tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『鶏小説集』坂木司

鶏小説集 (角川文庫)

鶏小説集 (角川文庫)

  • 作者:坂木 司
  • 発売日: 2020/06/12
  • メディア: 文庫


塾友のレンと俺は、似てるけど似てない―夜のコンビニで出会った少年たちの葛藤を描く(「トリとチキン」)。我が子を好きになれず悩む父親が、たった1人だけに打ち明けた本音とその答えとは…(「地鶏のひよこ」)。他人の意見に振り回され、疲弊する漫画家が思い出す、彼のデビュー作を生み出した強烈な友人(「とべエンド」)。トリドリな味わいの全5編。豚肉をテーマにした『肉小説集』に続き、肉と人生をめぐる短編集、再び!

豚肉料理がたくさん登場した『肉小説集』に続き、今度は鶏料理があれこれ登場します。
料理をテーマにした小説はいろいろありますが、食材のひとつのみに絞ってテーマにしているのはわりと珍しいのではないでしょうか。
坂木さんは和菓子をテーマにした作品も書かれていますが、同じ「食べ物」がテーマでも、雰囲気は全然違っています。


雰囲気の違いはやはり鶏肉が庶民的で身近な食材というところから生じているのだろうなと思います。
本作に登場するのは高級な料理でも手が込んだ料理でもなく、焼き鳥やフライドチキンなど、手軽に買えてどこの家庭でも日常的に食卓に上っているようなものばかり。
その庶民的な味覚が物語にも入り込みやすくしてくれているようで、収録されている5話の短編どれもがとても身近な話だと感じられます。
また、5つの短編は共通の登場人物や場所が登場していてゆるい感じでつながっており、連作短編集好きの私の好みに合いました。
ある話にメインキャラクターとして登場した人物が別の話では脇役として描かれると、視点が変わる分その人物の新たな側面が見えてくるのが楽しいですね。
例えば1話目の「トリとチキン」に登場するレンという少年のお父さんが、次の2話目「地鶏のひよこ」では主人公として登場しますが、レンの友達ハルから見たレンのお父さんは理想のお父さん像である一方、そのお父さん自身は父親として自分の息子レンと相性が合わないことに苦悩していた、という意外な事実が判明します。
2つの話を合わせて読むと、父と息子の関係って意外と難しいんだなということが見えてきますし、子どもには子どもの、親には親の複雑な感情や思いがあるのだなということがよくわかります。
親子だからといって必ずしも好みや考え方や価値観が一致するわけではなく、お互い別個の人間だということを認め合っていくことの重要性が、視点の違う2つの物語を通して存分に伝わってきました。


そういう連作短編集ならではの楽しみ方はもちろん、1話ずつ単体の物語としてももちろん楽しめます。
個人的なベストは3話目の「丸ごとコンビニエント」。
クリスマスという超繁忙期のコンビニを舞台に、ちょっとした事件が起こります。
予約がキャンセルされ、店員で食べることになったローストチキンが思わぬ事件の顛末につながっていく展開が面白く、笑える「クリスマスの惨劇」話に仕上がっています。
ちょっぴりホラー風味な味付けの物語ですが、登場人物がなかなか味のある人物ばかりで、楽しそうに働いているコンビニの雰囲気がとてもいいなと思いました。
コンビニのチキン、私はあまり食べたことがないのですが、急に食べたくなってくるのはやはり作者の術中にはまってしまっているということでしょうか。
そしてもうひとつ、4話目の「羽のある肉」は王道の青春小説で、委員会活動を通して知り合った中学生の男女の淡い恋物語に胸がキュンとします。
ああ、若いっていいなあなどとオバサン臭い感想を抱いてしまいました。
考えてみればこんな青くて甘酸っぱい話は久しぶりに読んだかも。
大人になって、同世代ではなく親もしくは親戚のおばちゃん視点で読む青春小説もなかなかよいものです。


個人的に豚肉より鶏肉の方が好きということもあってか、前作の『肉小説集』より本作の方が好みでした。
前作にあったエロティックさはなくなり、さっぱりあっさりした味わいで読みやすくもなっていると思います。
ああ、フライドチキンが食べたくなってきた。
☆4つ。




●関連過去記事●
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『ホワイトラビット』伊坂幸太郎

ホワイトラビット (新潮文庫)

ホワイトラビット (新潮文庫)


兎田孝則は焦っていた。新妻が誘拐され、今にも殺されそうで、だから銃を持った。母子は怯えていた。眼前に銃を突き付けられ、自由を奪われ、さらに家族には秘密があった。連鎖は止まらない。ある男は夜空のオリオン座の神秘を語り、警察は特殊部隊SITを突入させる。軽やかに、鮮やかに。「白兎事件」は加速する。誰も知らない結末に向けて。驚きとスリルに満ちた、伊坂マジックの最先端!

