tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『祝祭と予感』恩田陸


コンクール入賞者ツアーのはざま、亜夜とマサルとなぜか塵が二人の恩師・綿貫先生の墓参りをする「祝祭と掃苔」。菱沼が課題曲「春と修羅」を作曲するきっかけとなった忘れ得ぬ教え子への追憶「袈裟と鞦韆」。幼い塵と巨匠ホフマンの永遠のような出会い「伝説と予感」ほか全6編。最終ページから読む特別オマケ音楽エッセイ集「響きと灯り」付き。

直木賞本屋大賞をW受賞した傑作『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ短編集です。
蜜蜂と遠雷』の前日譚あり、後日譚ありで、気軽に読める長さの短編に登場人物たちの魅力がギュッと詰まっていました。


亜夜、マサル、塵といった天才ピアニストたちと、その周囲の人たちの物語が6編収録されています。
蜜蜂と遠雷』を夢中で読んだ読者としては、彼らと再び会えたという喜びが大きいですね。
ピアノコンクールを通じて仲良くなった亜夜、マサル、塵の会話をただ読んでいるだけで楽しい気持ちになりました。
3人とも間違いなく天才ですごい人たちなのですが、「祝祭と掃苔」で読める仲の良い友人としての彼らの会話は、ごく普通の若者という感じがして親近感がわきます。
もちろん3人だけではなく、その他の人物たちについても掘り下げて描かれています。
コンクールの審査員だったナサニエルと三枝子のなれそめを描いた「獅子と芍薬」は、少女の頃の三枝子がなかなかかっこよくて、『蜜蜂と遠雷』を読んだときよりも好印象を抱きましたし、「伝説と予感」は非常に短い話ながら、子どもの頃の塵とホフマンとの運命の出会いを鮮やかに描いていて強く印象に残りました。
「竪琴と葦笛」はアメリカに来たばかりの中学生のマサルが、ナサニエルに連れていかれたライブハウスでジャズの魅力を知る話ですが、『蜜蜂と遠雷』で何より感心し魅了された、「音楽を文章で表現する」すごさを再び味わうことができます。
この話に登場するナサニエルの「スモークサーモンとクリームチーズのベーグル・サンドイッチ」のエピソードがまた味のあるいいアクセントでした。


ですが、私のベストは断トツで「袈裟と鞦韆」です。
「鞦韆」という難読漢字は「ブランコ」と読む、という雑学 (?) も身につきました (ちなみにこの漢字、普通に「ぶらんこ」からの変換では出てこないのですが、どうやって出せばよいのでしょうね……)。
この話の主人公は菱沼忠明。
ん?この人誰だったっけな……?と思い出すのに時間がかかるほど『蜜蜂と遠雷』では脇役だった男性ですが、読み進めていくと「あの人か!」と思い出す瞬間が訪れます。
彼は芳ヶ江国際ピアノコンクールの課題曲「春と修羅」の作曲者なのです。
菱沼がどんな人物で、どのような経緯で「春と修羅」を作曲することになったかをこの話で知ることができました。
そして、彼が「春と修羅」という曲に込めた想いも。
個人的に宮沢賢治の『春と修羅』が好きということもあり、この曲については『蜜蜂と遠雷』を読んでいるときも、実際に曲を聴いてみたいという思いを抱いていましたが、この「袈裟と鞦韆」を読んでその思いは一層強くなりました。
小説ではどうあっても音楽を聴くことはできませんが、映画ならこの曲を実際の音として鑑賞できるのかと思うと、映画を観てみなければという気持ちにもなりました。


蜜蜂と遠雷』のファンなら必読、というよりも、『蜜蜂と遠雷』を読んでいることを大前提とした短編集です。
この短編集だけを単独で楽しめるかというと、ちょっとそれは厳しいかなという気がします。
個人的には非常に楽しく読めるスピンオフでしたが、それだけにボリュームという面では物足りなさもありました。
さらに欲を言えば、明石が登場する話も読みたかったな。
巻末に収録されている恩田さんの音楽エッセイは、『蜜蜂と遠雷』の執筆裏話が読めたり、恩田さんの好きな音楽のことが知れたりして、とても興味深く価値ある「おまけ」でした。
☆4つ。




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