tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ビブリア古書堂の事件手帖II ~扉子と空白の時~』三上延


ビブリア古書堂に舞い込んだ新たな相談事。それは、この世に存在していないはずの本―横溝正史の幻の作品が何者かに盗まれたという奇妙なものだった。どこか様子がおかしい女店主と訪れたのは、元華族に連なる旧家の邸宅。老いた女主の死をきっかけに忽然と消えた古書。その謎に迫るうち、半世紀以上絡み合う一家の因縁が浮かび上がる。深まる疑念と迷宮入りする事件。ほどけなかった糸は、長い時を超え、やがて事の真相を紡ぎ始める―。

鎌倉の古書店、ビブリア古書堂を舞台にした古書ミステリの人気シリーズ最新作です。
ビブリア古書堂の店主である篠川栞子と、バイト店員だった五浦大輔が結婚し、娘の扉子が生まれた後の物語で、シリーズとしては「第二部」という扱いになっています。
ただ、相変わらず謎解き役のメインは栞子さんですし、大輔視点で描かれている部分が多いので、シリーズ第一部と比較してそれほど読み心地が変わったわけではありません。
その点、ファンは安心して手に取れますね。


今回は第一話から第三話まで、すべて横溝正史の作品がテーマになっています。
ミステリ好きでありながら、実は横溝正史は読んだことがない私……。
もちろん金田一耕助はテレビドラマなどで知ってはいますが、原作を知らないのでどうかなと思っていましたが、横溝正史の作品を読んでいることを前提にした物語にはなっておらず、そもそも語り手が「長時間活字を読み続けることができない」という特殊な性質を持った大輔なので、必要な知識は栞子さんがすべて丁寧に解説してくれます。
私のような知識不足の読者は、大輔と一緒に栞子さんの話を聞いて (読んで)、大輔と同じレベルで事件を理解していくことができます。
一方で横溝正史の読者であれば、きっと「おっ」と何度も思うことになるのでしょうね。
栞子さんと大輔が調査することになる事件は横溝作品と似た部分がいくつもあると、作中でも触れられています。
つまり、本作は横溝作品に対するオマージュでもあるのです。
とにかく横溝づくしの一冊に仕上がっていて、好きな人にはたまらないのではないでしょうか。


本作は連作短編集のような構成ですが、面白いのは時系列です。
第一話の舞台は2012年4月。
まだ扉子は生まれておらず、栞子さんと大輔がふたりで横溝正史の幻の家庭小説『雪割草』の本が盗難されたという事件の謎を解く顛末が描かれます。
この『雪割草』についてインターネットで検索してみると、2017年に発見され翌年2月に戎光祥出版から刊行されたという記事を見つけることができました。
第一話はこの実際の経緯を踏まえて書かれており、栞子さんと大輔が『雪割草』という作品の存在を知った時点では本当に「幻の作品」であって、出版物として世の中に流通していない状態だったわけです。
その存在しないはずの本が盗難されたという不可解な謎に、『雪割草』が書かれた背景や発表媒体などの史実がうまく絡められています。
栞子さんはいつものずば抜けた洞察力を発揮して謎解きをするのですが、一部解決できない部分が残ってしまい、もやもやした結末になっています。
そして第二話では一気に時が過ぎて2021年10月に舞台が移り、扉子が『獄門島』を読んで読書感想文を書くため古書店に本を買いに行くが、取り置きしてもらっていたはずなのに他の人に先に売られてしまうという事件が起こります。
この時点で扉子は小学3年生、もうすぐ9歳。
この歳で横溝正史を読むとは、しかもそれで読書感想文を書くとは、さすが栞子さんの娘、と恐れ入ってしまいます。
扉子がどんな子どもかよくわかったところで、第三話は第二話から1か月後の話です。
第一話で残った謎が、9年越しでようやく解決に向かいます。
エピローグではさらに年月が進んで扉子は高校生になっていますが、シリーズでおなじみの「あの人物」が登場し、相変わらず底の知れない不気味さを漂わせて物語の幕引きとなります。
扉子が栞子さんのような、いやもしかしたら栞子さん以上の洞察力と推理力を持っているということ、そしていまだ暗躍している「あの人物」。
過去から未来へと一気に時間が進んだのは、ついに主役交代の時期がやってきたということなのかもしれません。
高校生となった扉子なら、探偵役も十分にこなせるのではないでしょうか。


そんなわけで、本作はシリーズの転換点になるのかなと感じました。
サブタイトルに扉子の名前が入っているわりに栞子さんと大輔の方が存在感があるという状況がずっと続くというのは不自然ですからね。
謎解きのクオリティに安定感のあるこのシリーズのこと、扉子に主役が移ったとしても、変わらずよい作品を届けてくれると思います。
☆4つ。
ところで、前作 (『ビブリア古書堂の事件手帖 ~扉子と不思議な客人たち~』) よりはマシになったものの、今作も校正不足が目立ちます。
単純な誤字脱字ではなく「あなたあなた」とか「返品してもらえないかよう頼んでみる」 (発言者は「よく」という意味で「よう」という方言を使う人ではないはずなので、おそらく「返品してもらえないか頼んでみる」と「返品してもらえるよう頼んでみる」が修正の過程で混じってしまったと思われる) など余分な語が入ってしまっているというミスが多いので、誤植というより校正ミスではないかという気がしますが、内容がいいだけにもったいないなと思いました。




