tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『遠い唇』北村薫

遠い唇 (角川文庫)

遠い唇 (角川文庫)

  • 作者:北村 薫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: 文庫


小さな謎は大切なことへの道しるべ。解いてみると一筋縄ではいかない人の心が照らし出される。学生時代に届いた想い出の葉書には、姉のように慕っていた先輩が遺した謎めいたアルファベットの羅列があった。数十年の時を経て読み解かれたとき、現れたものとは―。表題作のほか、宇宙人たちが日本の名著を読むユーモア作「解釈」、乱歩へのオマージュ「続・二銭銅貨」など、ミステリの名手が贈るバラエティに富んだ謎解き7篇。

北村薫さんは言わずと知れた日常ミステリの名手ですが、さらには短編の名手でもあると私は思っています。
短い中にも謎解きのエッセンスを濃密に閉じ込めて、人の心の機微も味わえ、深い余韻が楽しめる作品を数多く書かれています。
この短編集もまさにそんな作品を集めた珠玉の1冊でした。
文学の香りが漂う、知的でミステリへの愛がたっぷり詰まった北村ワールドを存分に楽しみました。
では各作品の感想を。


「遠い唇」
今回はこの表題作が一番のお気に入りになりました。
大学の先輩がくれた葉書に書かれていた暗号を、時が経った後に解いてみたところ、そこに現れた思わぬメッセージ。
なんとも切なくほろ苦い結末が素晴らしいです。
コーヒーが謎解きの鍵になるのですが、それもあって喫茶店で本格的なコーヒーを味わいながら読みたい作品だと思いました。
冒頭に引かれている中村草田男の俳句がまたいいですね。


「しりとり」
和菓子を使った暗号文が印象的です。
この暗号を作った病床の男性の、妻への想いが胸に沁みます。
この作品にも俳句が登場しますが、俳句と和菓子という組み合わせが切なく優しい物語の雰囲気にとても合っていて、北村さんのモチーフの使い方のうまさがよく表れている一作でした。


「パトラッシュ」
美術館に勤める若い女性の話で、タイトルの「パトラッシュ」は女性の恋人を指しています。
前の2編に比べると、ほのかな幸福感あふれる甘いラブストーリーで、謎解きもなんだか微笑ましい。
パトラッシュみたいな恋人いいなあと、主人公がうらやましくなりました。


「解釈」
地球の日本にやってきた宇宙人が、夏目漱石の『吾輩は猫である』、太宰治の『走れメロス』、川上弘美さんの『蛇を踏む』を読んで地球のことを知ろうとする話なのですが、どうも「小説」というものを理解していないらしい宇宙人たちの奇想天外な解釈に笑ってしまいました。
よくこんな「新解釈」を思いつくものだなぁと感心しきり。
和田誠さんの挿絵もいい味を出しています。


「続・二銭銅貨
こちらは江戸川乱歩の『二銭銅貨』の新解釈ですね。
二銭銅貨』を読んだことはあるのですが、細かいところは忘れてしまっていたので、手元に『二銭銅貨』も置いて読み比べてみた方がよかったなと思います。
作中の人物として登場する乱歩さんに、不思議な親しみを感じられました。


「ゴースト」
『八月の六日間』のスピンオフで、この作品だけは謎解きがありません。
謎解きはなくとも、冒頭に河野裕子さんの短歌が引用されていて、雰囲気的な面で他の作品から浮いているというようなことはなく、違和感なくこの短編集になじんでいると思いました。
主人公の朝美が仕事でやらかした、ちょっとした失敗、こういうことは社会人ならよくあるよねと共感もできますし、朝美の心情がよく伝わってくる一編でした。


「ビスケット」
なんと、『冬のオペラ』の続編です。
『冬のオペラ』なんて読んだのが遠い昔すぎてすっかり忘却の彼方で、ぼんやりと「どこかで聞いたことのある人名だな」ぐらいしか思えなかったのが悔しい。
もう一度『冬のオペラ』を読んでみなければと思いました。
日常ミステリの印象が強い北村さんには珍しい、殺人事件を扱うフーダニットミステリですが、ダイイングメッセージの謎解き自体はとても北村さんらしさが感じられるものでした。
NHKの犯人当て番組「探偵Xからの挑戦状!」シリーズの原作として書いた作品ということで、インターネットがある現代だからこそ誰でも名探偵になれるということを示したところも興味深いです。


7作品それぞれの味わいがあり、改めて謎解きの面白さを感じられる短編集でした。
難点は、あっという間に読み終わってしまって、もっと読みたいのに!と思ってしまったこと。
次の短編集の刊行を心待ちにしています。