tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『壁の男』貫井徳郎

壁の男 (文春文庫)

壁の男 (文春文庫)


北関東の小さな集落で、家々の壁に描かれた、子供の落書きのような奇妙な絵。決して上手いとは言えないものの、その色彩の鮮やかさと力強さが訴えかけてくる。
そんな絵を描き続ける男、伊苅にノンフィクションライターの「私」は取材を試みるが、寡黙な彼はほとんど何も語ろうとしない。
彼はなぜ絵を描き続けるのか――。
だが周辺を取材するうちに、絵に隠された真実と、孤独な男の半生が次第に明らかになっていく。

貫井さんらしい、淡々とした、それでいて独特の雰囲気を持つ作品です。
謎解きを主眼とするミステリではないものの、読み進むにつれ少しずつ真実が明かされていく展開は、確かにミステリの手法だといえます。
途中までどういう方向へ物語が向かっていくのか予想がつかず、好奇心と少しの不安感で、どんどん読まされました。


主人公は伊苅という地方の小さな町に住む男性です。
自宅で塾を開いていたものの、少子化の影響で教える子どもがいなくなり、便利屋に転身した彼が、いつの頃からか壁に絵を描き始めるようになります。
最初は塾の教室の壁に、そして自宅の壁に、さらには外壁に――と少しずつ範囲を広げていった彼の絵は、やがて近隣の住民からも望まれて家々や店の外壁にも描かれるようになり、それがSNSとテレビ番組で取り上げられて話題になり、見物客がやってくるようになりました。
そんな伊苅の絵に興味を抱いたあるノンフィクションライターは、彼が絵を描く理由を知りたいと取材を始めます。


伊苅が描く絵は、単純な線に原色で塗りつぶしたもので、決して上手ではなくむしろ子どもの落書きレベルの稚拙なものです。
それでも近隣の住民たちが「うちの家の壁にも描いてほしい」と頼んできて、よそから見物人が来るほどなのですから、うまくはなくともどこか味がある絵なんだろうなぁとイメージを思い浮かべながら読みました。
でも、伊苅がなぜ絵を描くのか、その理由についてはなかなか想像ができませんでした。
一体何があれば、またどんな心理状況にあれば、家の外壁に絵を描きたいなどと思うのか?
物語は伊苅の過去をさかのぼっていきます。
娘を病気で失ったこと、のちに妻となる女性との出会い、中学生の頃の父と母との関係、親友と呼べる人との出会いと別れ……。
あまり感情的ではなく淡々とした文章で書かれているのが、かえって伊苅の孤独や悲しみ、さみしさを浮き彫りにしているように感じました。
なんとも切なくて、胸が苦しくなるようでありながら、謎が多くところどころ違和感を感じる部分もあり、伊苅に対してどんどん興味がわいてきます。
最終章で謎や違和感がすべて明かされ解消された後の、最後の一文は胸にぐっと迫るものがありました。


その最後の一文こそが、伊苅が絵を描き始め、描き続けた理由であることは、疑いようがありません。
けれども、本作にははっきりと理由が示されていないもうひとつの「謎」があります。
それは、近隣住民たちは、なぜ自分たちの家の壁にも絵を描いてほしがったのか?という謎です。
これについては作中では言明されていなかったと思います。
まるで子どもが描いたような稚拙な絵を、自分の家の外壁に描かせるなど、普通なら正気の沙汰ではないと思うところです。
それなのに我も我もと希望者がどんどん増えていったのはなぜなのか。
その理由も、最後まで読んで伊苅の半生を知ったことで、ようやく少しわかったような気がしました。
町の住人たちも、伊苅と同じような喪失感を持っていた人が多かったのではないでしょうか。
伊苅のように肉親を失った人ももちろんいるでしょう。
ですがそれだけではなく、そもそも町は少子化で人が減り、活気を失っていました。
かつてはあったものが、今はない。
変わってしまった町の様子に、喪失感を感じていた住人が多かったのではないでしょうか。
伊苅の描く絵は、そんな住人たちの心の琴線に触れたのだと思います。
彼らは同じさみしさや悲しさを共有していたのだから。
単純な線で描かれ、原色で塗りつぶされた伊苅の絵が、住人たちの心に明るいものを取り戻させたのだとしたら、それはどんな名画よりも素晴らしい絵だったのだと思えて、胸があたたかくなりました。


切なく、悲しい物語でありながら、優しくあたたかいものが心を満たす、不思議な読後感でした。
無情なところはとことん無情で冷酷と思える展開もありますが、ちゃんと救いもありました。
貫井さんらしい、貫井さんにしか書けない物語だと思います。
☆4つ。