tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ホワイトラビット』伊坂幸太郎

ホワイトラビット (新潮文庫)

ホワイトラビット (新潮文庫)


兎田孝則は焦っていた。新妻が誘拐され、今にも殺されそうで、だから銃を持った。母子は怯えていた。眼前に銃を突き付けられ、自由を奪われ、さらに家族には秘密があった。連鎖は止まらない。ある男は夜空のオリオン座の神秘を語り、警察は特殊部隊SITを突入させる。軽やかに、鮮やかに。「白兎事件」は加速する。誰も知らない結末に向けて。驚きとスリルに満ちた、伊坂マジックの最先端!

伊坂さんの作品には社会派の寓話的な物語もありますが、本作は難しいことを考えずに頭を空っぽにして楽しめるエンタメ作です。
とはいえ、本当に何も考えずに読んでいると、「えっ、何それ、どういうこと!?」と混乱してしまうこと必至。
そんな、作者の掌の上で踊らされている感じが楽しい作品です。


伊坂さんの他の作品と同様、本作も舞台は仙台です。
そして、伊坂さんの作品にちょくちょく登場していてファンにはおなじみのキャラとなっている空き巣の黒澤が、本作でも登場します。
しかも今回はかなり重要な役どころで、ほとんど主役と言ってもいいくらいの活躍ぶりです。
黒澤ファン (?) にとってはうれしいところですが、黒澤自身としては別に好きで活躍しているわけではなく、成り行きで厄介ごとに巻き込まれて仕方なく、というのがなんとも黒澤らしくてうれしくなってしまいました。
もちろん、黒澤以外の登場人物たちもみな個性豊かで、彼らの会話に時々クスッと笑いながら、それでも事件はなかなか物騒で笑えない感じなのがこれまた「ザ・伊坂ワールド」です。
メインの事件は人質を取っての立てこもり事件なのですが、その裏では実は誘拐事件が起こっており、立てこもり事件の犯人は新婚の愛妻を誘拐されていて犯人からある人物を探し出せと脅迫されている、という少し複雑な構図になっています。
2つの事件が同時進行している都合上、場所や視点人物、場合によっては時系列までが目まぐるしく入れ替わるので、状況を把握するのがなかなか大変ですが、ハラハラさせられる場面も多いため、先が気になってどんどん読み進められます。
やがて明らかになる事件の真相、そしてその先の結末は、ふんだんにばらまかれた伏線をきれいに回収するもので、ミステリの面白さを十分に味わえるものでした。


少し話がそれますが、本作の特徴として、本文にやたらと「作者の視点」が登場するということが挙げられます。
「神の視点」で書かれた小説というのはよくありますが、それとはまた違って、読者に向かって語りかけるような文が地の文にたびたび登場するのです。
これは作中で登場人物が説明しているとおり、『レ・ミゼラブル』の文体をまねたものですが、文学的な香りとともにユーモアが感じられます。
文体のみならず、『レ・ミゼラブル』の登場人物やエピソードの一部などさまざまなモチーフも登場しており、読んだことがある人はもちろん、映画やミュージカルで物語を知っているという人も、伊坂ワールドと『レ・ミゼラブル』との意外なコラボレーションを楽しむことができるでしょう。
ところが、そういうお楽しみ部分にも抜かりなく仕掛けが仕込まれているのだから油断なりません。
ユーモアにあふれた文体を楽しみつつ読んでいたら、ある場面でいきなり「読者が見抜いていたように」と作者の視点で言われて、「ええええっ!!?」と驚くことになってしまいました。
この場面で作者の視点が言う通り「見抜いていた」読者は一体どれくらいいるのでしょうか。
少なくとも私は全く見抜けなかったどころか、作者のミスリードにまんまと引っかかっていました。
騙されて悔しい、けれどそれが快感にも似て気持ちいい。
それが伊坂ミステリです。


レ・ミゼラブル』、そして「オリオオリオ」なる人物が語るオリオン座にまつわる蘊蓄といった、一見事件とは何の関係もなさそうなモチーフを、序盤から種明かし、クライマックスに至るまで巧妙に物語に絡めていく手腕がさすが伊坂さんだなぁと感心しきりでした。
ミステリとしては最終的に明らかになる物語の構造が少々複雑でわかりにくいのが難点といえば難点ですが、丁寧に仕掛けられたミスリードによって巧く騙された!という快感を味わうことができるのは確かです。
暴力的で悪の印象しかない嫌な登場人物が、最後にはきちんと報いを受けるという点でも、すっきり気持ちよく読み終えられる物語でした。
☆4つ。