tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『推し、燃ゆ』宇佐見りん


「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」。高校生のあかりは、アイドル上野真幸を解釈することに心血を注ぎ、学校も家族もバイトもうまくいかない毎日をなんとか生きている。そんなある日、推しが炎上し―。第164回芥川賞受賞のベストセラー。時代を映す永遠の青春文学。2021年本屋大賞ノミネート。

著者の宇佐見りんさんは1999年生まれ。
いやー、若いですね。
デビュー作が最年少で三島賞を受賞し、二作目である本作で芥川賞受賞と、作家として非常に順調なスタートを切り、間違いなく今後も期待できる若手作家のひとりです。
純文学系は読みにくいと避けている人も多いかと思いますが、本作は本屋大賞にノミネートされたことからもわかるように、とても読みやすく広く受け入れられやすそうな作風で、私も特に芥川賞受賞作ということは意識せずに読めました。


ここ何年かで急速に広まった気がする「推し」「推し活」という言葉。
単に何かのファンというだけにとどまらず、強い熱意を持って誰かに、あるいは何かに夢中になっている人たちが世の中にはたくさんいます。
本作の主人公である高校生のあかりもそんなひとり。
彼女の推しは、男女混合アイドルグループのメンバーである上野真幸で、あかりは真幸の言動からその人物像を解釈してブログに綴る日々を送っています。
そんなある日、真幸がファンの女性を殴って炎上するという事件が起こります。
このネット社会において、推しが炎上するというのは誰にとっても他人事ではないといえるでしょう。
スキャンダルに限らず、ちょっとした言動など、いつ何がきっかけで批判が殺到し誹謗中傷されるかわからない時代です。
私も「推し」とまで呼べるかどうかは微妙ですが、応援している人たちが炎上したらと想像すると、心がざわつきます。
本作を読んでいる間ずっと、真幸の炎上に心をかき乱されていくあかりに同情するやら心配になるやらで、なんとも落ち着かない気分を味わいました。


「『推し』とまで呼べるかどうかは微妙」と書いたのは、私にとってあかりほどの切実さを持って応援している人がいるだろうか、という疑問を抱いたからです。
あかりにとって推しの真幸は生きるために必要な存在。
家族に疎まれ、学業は低迷し、体調もよくなく、アルバイト先ではミスばかりしている、日常生活がまったくうまくいかないあかりは、真幸を推すことだけが生きがいで、真幸を推すことによってなんとか生きていけているのです。
そんなあかりは推しのことを「背骨」と表現しているのですが、これがなんとも絶妙な言葉で、こんなにもピタリとはまる推しの言い換え語があるだろうかと思いました。
背骨だから、それがなくなったら立ち上がることも歩くこともできない。
まともに生きていけなくなる。
真幸の炎上を機にあかりの推し活は絶望へと向かっていくのですが、推し活以外は何もかもうまくいっていないあかりが、果たしてちゃんとまた立ち上がって歩いていけるようになるのかと不安に苛まれました。
そして、思ったのです。
私にはここまで切実に、生きていくために必要な存在はいないのではないかと。
好きな人たちが炎上したらもちろんショックは受けるでしょうし、多少落ち込むかもしれないけど、おそらく日常生活に支障をきたすほどの影響は受けないんじゃないかな。
そう思うと、なんだか「私にはないものを持った人」として、推し活をしている人たちへのリスペクトとうらやましさが湧き上がってきたのでした。


この世界で生きづらさを抱えるすべての人にとって、「推し」は必要なものなのでしょう。
終盤、真幸のライブのシーンには心が震えました。
「推しのいない人生は余生だった。」という一文が胸を刺し、それでも生きていかねばならない理不尽さが重くのしかかります。
推し活は楽しいからこそ、苦しみが伴うこともある。
最後はあかりの幸せを願いながら、そっと本を閉じました。
☆4つ。