tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『だから殺せなかった』一本木透


「おれは首都圏連続殺人事件の真犯人だ」。大手新聞社の社会部記者の許に届いた一通の手紙。送り主は「ワクチン」と名乗り、首都圏全域を震撼させる連続殺人の凶行を詳述したうえで、彼に紙上での公開討論を要求する。絶対の自信を持つ殺人犯と記者の対話は、始まるや否や苛烈な報道の波に呑み込まれていく。果たして、犯人の目的は――劇場型犯罪と報道の行方を圧倒的なディテールで描出した、第27回鮎川哲也賞優秀賞受賞作。

あらすじに惹かれて手に取ってみました。
ちょうど今WOWOWで本作を原作とした連続ドラマが放映されています。
私はWOWOWは契約していないので見ることができませんが、この原作小説を読んでみると、確かにドラマ化向きの作品だなと感じました。


全国紙「太陽新聞」の遊軍記者である一本木透のもとに、首都圏で起こっている連続殺人事件の犯人を名乗る人物からの手紙が届き、そこから太陽新聞紙上での一本木と犯人との公開討論が始まるという、劇場型犯罪を描くミステリです。
ミステリでは作者の名前と作中人物の名前が同じであることがよくありますが、本作もそうですね。
それが探偵や探偵の助手などではなく新聞記者というのはちょっと新しいかもしれません。
とはいえ、一本木は実質的に本作の探偵役ではあります。
犯人からの手紙を受け取り、その返信を新聞紙上に載せ、対話を繰り返しながら犯人の実像に迫っていきます。
さらに、一本木が主人公のパートとは別に、江原陽一郎という大学生の視点で描かれるもうひとつのパートがあり、このふたつのパートはどういう関係があるのかと考えながら読み進めていくことになりました。
登場人物がそれほど多くないので犯人の正体は自然に絞れた感じがありましたが、いちばん意外だったのはタイトルの意味です。
「だから殺せなかった」というタイトル、主語は誰で、いったい誰を「殺せなかった」のか……。
おそらくふたつの意味を持たせているのだと思いますが、タイトルを最初に見たときに想像したのとはかなり異なる意味が結末から浮かび上がってきて、そう来るかという意外性に驚くと同時に、なんともいえないやるせなさが込み上げ、それがそのまま読後感となりました。


本作はミステリですが、もうひとつの読みどころはジャーナリズムのあり方、新聞というメディアのあり方です。
一本木は若い頃に、報道を優先するか自分の愛する人を優先するか悩んだ末、結果的に愛する人を捨てるという「罪」を犯しました。
その経験は、悪を暴くための報道が必ずしも正義にはならないことを示しています。
そして、一本木が「クオリティペーパー」と呼ばれる大手全国紙の記者であることも、物語における重要なポイントです。
誰もが知るとおり、いまや新聞社は経営が芳しいとは言えません。
購読者は減る一方であり、有料のデジタル版もありますが、紙版の売り上げ減を補填するほどの収益は出せていないようです。
そうなると、新聞社も企業であることには変わりないので、利益を追求する姿勢が強くなってきます。
自分が犯人と紙上でやり取りすることは、利益のために殺人事件を利用していることになるのではないか、と一本木は苦悩します。
記者も雇われサラリーマンである以上、勤務先企業の利益を生み出す仕事をすることが求められるでしょうが、そういう利益追求の仕事のやり方は正義を求めるジャーナリズムとは相性が悪いものです。
報道機関としての社会的役割や矜持を維持しつつ、利益も出さなければならないという難題にどう立ち向かうのか、本作ではっきりとその答えが示されているようには思えませんでした。
おそらくこの問題は、今後もずっと新聞社やテレビ局といった既存メディアが立ち向かっていかなければならない問題なのでしょう。
もしインターネットメディアが新聞やテレビに完全に取って代わるならば、今度はネットメディアが同じ問題に直面します。
時代が変遷してメディアの形が変わっても、今後もずっと不変の問題として社会に存在し続けると考えると、本作はある意味で「終わらない」物語なのです。


一本木と犯人のやり取りの文章がどちらも知的で読み応えがあり、一本木が文章の力でさらなる犯行を食い止められるのかという緊迫感あふれる展開は期待通りのものでした。
犯人の動機は身勝手なものに思われましたが、悪いことをした人を私刑で断罪することが正義ではないということと、一本木が過去に新聞記者として正義を追い求めた出来事の顛末とが重なって、正義とは一体何か、深く考えさせられる物語です。
☆4つ。