tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『うしろから歩いてくる微笑』樋口有介


鎌倉在住の薬膳研究家、もちろん美女と知り合った柚木草平。高校時代に失踪した同級生の目撃情報が鎌倉周辺で増えているので調べてほしいと、彼女に頼まれる。早速、鎌倉の〈探す会〉事務局を訪ねるが、これといった話は聞けなかった。だがその晩、事務局で応対してくれた女性が殺害されてしまう。急遽、柚木は失踪事件から殺人事件に調査を切り替えたのだが……。月刊EYESの小高直海らおなじみのキャラクターに加え、神奈川県警の女性刑事など今回の事件も美女づくし。円熟にして最後の〈柚木草平シリーズ〉。

元刑事のフリーライター・柚木草平が美女たちに振り回されながら事件の真相に迫っていくハードボイルドシリーズの最新刊です。
残念なことに2021年10月に作者の樋口さんが急逝され、本作がシリーズ最終作となってしまいました。
シリーズが進むごとに円熟味を増して、柚木と美女たちとの関係にも変化が現れ始めて面白くなってきていただけに、未完となってしまったのは非常に残念です。
完結に向けての構想もすでにあったという話ですし、ご本人も無念だったろうと思います。


予定外の最終作となってしまった本作ですが、それだけにノリは変わらずいつもどおりで、それが読者としては少し救われる思いでした。
今回の柚木は、前作『少女の時間』に登場した山代千絵と美早の母娘に紹介された薬膳研究家の藤野真彩 (マヤ) という和風美人に依頼され、10年前に失踪した当時高校生だった大橋明里という人物の行方を追うことになります。
明里を「探す会」の事務局は「鎌倉散歩」というタウン誌の編集部にあり、柚木が編集長であり「探す会」事務局長でもある長峰今朝美に会いに行った矢先、今朝美は他殺体となって発見されました。
さらに、今朝美と不倫関係にあった鎌倉彫の会社社長が自殺しているのが発見され、今朝美との無理心中だったという説が有力になってきますが――。
今朝美がやけに色気のある女性として描かれているので柚木を振り回す美女軍団に加わるのかと思いきや、あっさり殺されて退場し、本命 (?) はマヤの方に。
なぜか柚木が関わる女性はみな美人なのにちょっと変わり者で、マヤも例外ではありません。
女優並みに整った顔をしているのに、部屋着のモンペ姿で電車に乗って住まいの鎌倉から東京へ出てきてしまう人です。
別居中の妻・知子も美人ですが非常に気が強く、テレビで舌鋒鋭いコメンテーターとして人気を博し、今作では選挙に出馬するという話まで出てきているくらいですからやはりちょっと変わっていると言えるかもしれませんし、マヤを紹介した山代母娘も相当な変わり者です。
雑誌編集者の小高直海あたりが一番まともかもしれません。
どうしてこんな変わった美女ばかりと縁があるのか不思議なくらいですが、この「柚木草平」シリーズはだからこそ面白く、女性からも支持を得ているのでしょう。
次はどんな変わった女性が現れるのかと楽しみになりますし、美女に囲まれる柚木がおいしい思いをすることは実は少なく、常に彼女たちの掌の上で踊らされているのが愉快です。
最近の作品ではそこに思春期に突入した娘の加奈子まで加わって、一層女性に振り回され翻弄され続ける柚木の姿を読んでいると、自然と顔がにやけてきてしまいます。


ただ、こうして女性関係については軽妙さが目立つものの、描かれる事件自体は予想外に重いという印象です。
裕福な両親のもとに生まれた大橋明里の失踪事件の真相は、胸が悪くなるようななんとも嫌なものでした。
ですがこのような「嫌なこと」は、事件にはならなくても世の中に実際に存在しているのだろうということは想像がつきます。
だからこそ嫌な気分になりますし、社会問題として取り上げられるべきことなのでしょうが、さまざまな事情を考えると柚木もこの事件を記事にするわけにはいかず、もやもやとした後味の悪さが残る幕引きです。
「人生には泣いても喚いても、どうにもならないことがある。そのどうにもならなさに耐えて生きるのが、人生なんだからさ」という柚木のセリフがずしりと重く胸に響きました。
物語が進むにつれて、意外な人物が意外な形で事件に関わっていることが次々明らかになっていく展開も、程よい緊張感がある上に、知りたくなかった事実に否応なく直面させられる柚木の心境を思うと気持ちが沈みます。
柚木は「永遠の38歳」となっていますが、年齢のわりに渋みがあるというか、人生に対して達観したところがあるのは、シリーズを通してこうした「どうにもならない」事情をはらんだ事件をいくつも目の当たりにしてきたからなのだと、納得するとともに切なくなりました。


関係者として描かれる政治家が明らかに実在の政治家をモデルにしていると思われる点に、多少違和感はありましたが、おおむねいつもの「柚木草平」シリーズとして楽しく読めました。
柚木は結局加奈子をオーストラリアに連れていってカモノハシを見せてやれたのかとか、知子の出馬を阻止できたのかとか、小高直海のお見合いの結果はどうだったのかとか、気になる部分が残ったままシリーズ終了となってしまいましたが、あとは読者がそれぞれ好きなように想像していけばよいのでしょう。
柚木草平はその中で永遠に生き続けるのです。
☆4つ。




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