tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ベルリンは晴れているか』深緑野分


1945年7月、ナチス・ドイツの敗戦で米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が米国製の歯磨き粉に含まれた毒による不審死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、なぜか陽気な泥棒を道連れに彼の甥に訃報を伝えに旅出つ――。圧倒的密度で書かれた歴史ミステリの傑作、待望の文庫化!

終戦後間もないドイツを舞台にしたミステリ小説です。
主人公を含め、登場人物の中に日本人はまったく出てきません。
巻頭の登場人物リストにはずらりと外国人の名前が並び、もしや翻訳小説のようなとっつきにくさがあるのではないか、登場人物の名前が覚えられないのではないかと一瞬危惧しましたが、その不安は読み始めてすぐに霧散しました。
まるで実際に当時のドイツに行って見てきたのではないかと思うような生き生きとしたリアリティあふれる情景描写に、良くも悪くも人間臭い人物描写で、架空の世界だという感じは一切ありませんでした。
この感覚は以前読んだ『スウィングしなけりゃ意味がない』 (本書の参考文献にも挙がっていてうれしくなりました) によく似ており、読みにくさなど一切感じることなく物語に没頭できました。


主人公のアウグステは17歳のドイツ人です。
子どもの頃から英語に興味を持ち、英語の本を読んで勉強していた彼女は、その英語力を生かして終戦後はアメリカ軍の兵員食堂でウェイトレスとして働いています。
ある日、ソ連の軍人からクリストフという音楽家の男性を毒入り歯磨き粉で殺したという疑いをかけられたアウグステは、その軍人の指示により元役者で泥棒のカフカを道連れに、クリストフの妻の甥であるエーリヒに会いに行くことになります。
ミステリとしてはこのクリストフ殺害事件の謎を中心に話が進むのですが、登場する人物たちがみなそれぞれ謎だらけなのが興味を引かれました。
元役者で泥棒のカフカは、アウグステに対して盗みを働いた一方で旅の道連れとして協力的なところもあり、底が知れず何者なのか正体がよくわからない人物です。
アウグステに殺人の疑いをかけたソ連の軍人・ドブリギン大尉は何を考えているのかよくわからず、発言の真意が読みにくいところがあります。
さらには主人公であり物語の語り手でもあるアウグステにも謎の部分があり、危険を冒して生きているかどうかもわからないエーリヒに会いに行こうとするのは自分にかけられた殺人の容疑を晴らすためというよりも、クリストフの訃報をエーリヒに伝えたいからだということにこだわっているのが非常に不思議に感じられました。
それらの謎は絡み合って、やがて意外な、でもこれしかないだろうと納得するしかない真相へとたどり着きます。
複数の謎を追うミステリとしての側面、そして人探しをしながら危険な場所も多いベルリンの街を旅するアウグステとカフカの冒険小説あるいはロードノベルのような側面とをあわせ持つ、極上のエンタメを堪能しました。


ですが、この作品はやはり第二次世界大戦を描いた小説という側面が一番大きいように感じられます。
17歳のアウグステが戦後のベルリンをさまよう本筋とは別に、「幕間」として子どもの頃から、やがて戦争が始まり、最愛の両親を亡くし、終戦を迎えるまでのアウグステの来歴が語られていくのですが、ドイツでナチスが台頭し戦争へ突入するまで、そしてその後起こったことのすべての描写がとてもつらくて心にダメージを受けるのは避けられません。
それでもアウグステがナチスへの不信感や反発心を持っているのが救いでしたが、戦争はそんな彼女をも容赦なく過酷な運命に巻き込んでいきます。
とにかく戦争とは、戦争中はもちろん終わってからも、理不尽極まりないものです。
アウグステが落ち着いた性格で頭もよく、本筋の物語ではすでに働いているということもあり、未成年だということを忘れがちだったのですが、最終盤で改めてまだ17歳の少女だということに言及されて愕然としました。
アウグステがドブリギン大尉から、戦争中にドイツがやったことは「ドイツ人全員の責任だ」という言葉を投げつけられる場面があるのですが、終戦時17歳で戦争が始まる前は当然もっと幼かったアウグステがそんなふうに責められるいわれはどこにあるのか。
そもそもドイツ人全員が悪だったという決めつけは正しいのか。
確かにナチスドイツは到底許されないようなことをした、でもだからといってドイツ人全員に憎しみをぶつけ暴力を振るってもよいのか。
「戦争だから仕方なかった」?
そんな言葉で片付けられるものでも納得できるものでもない、というのは言うまでもありませんが、一方で「戦争だから仕方ないというわけではない」という思いがアウグステ自身の行いに対しても突き付けられるというのがまたつらいのです。
結局、人に対して残酷になれるのは「人でなし」だからなのではなく、むしろ人間だからこそ、なのでしょう。
一方で人に優しくしたり助け合ったりできるのもまた人間らしさ。
そこには人種の違いも国の違いも言語の違いも文化の違いも関係ないはずだし、その光の部分を信じ平和を追求したいという思いを強くしました。


ロシアによるウクライナ侵攻という、現実に戦争が起きている状況で読んだからこそ、物語に感情移入できた面もありました。
作中にもウクライナという国名は何度か出てきますし、ドブリギン大尉をはじめとするロシア人も大勢登場します。
ここで描かれている歴史が今につながっているという実感もあり、今読むべき本を読めた喜びでいっぱいです。
相変わらずの自分の無知には情けなくもなりましたが、少しずつでもまた本を読んで学んでいこうと改めて決意させてくれました。
☆5つ。




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