tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『線は、僕を描く』砥上裕將


「できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ」
家族を失い真っ白い悲しみのなかにいた青山霜介は、バイト先の展示会場で面白い老人と出会う。その人こそ水墨画の巨匠・篠田湖山だった。なぜか湖山に気に入られ、霜介は一方的に内弟子にされてしまう。それに反発する湖山の孫娘・千瑛は、一年後「湖山賞」で霜介と勝負すると宣言。まったくの素人の霜介は、困惑しながらも水墨の道へ踏み出すことになる。第59回メフィスト賞受賞作。

本屋大賞でもキノベスでも上位に入っていたので読みたいと思っていたのに文庫化しているのに気づかず、遅れて本屋で見つけて購入しました。
こういうことがあるからやっぱりオンライン書店よりは実際に並んでいる本の実物を見ることができるリアル書店の方が好きです。
このご時世なのでオンライン書店も利用しますが、オンラインだけだと発売されたのを見逃すことが増えそうな気がします。


さて、青春小説だと思って手に取った本作、読み始めてみたらイメージと全然違っていて、いい意味でびっくりしました。
青春小説というのは間違っていないのですが、私が今まで読んできた青春小説のどれとも似ていない、非常に新鮮さを感じる物語でした。
まず、題材が「水墨画」というのが新しいですね。
水墨画に焦点を当てた小説なんて初めて読みました。
絵画をテーマにした作品は多くあって私もいくつか読んできましたが、絵画の中でもマイナーと言えそうな水墨画をあえて題材にとった理由は何だろう?と思ったら、作者自身が水墨画家なんですね。
それでも自分が水墨画を描いているからといって、それを題材に小説を書こうとはなかなか思わないのではないでしょうか。
絵や音楽など、芸術を文章で伝わるように表現するのは非常に難しく、相当な文章力が必要だと思います。
でも、この作品のすごいところは、私のような水墨画をほとんど鑑賞したことのない人間にも、その魅力を十分に伝えることのできる圧倒的な描写力があるというところです。
単なる絵ではなく、禅の精神と密接に関わりのある奥深さが、普通の大学生である主人公・青山が水墨画を学ぶ過程を通じてよく理解できました。
墨しか使わない白黒の絵なのに、花の鮮やかな色まで表現してしまう水墨画
実物を見てみたい!という気持ちがふつふつと湧いてきます。
これまで水墨画に興味を持ったことなどなかったので、この本を読んだだけで自分の中にそんな気持ちが湧き上がってきたことに驚きました。


水墨画という題材が新鮮で興味深いのはもちろん、青春小説としても面白いからこそ、本作は新人の作品ながら高く評価されたのだと思います。
主人公の青山は交通事故で両親を失い、孤独の中にあって無気力な若者です。
このちょっと陰のある男の子が、ひょんなことから水墨画に出会い、有名な水墨画家に師事することになり、それをきっかけに成長していくという展開はいかにもフィクションっぽいですし、姉弟子の千瑛がものすごい美女だけれどとても気が強いというのもちょっとステレオタイプっぽさが漂います。
けれども、青山のよいところは真面目で素直な努力家というところで、師匠の言うことをよく聞いて出された課題に真摯に向き合い、ひたすら同じ絵を描き続けて水墨画の技法を自分のものにしていく場面などは、絵面としては非常に地味ですが、その地味さに好感が持てました。
こういう地道な努力をいとわない人こそが大成するものですし、人間的にも魅力があって、素直に応援したくなります。
また、恋愛要素も多少あるのですが、安易にラブコメに流れないところもとてもよかったです。
青春小説だけれど派手な場面は少なく、定番といえるようなオーソドックスなストーリー展開や場面描写に頼ることなく最後まで読ませる物語を紡ぐことに成功しています。
青山がどちらかというと落ち着いた静かな雰囲気の人物であるという点も、水墨画の静謐な世界と相性がよく、読んでいて心地のよさを感じました。
さわやかな読後感も青春小説には欠かせないものですが、これも文句なし。
ひとりで水墨画に取り組み、自分と向き合うことで孤独から脱した青山に、拍手を送りたくなりました。


もうひとつ驚いたのは本作がメフィスト賞受賞作だということでしょうか。
どうもミステリ作品の新人賞という印象が強いのですが、実際にはミステリにジャンルを絞っているわけではないのですね。
こんなメフィスト賞作もあるんだと、そういう意味でもとても新鮮な読書でした。
☆4つ。