tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ


52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一匹だけのクジラ。何も届かない、何も届けられない。そのためこの世で一番孤独だと言われている。
自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれる少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれる――。

2021年度の本屋大賞受賞作です。
毒親問題、児童虐待、ヤングケアラー、DV、トランスジェンダーといった重い要素がてんこ盛りなのですが、あまりその重さを感じさせない、暗くなりすぎない物語でサクサク読めました。


物語が重くなりすぎず暗くなりすぎない絶妙なラインを保っているのは、主人公の貴瑚の性格によるところが大きいのではないかと思います。
なんだかサバサバしているというか、吹っ切れているというか。
ですが、貴瑚のそうした側面の裏側には、彼女の壮絶な過去があるのだということが読み進めるにつれてだんだん明らかになっていきます。
子どもの頃は母親による虐待に近い行為を受け、21歳になるとALSを発症し寝たきりになった義父 (継父) の介護を母から押し付けられた貴瑚。
ボロボロになってフラフラと歩いているところに偶然出会った友人の美晴とその同僚のアンさんに助けられ、ようやくまともな20代の女性としての生活を手に入れた貴瑚は、恋愛によって再びボロボロになります。
それをきっかけに大分の、以前祖母が住んでいた海の近くの家に貴瑚が引っ越してきて、その家の修繕をきっかけにした出会いから物語が始まります。
きっと訳ありなんだろうなぁと最初から察しはつくのですが、どう訳ありなのかよくわからないまま読み進め、徐々に明らかになっていく過去にそのたび衝撃を受けました。
若いのに、普通の人の人生の何十倍も濃縮したような、あまりにも重い出来事が多すぎる人生。
それでも貴瑚は美晴によるともともと毒舌キャラでポンポン言葉が出てくるタイプだったそうで、そのためか貴瑚の一人称で語られる物語は全編を通して語り口が湿っぽくないのです。
そのことに救われる思いでした。


そして、そんな貴瑚が出会ったのは、ボサボサの伸ばしっぱなしの長い髪で身なりも清潔ではない少年でした。
言葉をしゃべることができず、名前も不明なため貴瑚はとりあえず少年のことを「52」と呼び始めます。
この少年の背景も、なかなかに重く痛ましい。
貴瑚は、自分を心配して駆けつけてきた美晴とともに、少年を救おうと動き始めます。
美晴とアンさんに助けられてなんとか自分と自分の自由な生活を取り戻した貴瑚が、今度は助けが必要な少年と出会い、助ける側にまわる。
その循環は尊いものですが、ある意味悲しいものでもあります。
少年の境遇を知っている人は地元にいたはずなのに、誰も少年を救おう助けようとせず、よそから来た貴瑚が助けることになるのは本来おかしな話だからです。
地元の高齢者たちの間で貴瑚について根も葉もない噂が立てられるというエピソードが出てきますが、そのことと貴瑚が少年を助けることとを合わせて考えると非常に皮肉な話で、結局地元の人々はよそ者だけでなく地元民のことすらよくわかっていないということなのです。
タイトルの「52ヘルツのクジラ」とは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一頭だけのクジラで、他のクジラとのコミュニケーションが取れないためこの世で一番孤独な存在とされるのだそうですが、ちゃんと言葉でコミュニケーションを取っているはずの人間たちが、他者のことを何も理解していないのは本当に皮肉で、やりきれない思いが湧いてきます。
それでも、美晴とアンさんは言葉はなくとも貴瑚の様子を見てその窮地を察して助け、貴瑚も言葉を発することのできない少年のSOSを感知した。
伝わるときには言葉はなくとも伝わるし、また、言葉がなくとも察することのできる人は存在するのです。


本作に描かれているのはどれも近年社会問題として大きく報道もされている事柄ばかりで、そうした厳しい現実にあって確かな希望のかけらをそっと優しく差し出してくれる物語でした。
言葉にならない声を拾い、思いを受け止め、理解してくれる人はきっといる。
誰ひとり「52ヘルツのクジラ」にしないために、自分も誰かの声に耳を傾け受け止められる人間になりたいと思わせてくれました。
☆4つ。