tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『Iの悲劇』米澤穂信


Iターンプロジェクト担当公務員が直面するのは、過疎地のリアルと、風変わりな「謎」――。
無人になって6年が過ぎた山間の集落・簑石を再生させるプロジェクトが、市長の肝いりで始動した。
市役所の「甦り課」で移住者たちの支援を担当することになった万願寺だが、課長の西野も新人の観山もやる気なし。
しかも、公募で集まってきた定住希望者たちは、次々とトラブルに見舞われ、一人また一人と簑石を去って行き……。
直木賞作家・米澤穂信がおくる極上のミステリ悲喜劇。

過疎地に人を呼び込むことの困難さと、地方自治体の厳しい経済状況といった社会的なテーマに日常の謎を絡めたミステリ作品です。
ちょっとブラックな味わいを持っていて、どこか『満願』を彷彿とさせる読み心地が個人的には非常に好みでした。
さすが米澤さん、読ませるなあと感心するばかりです。


いくつかの市が合併して誕生した地方都市、南はかま市。
その山間部にある小さな集落・蓑石は高齢化により限界集落と化し、ついには住人がまったくいなくなりました。
それから6年後、蓑石に移住者を呼び込んで再生させるIターンプロジェクトが発足し、南はかま市役所の「甦り課」でプロジェクト担当として移住者たちのサポートをすることになった万願寺が、移住者たちが起こすさまざまなトラブルや事件に巻き込まれていく様子が描かれます。
いやもう、なんというか全編を通して非常に身につまされる話ですね。
一言でいうと「地方公務員はつらいよ」ということでしょうか。
市の政策に疑問があっても文句は言えない、市民からは理不尽な苦情を吹っかけられる、改善すべき問題箇所を見つけても予算不足の壁が立ちはだかりどうにもできない……。
そして上司である西野課長は喫煙所に行けば当分は戻ってこず、定時でさっさと帰ってしまうやる気のなさで、後輩で新人の観山はノリが軽くて言動にハラハラさせられる。
そんな中でひとり遅くまで職場に残って残業をし、なんだかんだ文句を言いながらも誇りを持って仕事に取り組む万願寺には尊敬の念を抱きました。
私自身は地方公務員ではありませんが、理不尽なことを言われたり、予算不足でやれることが制限されたり、やる気のない同僚にうんざりしたり、といった経験はあります。
公務員ではなく会社員であっても、仕事に関するこうした不満はつきものでしょう。
働いたことのある人なら誰でも、万願寺には同情と共感を覚えるはずです。


そうした地方公務員の悲哀を描きつつ、優れたミステリでもあるというのが本作の最大の魅力です。
騒音トラブルを起こした家で起きた小火の謎、子どもの行方不明事件、次々に姿を消す稚鯉の謎など、蓑石に移住してきた住人たちが引き起こすトラブルや謎を解決していく「日常の謎」ミステリの妙味を存分に味わわせてくれます。
そして、そうした事件やトラブルを解決していく中で、全編を通しての謎も少しずつ浮かび上がってくるのです。
仕事に対してやる気のかけらもなさそうな西野課長も、どこか軽薄な観山も、どうやら無能というわけではないらしい。
むしろ意外な有能さが垣間見える場面がちょくちょくあり、もしかしてこの人たち何かを隠している?という疑惑が読み進めるうちに強くなっていきます。
そして迎える終章でのどんでん返しが、なんとも鮮やかでした。
同時にむなしく悲しくやるせない気持ちが湧き上がります。
なんともいえないもの悲しい余韻に浸りながら、米澤さんらしい伏線の妙に感心しました。
特に作中に何度も登場する「予算不足」の言葉が、地方行政の困難さを強調するためだけではなく、ミステリの伏線としても使われていたことには驚かされると同時に、なんと効果的な使い方なのかと舌を巻きました。
最後の一文は帯にも「そして誰もいなくなった」と少し形を変えて引用されていますが、有名ミステリを想起させつつもその作品とは違った意味を持たせ、本作ならではの着地点にたどり着かせたのは、非常にひねりが効いていて巧いなあと感嘆しきりです。


ああ、やっぱり私は米澤さんのミステリが好きだなあと、つくづく再確認させられた1冊でした。
コミカルな部分とダークな部分をあわせ持ち、苦みと切なさをまとって、なおかつ謎解きの面白さを存分に詰め込んだ良作です。
☆4つ。




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