伊坂さんの作品には社会派の寓話的な物語もありますが、本作は難しいことを考えずに頭を空っぽにして楽しめるエンタメ作です。
とはいえ、本当に何も考えずに読んでいると、「えっ、何それ、どういうこと!?」と混乱してしまうこと必至。
そんな、作者の掌の上で踊らされている感じが楽しい作品です。


伊坂さんの他の作品と同様、本作も舞台は仙台です。
そして、伊坂さんの作品にちょくちょく登場していてファンにはおなじみのキャラとなっている空き巣の黒澤が、本作でも登場します。
しかも今回はかなり重要な役どころで、ほとんど主役と言ってもいいくらいの活躍ぶりです。
黒澤ファン (?) にとってはうれしいところですが、黒澤自身としては別に好きで活躍しているわけではなく、成り行きで厄介ごとに巻き込まれて仕方なく、というのがなんとも黒澤らしくてうれしくなってしまいました。
もちろん、黒澤以外の登場人物たちもみな個性豊かで、彼らの会話に時々クスッと笑いながら、それでも事件はなかなか物騒で笑えない感じなのがこれまた「ザ・伊坂ワールド」です。
メインの事件は人質を取っての立てこもり事件なのですが、その裏では実は誘拐事件が起こっており、立てこもり事件の犯人は新婚の愛妻を誘拐されていて犯人からある人物を探し出せと脅迫されている、という少し複雑な構図になっています。
2つの事件が同時進行している都合上、場所や視点人物、場合によっては時系列までが目まぐるしく入れ替わるので、状況を把握するのがなかなか大変ですが、ハラハラさせられる場面も多いため、先が気になってどんどん読み進められます。
やがて明らかになる事件の真相、そしてその先の結末は、ふんだんにばらまかれた伏線をきれいに回収するもので、ミステリの面白さを十分に味わえるものでした。


少し話がそれますが、本作の特徴として、本文にやたらと「作者の視点」が登場するということが挙げられます。
「神の視点」で書かれた小説というのはよくありますが、それとはまた違って、読者に向かって語りかけるような文が地の文にたびたび登場するのです。
これは作中で登場人物が説明しているとおり、『レ・ミゼラブル』の文体をまねたものですが、文学的な香りとともにユーモアが感じられます。
文体のみならず、『レ・ミゼラブル』の登場人物やエピソードの一部などさまざまなモチーフも登場しており、読んだことがある人はもちろん、映画やミュージカルで物語を知っているという人も、伊坂ワールドと『レ・ミゼラブル』との意外なコラボレーションを楽しむことができるでしょう。
ところが、そういうお楽しみ部分にも抜かりなく仕掛けが仕込まれているのだから油断なりません。
ユーモアにあふれた文体を楽しみつつ読んでいたら、ある場面でいきなり「読者が見抜いていたように」と作者の視点で言われて、「ええええっ!!?」と驚くことになってしまいました。
この場面で作者の視点が言う通り「見抜いていた」読者は一体どれくらいいるのでしょうか。
少なくとも私は全く見抜けなかったどころか、作者のミスリードにまんまと引っかかっていました。
騙されて悔しい、けれどそれが快感にも似て気持ちいい。
それが伊坂ミステリです。


レ・ミゼラブル』、そして「オリオオリオ」なる人物が語るオリオン座にまつわる蘊蓄といった、一見事件とは何の関係もなさそうなモチーフを、序盤から種明かし、クライマックスに至るまで巧妙に物語に絡めていく手腕がさすが伊坂さんだなぁと感心しきりでした。
ミステリとしては最終的に明らかになる物語の構造が少々複雑でわかりにくいのが難点といえば難点ですが、丁寧に仕掛けられたミスリードによって巧く騙された!という快感を味わうことができるのは確かです。
暴力的で悪の印象しかない嫌な登場人物が、最後にはきちんと報いを受けるという点でも、すっきり気持ちよく読み終えられる物語でした。
☆4つ。

