tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『傲慢と善良』辻村深月


婚約者・坂庭真実が忽然と姿を消した。
その居場所を探すため、西澤架は、彼女の「過去」と向き合うことになる。
生きていく痛みと苦しさ。その先にあるはずの幸せ──。
2018年本屋大賞かがみの孤城』の著者が贈る、圧倒的な"恋愛"小説。

『傲慢と善良』というタイトルを見たとき、「ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』みたいだな」と思ったのですが、これが実はそのまんまでした。
作中で実際にオースティンの『高慢と偏見』に触れられています。
高慢と偏見』は18世紀末から19世紀初頭のイギリスにおける結婚事情を描いた恋愛小説ですが、本作はその21世紀日本版といえるのかもしれません。
婚活アプリで出会った1組の男女の、結婚をめぐる物語が描かれます。


結婚を前提に同棲していた真実 (まみ) と架 (かける)。
ところが、式場も決まり、それまで勤めていた職場を退職した翌日、真実は突然姿を消します。
ストーカー被害に遭っていると話していた真実を心配し、架は彼女の実家がある群馬を訪れて、必死に行方を探ろうとしますが――。
サスペンスのような始まり方の物語は、架と真実の過去をめぐる物語へと徐々に変貌します。
このミステリ的手法を駆使したストーリー展開がいかにも辻村さんらしく、真実の行方がなかなか明らかにならずやきもきさせられる中で、次第に架も知らなかった彼女の姿が浮かび上がってくる、という筋書きにぐいぐい引き込まれました。
物語前半では、主に架の「傲慢さ」について描かれます。
架は真実の前に付き合っていた女性への想いをなかなか吹っ切れずにいましたが、別れた理由は架が結婚に二の足を踏んでいたからです。
女性の「早く結婚して子どもを産みたい」という思いを理解せず、結婚を迫られて「女は怖い」と思ってしまった架。
さらに、婚活を経て真実と出会い付き合い始めてからも、なかなかプロポーズせずまずは同棲から、などと煮え切らない態度の架に、女性読者としてはちょっとイラっとしてしまったのは否めません。


一方で、架から見た真実は「いい子」であると描写されています。
自己主張をあまりせず、駆け引きをするような恋愛テクニックも持ち合わせておらず、素直でおとなしい「いい子」です。
ところが、架が真実の過去を探っていく中で、真実は決して「いい子」であるだけではなかったということも明らかになっていきます。
進学先も就職先も親が決めてくれたところへ素直に進み、結婚相手に関しても母親が勧めた結婚相談所でお見合いをしていた真実は、「いい子」というよりはむしろ「自分がない子」なのでした。
真実が入会していた結婚相談所を営む女性が言う、「現代の男女の結婚を阻む原因は『傲慢と善良』だ」という言葉がとても印象的です。
傲慢さと善良さは対極にあるように見えて、実は表裏一体なのでしょう。
傲慢な人に善良さがないわけではないし、善良だからこそ傲慢になってしまうこともある。
そして、傲慢さも善良さも、誰もが多かれ少なかれ持っている性質なのではないでしょうか。
産む性ではないがゆえに女性が結婚を焦る気持ちを理解できない架は確かに傲慢だと言えますが、妊娠出産にまつわる女性の年齢的限界を男子にも理解させるような性教育はこの国ではあまり行われていませんし、親任せで自分で物事を決められない真実にしても、「親の言うことをよく聞く子=いい子」という考え方は特に地方ではまだまだ根強いと思われます。
そう考えると架のことも真実のことも、あまり責められない。
それどころか、彼らと全く同じ種類のものではなくても、自分にも確かに傲慢さはあるのだとハッと気づかされて痛い気持ちになりました。
恋愛や結婚に関しては特に、自分のことを棚に上げて相手の条件にあれこれ注文をつけがちです。
それはきっと、誰もがそうなのではないでしょうか。


後半は前半とは少しテイストが異なる物語になって少し戸惑いましたが、真実と架が迎えた結末には胸を衝かれます。
婚活アプリで出会ったカップルなので婚活について書かれた小説だと思って読んでいましたが、いや違う、これは紛れもない恋愛小説だ、と思った瞬間、胸がいっぱいになり涙がにじみました。
他にも読みどころがたくさんありますが、ネタバレになりそうであまり触れられないのがつらいところ。
ミステリ的手法を駆使したエンタテインメント性と、現代の恋愛・結婚事情を鮮やかに描き出す写実性とが見事に結びついた、読み応えたっぷりの傑作です。
☆5つ。