tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ノースライト』横山秀夫


北からの光線が射しこむ信濃追分のY邸。建築士・青瀬稔の最高傑作である。通じぬ電話に不審を抱き、この邸宅を訪れた青瀬は衝撃を受けた。引き渡し以降、ただの一度も住まれた形跡がないのだ。消息を絶った施主吉野の痕跡を追ううちに、日本を愛したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの存在が浮かび上がってくる。ぶつかりあう魂。ふたつの悲劇。過去からの呼び声。横山秀夫作品史上、最も美しい謎。

2020年度の週刊文春ミステリーベスト10で1位となるなど、各種ミステリランキングで高い評価を得た作品です。
横山秀夫さんは決して著作が多い作家さんではありませんが、その分1作1作に丹念に魂が込められているように感じます。
本作もそんな1冊でした。


ただ、今回はミステリ色は抑えられているように私には感じられました。
どちらかというと人間ドラマに焦点が当てられています。
主人公の青瀬は、大学時代の同級生だった友人・岡嶋の建築事務所で働く雇われ建築士
ある時、吉野という男から「自分が住みたい家を作ってください」という依頼を受け、長野の信濃追分に北からの光、すなわちノースライトが差し込む邸宅・Y邸を設計し、高い評価を受けます。
ところが、引き渡したY邸には誰も住んだ形跡がなく、吉野は家族とともに行方不明になっていました。
青瀬は胸騒ぎを感じて吉野の消息を探り始めます。
この吉野失踪の謎と並行して、青瀬が所属する建築事務所が美術館の建築コンペに参加する話が同時に語られていきます。
吉野家が一家で失踪したのではないかという疑惑もなんとも不気味ですが、コンペの方もハラハラするような展開が待っていて、どちらも気を抜けません。
そんな中で、青瀬自身の生い立ちや家族の話、建築家に強く憧れた中学時代の話から始まる職業人生などが少しずつ語られ、ひとりの建築士の半生が徐々に浮かび上がってきます。
辛酸をなめることになったバブル崩壊を乗り越え、Y邸を手掛けて建築士としての復活を遂げた青瀬の軌跡には、家族をはじめとするさまざまな人が関わっていました。


青瀬自身の物語が興味深いのはもちろん、吉野の消息を追う中で知ることになったドイツ人建築家ブルーノ・タウトのエピソードも、青瀬の友人であり上司でもある岡嶋の話も、どちらも興味をそそられるものでした。
青瀬や岡嶋は作者が創作した人物ですが、ブルーノ・タウトナチスによる迫害から逃れて戦前の日本に滞在し、桂離宮を海外に紹介することとなった実在の人物です。
祖国を追われ、遠く離れた日本でその文化に魅せられたものの、建築設計の仕事がほとんど得られず、政府の招へいに応じてトルコへ移住しそこで没したというタウトの生涯は、バブル崩壊による仕事の激減で苦労をした青瀬や岡嶋たち現代日本建築士たちと重なるところがあります。
私は建築士という職業のことをよく知らず、バブル崩壊建築士の仕事にどれほど多大な影響を与えたかということも知りませんでしたが、それでも建築士がその技能や才能を存分に発揮することができないもどかしさややるせなさを想像することはできました。
そんな苦しい時代を経たからこそ、青瀬はY邸を建てることができたし、岡嶋は美術館のコンペに熱を入れ込むことができたのでしょう。
岡嶋のコンペへの情熱はよくない方向へも作用し、新聞で取り上げられるような事件沙汰になり、それがやがてはひとつの悲劇を生むことになってしまいますが、頭の中に思い描いた情景を紙に描き出しそれを図面に起こし、立体の建築物を造り上げていくという仕事に対する喜びや熱意は、青瀬も岡嶋も、そしてタウトも、まったく同じだったはずです。
時と場所を超えて3人の建築士の生きざまが交錯し、それが吉野失踪の謎解きにもかかわってくる展開に、胸が熱くなりました。


今まで読んできた横山作品とはちょっと毛色が違っていましたが、男性の職業人としての情熱や悲哀を描くうまさは、これまで横山さんの警察小説や『クライマーズ・ハイ』などで読んできたものと同じでした。
建築士という仕事の魅力、そして建築物そのものの魅力にも、心惹かれるものがありました。
静かな筆致でありながら、非常に強い熱のこもった、心を揺さぶる物語です。
☆4つ。