tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『おいしい旅 初めて編』アミの会


仕事に行き詰まり、勢いで列車に乗り終点まで……旅先では驚きの出会いが待っていた(「下田にいるか」)。福引きで旅行券を引き当て、台湾へひとり旅。現地で会った駐在員はどこか訳アリのようだが(「情熱のパイナップルケーキ」)。訪れたことのない場所、見たことのない景色、その土地ならではの絶品グルメ。さまざまな「初めて」の旅を描いた7編を収録。読めば必ず出かけたくなる、文庫オリジナルアンソロジー

実力派女性作家集団「アミの会 (仮)」のアンソロジーが好きでたびたび読んできましたが、このたび「(仮)」が取れて「アミの会」が晴れて正式名称になったとのこと。
そんなめでたいお知らせの後の第一作は、いきなり文庫化で、2冊同時刊行!
そしてテーマは「旅」と「おいしいもの」という、なんとも魅力的なもので、これは読まないという選択肢はありません。
初めての旅行先を取り上げた「初めて編」と思い出の場所を訪ねる「想い出編」の2冊が刊行されましたが、まずは「初めて編」から読んでみました。
収録作品は7作品、ゲストは坂木司さんです。


「下田にいるか」 坂木司
コロナ禍で厳しい状況の旅行会社に勤める「サトウ君」が、思い付きで「サフィール踊り子号」という観光列車に乗って下田に小旅行に出かける話です。
豪華観光列車の旅を満喫し、下田では水族館でイルカショーを楽しみ「下田深海ザメバーガー」というご当地グルメを味わい、ホテルの地場産食材たっぷりの朝食バイキングで満腹になるという、小旅行ながらなかなか充実した旅で、東京の人はこんな旅行ができるなんていいなあと嫉妬心を抱いてしまいました。
ところで本書の帯には「キンメコロッケ」が取り上げられているのですが、作中では名前が出てくるだけでサトウ君は実際には食べていません。
なぜ……?


「情熱のパイナップルケーキ」 松尾由美
福引で旅行券10万円分を当てた派遣社員女子が台湾に一人旅をする話。
海外に一人旅というのはなかなか勇気が要りそうですが、確かに台湾なら行きやすいかも、という納得の旅行先です。
上司から台湾オフィスに駐在している下村さんという男性への届け物を頼まれるのですが、下村さんが日本に帰ってきたときにいつも持ってきてくれるお土産のパイナップルケーキには、ある謎がありました。
この謎の真相が、なんとも切なくほろ苦い。
それがパイナップルケーキの甘さと好対照で印象的でした。


「遠くの縁側」 近藤史恵
下着メーカーに勤める女性がアムステルダムへの出張中に、財布やパスポートなどの貴重品を入れたバッグをなくしてしまい、日本大使館渡航書を発行してもらうまでの間ひとりでアムステルダムに滞在することになります。
そもそも出張なので観光の予定もなく、突然ひとりぼっちで異国の地に放り出された心細さとトラブルを起こしてしまった情けなさを抱えての旅という、かなり特殊な状況ですが、そんな中で見つけたご当地グルメが救いになって、読んでいる方もホッとしました。
自動販売機で売られているというコロッケ、ホワイトソースが入っているものも、焼きそばのようなものが入ったアジア風のものも、どちらも手軽でおいしそう。
甘めのマヨネーズがかかっているフライドポテトやニシンのサンドイッチも、日本人の好みに合いそうで、がぜんアムステルダムに行ってみたくなりました。


「糸島の塩」 松村比呂美
友達でも何でもない、街頭セールスで声をかけた女性とかけられた女性がふたりで福岡県の糸島に旅立ちます。
これもコロナ下の旅行会社とその従業員の苦境を描いた作品ですが、坂木司さんの作品とはまた毛色が違っていて異なる味わいを楽しめました。
まったく知らない者どうしのふたりの女性ですが、同年代で同業経験者ということで、不思議と馬が合っているのが面白いです。
糸島の美しい青い海に、塩プリンに塩むすびといった素朴なグルメが行ったこともないのに郷愁を誘います。
有名な観光地や名物を巡る旅もいいですが、こんなシンプルな旅もいいものですね。


「もう一度花の下で」 篠田真由美
突然知らない人物から送られてきたスプーンのセットと、同封されていた地図の謎をめぐるミステリです。
地図は函館のもので、その地図に記された場所にある喫茶店を巡ることによって、ある家族に関する謎が解かれていきます。
函館とコーヒーというのが私の中では結びついていなかったので、北海道で一番最初に喫茶店ができた街であり、コーヒー専門店が多いという函館トリビアに素直にへえーと感心しました。
謎解きによって明らかになった真相のほろ苦さが、コーヒーのほろ苦さに重なり、切ない余韻が残る結末です。


「地の果ては、隣」 永嶋恵美
乗り鉄として現存する最北端の日本製車両に乗り、大好きなマンガの聖地巡礼をしたいとサハリンへのツアーを申し込んだら、参加者は自分以外全員高齢者で戸惑う女子大生の旅の話です。
先日サハリン=樺太を舞台にした作品『熱源』を読んだばかりなのでテンションが上がりました。
地理的には近いのにサハリンはあまり日本人の旅行先には選ばれにくい場所かと思いますが、歴史を考えれば日本人には非常に関わりが深い場所でもあります。
その歴史の重みを考えずにはいられませんが、ポテトサラダに似たオリヴィエ・サラダやシベリア風水餃子などのグルメがとても魅力的で、旅行先としてはなかなかよさそうです。
それだけに、ラストに起こる「ある出来事」に、なんとも悲しく、重苦しい気持ちになりました。


「あなたと鯛茶漬けを」 図子慧
ひょんなきっかけで出会った、愛媛県松山市で活動する劇団に属しているののさんと、予備校で働くモンちゃん。
外食をしない家庭に育ち、食に対する関心が薄いモンちゃんに、おいしいものを食べる喜びを教えたのがののさんでした。
このふたりの女性の関係が素敵で、いろんなバリエーションがある愛媛の名物・鯛茶漬けを共に味わう場面にほっこりします。
やがてモンちゃんは仕事の都合で東京に引っ越し、そのうちにコロナ禍が始まってしまってののさんとは疎遠になりますが、それでも前向きに生きるモンちゃんにこちらが励まされる思いでした。
モンちゃんが口に出すことなく心に秘めた想いも印象に残りました。


以上の7編の中で、個人的ベストは永嶋恵美さんの「地の果ては、隣」かな。
意外性のある旅先、主人公が出会う人々、そしてまさに「今」につながっている結末……どれをとっても印象的で心に残る作品でした。
もちろん、どの作品も「旅に出たい、おいしいものを食べたい」という旅心を刺激されたのは言うまでもありません。
☆4つ。




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