者の心にも同時によみがえる、すばらしい1作でした。
そのほか、「恋累心中」の事件の真相のやりきれなさは胸が悪くなるほどで強烈な印象を残す作品ですが、そんな事件に向き合うことを何度も繰り返してきたのだろう太刀洗のジャーナリストとしての軌跡がうかがえる話でもあります。
また、「名を刻む死」では、最後に主人公の少年に対し、強い調子で冷酷ともいえる言葉を投げかける太刀洗が印象的でした。
「無愛想」と言われるくらいの太刀洗が珍しく感情をあらわにしている場面で、でもそれは多感な少年のためを思ってのことなのだと思うと、太刀洗の人となりが際立つ1作です。
さらに、「綱渡りの成功例」での真実との向き合い方にも、太刀洗らしさは存分に表れているなと思いました。


そうした、ひとつひとつの独立した短編の中で少しずつ丁寧に描き出される太刀洗の人物像に、強く惹かれました。
一人称ではなく、他人の少し引いた視点から描かれているため、太刀洗の内面に踏み込みすぎていないところがよいですね。
直接的には描かれなくても、彼女がジャーナリストとして歩んできた道のりが十分に想像できますし、高校生の頃の面影を残しつつ大人になった彼女の魅力も存分に感じられ、懐かしい旧友に再会したような気分でした。
ミステリとしても、それほど大きな驚きはなくても、十分な意外性をはらんだ話が多く、読み応えがありました。
☆5つ。
うれしいことに、8月には太刀洗が活躍する長編『王とサーカス』も文庫化されるとのことです。
また太刀洗に会えるのが、本当に楽しみです。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp

『スリジエセンター1991』海堂尊


世界的天才外科医・天城雪彦。手術を受けたいなら全財産の半分を差し出せと言い放ち顰蹙も買うが、その手技は敵対する医師をも魅了する。東城大学医学部で部下の世良とともにハートセンターの設立を目指す天城の前に立ちはだかる様々な壁。医療の「革命」を巡るメディカル・エンターテインメントの最高峰!

現在ドラマ「ブラックペアン」が放映中ですが、本作はその「ブラックペアン」シリーズの3作目です。
『ブラックペアン1988』『ブレイズメス1990』と続いたシリーズも、本作で完結を迎えました。
なぜか文庫化されるのに5年もかかりましたが、ドラマ化に合わせてなのかようやくシリーズの結末を読むことができて、とてもうれしいです。


「ブラックペアン」シリーズは研修医の世良雅志を主人公に据え、東城大学医学部付属病院における院内政治や権力闘争を描いています。
桜宮サーガの本編シリーズである「チーム・バチスタ」シリーズの前日譚にあたり、若き日の田口や速水、島津らおなじみのキャラクターが登場するのが楽しいですね。
チーム・バチスタ」では一人前の医者として登場する人物たちの、まだまだ未熟で青臭い医学生や研修医時代の姿が拝めるわけですから。
個人的にはつい最近『スカラムーシュ・ムーン』を読んだばかりなので、東城大病院で心臓外科手術を専門に手掛けるハートセンターの設立という目標に向かって邁進する、在りし日の天城や、まだ学生なのにすでに「スカラムーシュ」の片鱗を見せている彦根の様子が興味深かったです。
さらに、本編シリーズでは病院長になっている高階がまだ講師で、でもしっかり院内政治に関わっているところなんかも面白いですね。
「腹黒いタヌキ」なんて陰口を叩かれている病院長ですが、若き日の高階もやっぱり腹黒い。
それ以上にびっくりしたのが看護婦 (本作の舞台は1991年なのでまだ「看護師」という呼称ではありません) の藤原さん。
チーム・バチスタ」シリーズではすっかり田口先生といいコンビになっているベテラン看護師なのですが、なんと若い頃にはこんなことをやっていたのか……と、ある意味感心させられてしまいました。
実際に医療機関ではこんなふうに医師と看護師が結託して院内政治に関わったりするものなのでしょうか?
総婦長も存在感が医師に負けておらず、ついつい野次馬的な好奇心で病院の権力闘争に興味を持ってしまいました。


院内政治だの権力闘争だのというと、なんだかドロドロした、ブラックなイメージが浮かびますが、確かにドロドロした部分もなくはないものの、それでも読んでいて嫌な感じがしません。
それは、なんだかんだ言って登場人物たちがみな真剣に医療に向き合っているからだと思います。
医師として、患者さんを救いたい、医療を通じて社会に貢献したい、日本の医療をもっとよいものにしたい――そうした思いはおそらく登場する医師たち全員にあるのではないでしょうか。
でも、人によって考え方が違ったり、理想へのアプローチの仕方が違ったりするから、対立するのでしょう。
法外な手術代を要求する天城も、反感も多方面から買いながら、それでも人々を惹きつけてやまないだけの心臓外科医としての技術があって、その技術は確かに患者を救っています。
たとえ敵対する者であっても、その技術に対する敬意は払っていて、だからこそあまり嫌らしい話にならずに済んでいるのではないかと感じました。
その辺りのバランス感覚は、さすが医師が書いた物語だと思います。


最終章の、世良と天城の別れの場面には涙腺をやられました。
こんなふうにして天城は退場していったのかと思うと切なくなりましたが、そこから世良の、一人前の医者としての物語が始まるのだと思うと、なんだか感慨深いものがありました。
速水が「ジェネラル・ルージュ」と呼ばれるようになったきっかけとなった出来事も描かれており、桜宮サーガを少しでもかじった人なら外せない1作といえます。
個人的には本作が桜宮サーガとのお別れになりましたが、非常にすっきりとした気持ちで読み終えることができ、満足です。
またいつかどこかで、東城大病院の面々と再会できることを祈っています。
☆4つ。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp
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