tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『長いお別れ』中島京子

長いお別れ (文春文庫)

長いお別れ (文春文庫)


かつて中学の校長だった東昇平はある日、同窓会に辿り着けず、自宅に戻ってくる。認知症だと診断された彼は、迷い込んだ遊園地で出会った幼い姉妹の相手をしたり、入れ歯を次々と失くしたり。妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに巻き込みながら、病気は少しずつ進行していく。あたたかくて切ない、家族の物語。中央公論文芸賞、日本医療小説大賞、W受賞作。

レイモンド・チャンドラーの作品を連想させる (というかそのものの) タイトルですが、同作品とは特に関係はありません。
本作のタイトルの意味は最終章になってから明かされますが、なるほどと、うなずける意味を持ったタイトルでした。
東昇平という、中学校の国語の先生や校長や地域の図書館長を務めた男性が認知症になり、少しずつその症状が進行していく様子と、妻と3人の娘たちによる介護を描いた作品です。


認知症だとか介護だとか、重いテーマにつながる単語が並んでいますが、暗さや重さは感じさせない、至って読みやすい物語でした。
もちろん、認知症を患う高齢者の介護が大変であることは否定しようがありません。
単にものを忘れっぽくなるという初期段階から、少しずつ他者との意思疎通が難しくなっていき、家族のことさえ誰だか分からなくなり、食事や排せつもひとりでは難しくなっていって……という症状の進行が克明に描かれていて、つらい気持ちになる場面も多かったです。
けれども悲壮感はあまりなく、全体的に明るい雰囲気で、ユーモアも交えた軽快な筆致で書かれているので、思わず笑いそうになるような場面もありました。
個人的に、私の亡き祖母も認知症だったので、共感できる部分も多々ありました。
主人公の昇平は元教員ということもあってか、認知症になってもどこか知的な雰囲気があります。
漢字の読み書きが得意で、孫に感心される場面があるのですが、そういえば元小学校教員だった祖母も、認知症を発症してからも漢字や計算は得意だったなと思い出して、昇平に対して一気に親近感がわきました。
認知症になってもその人らしさは失わないのだということを教えてくれるエピソードで、孫との交流の様子も含めてあたたかみを感じる、お気に入りの場面になりました。


この「認知症になってもその人らしさは失わない」ということは、作品の結末にもつながっています。
老老介護の果てに自分も網膜剥離で入院する妻の曜子が、過酷で時に理不尽なことも多い介護生活を乗り切れたのも、最後まで夫が夫であることには変わりがないという思いがあったからこそなのです。
帯にも引用されている次の曜子の言葉が胸に沁みました。

ええ、夫はわたしのことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?


260ページ 4行目より

自分も病気になって手術を受け、それでも夫の昇平を家で自分が介護して看取るのだという曜子の強い意志に心を動かされ、涙があふれました。
もちろん曜子は大変な思いもしています。
それでもこんなふうに強くいられるのは、やはり長年連れ添った夫との絆があるからでしょうし、愚痴る相手として娘たちも支えになっているに違いありません。
そして、介護ヘルパーやケアマネージャーといったプロの存在の大きさも言うまでもありません。
当たり前かもしれませんが、介護はひとりで成し遂げられるようなものではなく、たくさんの人の力が必要なのです。
いつか私の家族や私自身も介護が必要になるかもしれません。
その時のために、家族間はもちろん、さまざまな人たちと助け合えるような信頼関係を築いていくことが重要なのではないかなと思いました。


介護をしつつ、それぞれ自分の生活も続けていかなければならない大変さについても、他人事ではないという思いを強く抱きました。
誰にでも必ず老いはやってくる。
介護する側になるにしても、介護される側になるにしても、心構えをしておくことは必要だと思います。
本作はその心構えをする一助になる作品だと感じました。
あたたかくて、でもちょっとさみしい、優しい物語でした。
☆5つ。

『億男』川村元気

億男 (文春文庫)

億男 (文春文庫)


「お金と幸せの答えを教えてあげよう」。宝くじで三億円を当てた図書館司書の一男は、大富豪となった親友・九十九のもとを訪ねる。だがその直後、九十九が三億円と共に失踪。ソクラテスドストエフスキー福沢諭吉ビル・ゲイツ。数々の偉人たちの言葉をくぐり抜け、一男のお金をめぐる三十日間の冒険が始まる。

川村元気さんの作品は初めて読みました。
映画のプロデューサーとして活躍している方で、小説家が本業というわけではないという知識はありましたが、そのせいなのか、あまり小説っぽくない小説という印象を受けました。
小説というよりはビジネス書風の寓話という感じでしょうか……いえ、普段ほとんどビジネス書を読まないのでよく分かりませんが。
非常に読みやすい文章でサクサク読めます。