『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)


24歳の秋、故郷を飛び出した桃子さん。住み込みのバイト、周造との出会いと結婚、2児を必死に育てた日々、そして夫の突然の死―。70代、いまや独り茶を啜る桃子さんに、突然ふるさとの懐かしい言葉で、内なる声たちがジャズセッションのように湧いてくる。おらはちゃんとに生ぎだべか?悲しみの果て、辿り着いた自由と賑やかな孤独。すべての人の生きる意味を問う感動のベストセラー。

史上最年長での芥川賞受賞作ということで話題になった作品です。
田中裕子さん主演で映画化されるそうで、私が購入した文庫本は映画のビジュアルを使用した全面帯になっていました。
読んでみた感じだと、実写化はなかなか難しそうな気がするのですが、どんな映画に仕上がっているか楽しみです。


タイトルは宮沢賢治の「永訣の朝」からの引用です。
そこから連想できるとおり、主人公の桃子さんは作中で明言はされていないものの、作者と同じ岩手県 (をモデルとした県) の出身だと思われます。
最愛の夫を亡くし、息子や娘とは疎遠になり、ひとりになった桃子さんは、日々自らとの対話を行っているのですが、そのすべてが岩手の方言になっています。
正直なところ関西人の私には完全にはその方言が理解できないところもあり読みづらさもあるのですが、標準語とは異なるリズムの文章が不思議で面白くてだんだん癖になりそうでした。
ただ、物語としてはどちらかというと暗いイメージです。
なにしろ桃子さんは自分の内面に潜っていって、自分の中にある分身のようなものがあれこれしゃべりだすのに耳を傾けているわけですから、あまり明るい話にはなりようがないのです。
年を取ってひとり暮らしだと、こんなふうになってしまうものなのかなと最初は思いましたが、よくよく考えてみるとこれは桃子さんの性格によるものなんでしょうね。
もともとどちらかというと内向的で、社交的ではない人なのだと思います。
その証拠に、桃子さんの友達のような人は一切登場しません。
家族がいないからひとりなのではなく、他人との交流も乏しいからひとりなのであって、だからこそ自分との対話に耽ってしまうのでしょう。
その対話からあふれ出る圧倒的な孤独と寂寥感に、押しつぶされそうになります。


とはいえ、決して寂しく悲しいばかりの話でもありません。
特に、亡夫の周造との思い出を振り返る場面での桃子さんは、きっと笑顔になってるんだろうなというくらい幸せそうです。
心から愛しいと思える人と出会って、結婚して家庭を築いたことは、間違いなく桃子さんにとって人生最良のできごとだったでしょう。
けれども、だからこそ、夫との死別が悲しい。
息子と娘さえも、桃子さんから離れて行ってしまったことも。
個人的にぐさりと来たのは、桃子さんが娘の老いに気づいてしまった、という場面でした。
自分の老いではなく、自分の子の老いに気づく気持ちというのはどんなものなのでしょうか。
子どものいない私には想像が難しく、逆に娘の立場から親が子の老いに直面することに思いをはせると、なんとも切ないというか、胸が苦しいような気持ちになりました。
みんな老いていつかは死んでいく、それは当たり前だとわかってはいても、自分ではなく自分の子が老い、やがて死んでいくことを実感させられてしまうのは、つらいことではないかと思います。
ですが、桃子さんには孫もいます。
まだまだ老いには程遠い、成長真っ只中の孫娘が。
老いたからこそ孫娘と出会えた、そしてその孫娘との交流は、桃子さんの寂しさを埋めてくれるに違いありません。
それに、桃子さんが自分との対話ができるのは、それまでしっかり生きて人生経験を積んできたからに他なりません。
ただぼんやりと年だけ取って中身が空っぽな人であれば、対話する自分さえいないのです。


実は地球46億年の歴史の話が大好きだとか、病院の待合室で周りの人の観察をしてしまうとか、なかなか面白そうな人、という印象の桃子さん。
「妻」でもなく、「母」でもなく、ただの桃子さんになって自由になったのだから、その自由を謳歌してもうしばらく元気でいてくれたらいいなあと思うくらいには、桃子さんのことを好きになっていました。
☆4つ。