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2020年9月の注目文庫化情報


9月に入ってもまだまだ暑い日が続き、新型コロナウイルスも収束には遠い状況で、結局家の中で過ごすことが多いです。
そうなるとやはり本がよき相棒ですね。
今月の新刊はなかなか豪華なのではないでしょうか。
ミステリ多めなところが秋っぽい、かな?
『その裁きは死』と『マスカレード・ナイト』はどちらも好きなシリーズなので楽しみです。
本屋大賞受賞作の『そして、バトンは渡された』に、同じく本屋大賞にノミネートされていた『盤上の向日葵』も。
早く涼しくなって「読書の秋」を満喫できる季節になるといいなぁ……。

『君が夏を走らせる』瀬尾まいこ

君が夏を走らせる (新潮文庫)

君が夏を走らせる (新潮文庫)


ろくに高校に行かず、かといって夢中になれるものもなく日々をやり過ごしていた大田のもとに、ある日先輩から一本の電話が入った。聞けば一ヵ月ほど、一歳の娘鈴香の子守をしてくれないかという。断り切れず引き受けたが、泣き止まない、ごはんを食べない、小さな鈴香に振り回される金髪少年はやがて―。きっと忘れないよ、ありがとう。二度と戻らぬ記憶に温かい涙あふれるひと夏の奮闘記。

中学生たちが寄せ集めのメンバーで駅伝大会に挑戦する青春小説『あと少し、もう少し』に登場した不良少年、大田君が主人公になって帰ってきました。
本作で大田君が挑戦するのは駅伝ではなく、なんと子守り。
16歳の高校生、もちろん結婚もしておらず子どももいない大田君に突然降ってわいた子守りアルバイトの顛末を描いた物語です。


同じ高校の先輩にあたる中武先輩から、2人目妊娠中の奥さんが切迫早産で入院することになったが会社を休めないので、奥さんが退院するまで上の子ども・鈴香の面倒を見てほしいと頼まれた大田は、断り切れずに夏休みの間毎日先輩の家に通って鈴香とともに1日を過ごすことになります。
鈴香は1歳10か月、片言ながら言葉を話し、活発に動くようになって、かわいい盛りの女の子です。
「ぶんぶー」という言葉で喜びや不満を表現し、自由気ままに動き回り、喜怒哀楽をはっきり表してくるくると表情が変わっていく鈴香の姿が、文章だけなのにありありと頭の中に浮かんできます。
きっと瀬尾さんご自身の育児経験が存分に作品に活かされているのでしょうね。
泣き止まないしごはんも食べない、まったく大人の思い通りにならないという育児の大変な部分もしっかり描かれています。
それでもやっぱり小さな子どもはかわいい。
かわいらしい鈴香の様子に、読んでいるだけで心がほっこり、気持ちがなごみました。


けれども、声を大にして言いたいのは、実は本作で一番かわいいのは大田君だ、ということです。
かわいいというか、もはや「愛おしい」という感情まであふれ出てくるくらいに。
大人でも言うことをきかない子どもにはイライラさせられ、時には何もかも投げ出したくなることもあるだろうと思いますが、大田は困ったり戸惑ったりしながらも真剣に鈴香に向き合います。
なかなかレトルトの幼児食を食べてくれない鈴香に、おいしいものなら食べてくれるのではないかと、子どもの好きそうな味付けの料理を工夫して自分で作って食べさせるところなどはもう感動ものです。
ちゃんと栄養を考えて、鈴香が苦手な野菜も細かく刻んで食べやすいようにして入れるという配慮まで行き届いています。
大人が食べても普通においしそうな料理がいくつか登場し、他人の子どもの鈴香のためにここまでできるなんて!と感心せずにはいられません。
他にもおもちゃで一緒に遊んだり、絵本を読み聞かせたり、公園へ連れて行って他の子のお母さんたちとも仲良くなったり。
単なる子守りバイトというより、やっていることが完全に母親です。
小学生の時から学校をサボったりタバコを吸ったりしていた筋金入りの不良の大田だからこそ、そのギャップに心を撃ち抜かれました。
その一生懸命さはまさしく中学生の時に駅伝大会で走った時のひたむきさそのもの。
鈴香だけではなく先輩やその奥さんのこともきちんと気遣えて、不良なんてとんでもない、なんていい子なんだとすっかり大田に入れ込んでしまったので、アルバイト期間が終わって鈴香との別れがやってくるラストシーンには泣かされました。
約1か月間、毎日を共に過ごして濃密な時間を過ごした大田と鈴香ですが、大田には忘れられない一生ものの思い出になっても、幼い鈴香は大田と過ごした日々のことをずっと覚えていてはくれないでしょう。
けれど、記憶には残らなかったとしても、鈴香の長い人生のほんのわずかな時間に、大田が大きな影響を与えたのは確かです。
そのことがまだ16歳の大田のこれからの人生にも、きっとよい影響となっていくに違いありません。


16歳と1歳10か月がともに過ごし、ともに成長した「ひと夏の思い出」。
それはキラキラと輝く何よりも貴い時間で、駅伝とは違うけれど、これもまた間違いなく青春です。
これからもぐんぐん成長し続けるであろうふたりへの愛おしさに胸がいっぱいになり、真夏の暑い空気の中に清涼な風がさあっと吹き抜けていくような、さわやかな読後感に満たされました。
☆5つ。




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