主人公の一男は図書館司書ですが、夜にはパン工場で働いています。
それは肩代わりした弟の3000万円の借金を返すため。
けれどもその借金が原因で、妻は娘を連れて家を出ていってしまいます。
そんな一男がある日福引で当てた宝くじが、なんと3億円の大当たり。
彼は「お金と幸せの答え」を求めて、学生時代の親友・九十九を訪ねますが、3億円の一部を使ってどんちゃん騒ぎをした翌朝、九十九は一男の3億円とともに姿を消します。
一男は九十九と3億円の行方を求めて、九十九のかつての仕事仲間たちを訪ね歩きます。


「お金と幸せの答え」とはまた抽象的というか、明快な答えなどあり得ないのではないかと個人的には感じます。
というのも、何が幸せかは、人によって異なるからです。
一等地の豪邸に住んで、優雅な富豪生活を送ることが幸せという人もいれば、お金など食べていける分だけあればいいから、家族や気の合う友人たちと仲良く楽しく暮らすことが幸せだという人もいることでしょう。
宝くじに当たったらどうするか、誰もが一度は考えてみたことがあるのではないかと思いますが、それにしても何をやりたいかは人それぞれなのではないでしょうか。
豪遊してパーッと使ってしまいたい人もいるでしょうし、堅実に貯金するという人もいるでしょうし、全額どこかに寄付するという人だっているかもしれません。
だから、必ずしもお金で幸せを買えるわけではない。
それでも、お金があれば解決できる問題はたくさんあるし、精神的な余裕を持つことが可能なことも、また事実です。


本作ではさまざまな人物がお金についての私見を一男に披露しますが、私の心にもっとも響いたのは、一男の妻・万佐子の言葉でした。
それは、一男が3億円のお金を得たことで「欲」を失ってしまったという内容でした。

「なぜなら人は、明日を生きるために何かを欲する生き物だから。おいしいものを食べたい、どこかに行きたい、何かが欲しい。そう願うことで、私たちは生きていける」


211ページ 9~10行目より

この万佐子の言葉は本質を突いているのではないかなと思いました。
生きるということは決して楽しいことばかりではなく、大変なことや嫌なこともたくさんありますが、それでも人が時に愚痴をこぼしながらもやるべきことをやりながら生きていくのは、欲を満たすためだというのは確かにその通りです。
やりたいことがなくなれば、生きていく意味もなくなってしまうかもしれません。
大金によってある程度の欲が満たされてしまうと、それはそれで幸せと言えるのかもしれませんが、自分の欲を満たすために懸命に生きている人間の方が、人間らしいと言えるのかもしれないなと思えます。
欲は限りないものでもありますが、もともとあまり大金に縁のない一般庶民が持てる欲などたかが知れています。
3億円を手に入れた一男が、借金を返して、また家族そろって楽しく暮らせたらそれだけでいい、となってしまうのも理解できますし、それは責められるようなことではありませんが、万佐子が欲をなくした一男に魅力を感じなくなってしまうのもまたよく分かるような気がしました。


お金と幸せについて考えさせられる作品でした。
ただ、はじめに書いた通り、小説っぽさはあまりなく、小説的な面白さには欠けていて、その点で不満が残ってしまいました。
いまひとつ作者の言いたいことがはっきりしないために、あまりすっきりしない読後感になってしまったのも残念です。
☆3つ。
本作は秋に映画化されるそうですが、佐藤健さんと高橋一生さんが主演のようです。
どちらかが一男役でどちらかが九十九役なんだろうなとは思いますが、どちらもいまひとつイメージが湧かないというか、もしかすると原作とは設定やストーリー展開を変えるのかなという気もします。
海外での場面もあったりして場面展開は多いのですが、映像化に向いている作品とも思えなかったので、映画がどんな風になるか気になるところです。

2018年5月の注目文庫化情報


すっかり暖かく……を通り越して暑くなってきましたね。
そんな5月の新刊は、「絶対にこれは読む」というほどのものはないかな。
以前よく読んでいた本多孝好さんのお名前を久しぶりに見て、気になってはいます。


それよりも、どうも最近思い通りに読書が進んでおらず、積読本が増える一方です。
まあいっか、と開き直り気味ですが、読みたくないわけではないので、ちょっと読むペースを上げていきたいところです。
また文庫フェアの夏もやってきますしね。
まずはこのGW中に少しでも読書を進めたいと思います。