tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』辻真先


昭和12年(1937年)5月、銀座で似顔絵描きをしながら漫画家になる夢を追いかける那珂一兵のもとを、帝国新報(のちの夕刊サン)の女性記者が訪ねてくる。開催中の名古屋汎太平洋平和博覧会の取材に同行して挿絵を描いてほしいというのだ。取材の最中、名古屋にいた女性の足だけが東京で発見されたとの知らせが届く。二都市にまたがる不可解な謎に、那珂少年はどんな推理を巡らせるのか? ミステリ界で話題となった『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』の前日譚が、待望の文庫化!

昨年のミステリランキングで三冠を達成した話題作『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』の前日譚にあたる作品です。
作者の辻真先さんは「鉄腕アトム」「サザエさん」「一休さん」「Dr.スランプ アラレちゃん」「名探偵コナン」など、日本人なら誰でも一度は辻さんが手がけた作品に触れているのではないかというほど多くのアニメ作品の脚本家で、89歳の今でもバリバリの現役という、すごい方です。
ミステリ作家としても多くの作品を刊行されていて、私も大学時代にいくつか読んだのと、牧薩次名義で刊行された『完全恋愛』を読んだことがあります。
探偵小説や娯楽小説をこよなく愛する方という印象で、創作意欲が衰えることなく今も精力的に作品を刊行されていて、しかも高い評価を受けているのですから感心するばかりです。


本作の舞台は昭和12年の銀座と名古屋。
辻さんは昭和12年にはまだ5歳だったはずなので、それほど詳細な記憶が残っているわけでもないのだろうと思いますが、それでも「その時代を実際に生きて知っている」というアドバンテージは大きそうです。
当時の銀座の猥雑な雰囲気、自動車と牛車が行き交う名古屋の大通りの様子、そして東京から名古屋を結ぶ特急・燕号など、すべての景色や物事が生き生きと描かれていて、自分はもちろん生まれていない時代の話なのに、頭の中にありありと風景が浮かんできます。
太平洋戦争は始まる前、軍靴の音は庶民にも聞こえ始めてはいるものの、まだ平和で明るく希望に満ちていた当時の世相も丁寧に描写され、すぐに物語の空気感をつかむことができました。
登場人物もこの時代の雰囲気をまとった個性的な人物ばかり。
主人公の少年絵描き・那珂一平はいわゆる「テツ」 (鉄道オタク) なのですが、この時代としては最先端の趣味の持ち主だったのではないでしょうか。
酒好きのモガであり新聞記者の瑠璃子に、銀座のマッチガール・澪、世界を放浪した趣味人の宗像伯爵、満州の大富豪・崔など、みなこの時代ならではの人物という感じがします。
甘粕正彦のような実在の人物も登場し、ミステリでありながら日本の近代史の一端を切り取った歴史小説の側面もあわせ持つ作品です。


そして、事件の方もこの時代ならではの展開で、謎も真相もこの時代だからこそ成立したと思わせるものでした。
澪の姉で、崔の愛人である杏が両足を切断され、片方の足は犬がくわえて銀座の街を走り、もう一方の足はある怪しげな場所で料理に混入されるという、なんとも凄惨でショッキングな事件は、作中でも「エログロの時代」といわれているような時代であり社会であるからこそ、起こっても不思議ではない事件として読むことができます。
事件の舞台が銀座と、名古屋汎太平洋平和博覧会という当時実際に開催された近代的で華やかな催しとの2つの場所をまたがっているのも、特急燕号が走っていた当時の状況をうまく利用した舞台設定です。
趣味人の宗像伯爵が博覧会会場の隣に建てた「慈王羅馬 (じおらま) 館」も、現代人から見れば「悪趣味」とも捉えられそうな、さまざまな仕掛けやエログロを詰め込んだ面妖な建物で、本格ミステリによく登場するギミックだらけの奇妙な館が、この時代だからこそ違和感なく自然に物語になじんでいました。
そういう奇妙で、現代の感覚からするとちょっと非現実的な事件でありながら、その結末はなんとも切なく叙情的で、それでいてやはりこの時代ならではの動機であるという、最後まで徹底して「昭和12年」という時代設定にこだわっている点が本作の個性を際立たせています。
軍国少年である那珂少年が、事件を通して「五族協和」「内鮮一体」といった当時のスローガンの裏にある実情と空虚さを知っていく過程も、事件の解決後に登場人物たちそれぞれがたどる運命も、時代背景を見事に反映して非常に感慨深く、またこの国がたどった歴史について考えさせられるものでした。


正統派のトリックが楽しめるミステリとしても、昭和12年の日本を知ることのできる物語としても、大いに読み応えのある作品でした。
まさに辻真先さんだから書けた、辻真先さんにしか書けない、稀有な小説です。
続編の『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』も早く読みたくなりました。
☆4つ。