tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『蜜蜂と遠雷』恩田陸

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)


近年その覇者が音楽界の寵児となる芳ヶ江国際ピアノコンクール。 自宅に楽器を持たない少年・風間塵16歳。 かつて天才少女としてデビューしながら突然の母の死以来、弾けなくなった栄伝亜夜20歳。 楽器店勤務のサラリーマン・高島明石28歳。 完璧な技術と音楽性の優勝候補マサル19歳。 天才たちによる、競争という名の自らとの闘い。 その火蓋が切られた。

史上初の直木賞本屋大賞のダブル受賞で話題になったベストセラーです。
しかも恩田さんは『夜のピクニック』でも本屋大賞を受賞していて、史上初の複数回受賞をこの作品で成し遂げました。
そんな状況なので読む前からかなりハードルが上がってしまっていたのですが、評価の高い作品というのはやはり面白いなという当たり前のことを、改めて実感させられました。


本作は、芳ヶ江国際ピアノコンクールの第一次予選から第三次予選、そして本選までを、コンテスタントやその友人、審査員などの目線で描いた作品です。
物語としてはとてもシンプル。
ですが、音楽を文章で表すというのは非常に難しいことです。
私もジャンルは違えどライブの感想を時折このブログで書いていますが、音楽を聴いて自分が感じたことや、その音楽がどんなふうに素晴らしかったかを言語化するのに、いつも四苦八苦しています。
そもそも私に音楽の知識が不足しているということもありますが、感情を揺さぶられたということをそのまま書いても、どういう音楽だったのかはなかなか読む人には伝わらないだろうと思いますし、言葉を尽くせば尽くすほど、なんだか違うなと思って結局バッサリ文章を削ることも多々あります。
恩田さんはそこは文章のプロなのですから、きっと鮮やかに音楽を言語化してくれるだろう、なんなら参考にさせてもらおう、などと畏れ多いことを考えながら読み始めましたが、ちょっと真似をするのは難しいかもしれません。
というのも、ピアノが奏でるメロディーや音色から聴き手の脳裏に浮かぶ景色を描写している場面が多くて、これはやはり作家さんならではの想像力がないと書けないだろうなと思ったのです。
もちろん、本当に素晴らしい音楽というのは、そんなふうに聴く者の心に具体的なイメージを浮かび上がらせてくれるものなのかもしれません。
私はクラシックのコンサートをほとんど生で聴いたことがないので、その辺りはよくわからないのですが、風景だけでなく、曲が紡ぐストーリーまでも生き生きと聴き手が想像しているという描写に感心しました。
私もそんな経験をしてみたいと思いましたが、クラシックはもちろん音楽全体に対して素人で、楽譜が読めるわけでもなく耳がよいわけでもない私でも、そんなふうに聴けるものなのかは疑問です。
ピアノが弾けたらいいなと憧れたことは子どもの頃から何度もありましたが、こんなふうにピアノを聴けたらいいなと思ったのは、これが初めてのことでした。


コンテスタントひとりひとりにもそれぞれドラマがあって、そこも面白いです。
むしろ小説の読みどころとしてはそちらのほうが大きいかもしれません。
コンクールで出会い、友人となり、お互いに化学反応を起こしあって進化してゆく若き天才たち。
天才というのはしばしば「変わった人」とも見られがちですが、本作に登場する天才たちも例外ではなく、自分の周りにはいそうもない人たちばかりです。
ですがそれが非現実的な感じはせず、こんな天才、本当にどこかにいるのかもしれない、いやいてほしい、と思わせるところが作者の力量でしょう。
さらに、そういう天才たちの中だからこそ魅力を発揮していると思うのが、コンクールの最年長コンテスタントである明石という男性です。
すでに結婚していて、ピアノで食べているわけではないけれど、努力に努力を重ねて国際コンクール出場の夢をかなえた人。
もちろん才能はあるわけですが、天才というほどではない彼には一番感情移入しやすく、個人的にお気に入りの登場人物となりました。
彼が天才のひとりである亜夜と、初対面なのに一緒に泣いてしまう場面は、読むほうもこみ上げるものがありました。
長い道のりを必死で歩んできた人の物語というのは、ジャンルが音楽であれ何であれ関係なしに、胸を打つものです。
本作はだからこそ多くの人に共感され、評価されたのだろうなと思いました。


終盤、ある人物が「みんな音楽から与えられることばかり考えていて、返してこなかった」と考える場面がありますが、音楽に対して音楽でお礼をすることができる天才たちに、強烈なうらやましさを感じました。
私も音楽からは得るばかりで、これからも何を返せるわけでもないと思いますが、この作品を読んだことで今後はなんだか少し音楽の聴き方が変わってきそうな気がします。
恩田さんの作品は独特のクセがあったり、風呂敷を広げるだけ広げて畳みきれていない (それが必ずしもマイナスというわけではありませんが) という印象を受ける作品も多いですが、本作はそんなこともなく最後まで楽しく読めました。
巻末の、担当編集者さんによる解説、というか執筆裏話も面白くて、しかもちょっと泣けました。
これだけの長編、書き続けるモチベーションを保つのも大変だったと思います。
この作品が、無事に私のもとにも届いたことに、心から感謝します。
☆5つ。