tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『暗幕のゲルニカ』原田マハ

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)


ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレーター八神瑶子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑶子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。怒涛のアートサスペンス!

美術に関して特に知識もなく、美術館や展覧会を見に行く趣味もない私ですが、そんなただの読書好きにも美術の持つ魅力を教えてくれるのが原田マハさんの作品です。
個人的には『楽園のカンヴァス』の方が好みではありましたが、本作も私の知らない芸術の世界へ連れて行ってくれ、十分に楽しませてくれました。


山本周五郎賞を受賞した『楽園のカンヴァス』はアンリ・ルソーの絵画とミステリを結びつけた作品で、絵のことは知らなくてもミステリが好きな私には、それまで読んできたミステリとは異なる謎解きが新鮮でした。
本作がミステリではなかったのは残念でしたが、筋書きが分かりやすく美術に明るくない人間でもとっつきやすいのはこちらの方だと思います。
今回の「主役」となる絵は、ピカソの「ゲルニカ」。
誰でも名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
その「ゲルニカ」が描かれた当時のピカソの恋人であるドラ・マールと、21世紀のニューヨークでMoMA (ニューヨーク近代美術館) のキュレーターを務める八神瑶子の、ふたりの女性の視点で描かれるふたつの物語が交互に語られます。
瑶子は創作上の人物ですが、ドラ・マールは実在の人物であるため、彼女のパートは史実に基づいたストーリー展開になっています。
ピカソもドラ・マールの視点を通して登場人物のひとりとして描かれていますが、生き生きとしていて物語の中に自然に溶け込んでおり、小説の登場人物として違和感が全くありません。
そもそもピカソの絵も有名なもの以外は全く知らないのに、本作を読んだらなんだか急にピカソに親しみを感じるようになってしまいました。
ドラ・マールはピカソの愛人という立場ですが、男としてのピカソだけでなく、芸術家としての彼の才能にも惚れ込んで、「ゲルニカ」の制作過程を写真で記録するという大切な仕事を成し遂げます。
現代であれば不倫関係は叩かれるでしょうが、ピカソとドラ・マールの関係は単なる男女の関係だけではなく、芸術家どうしの仕事上のパートナーの関係でもあり、その点は共感しやすいと感じました。


一方、現代パートの主人公である瑶子は、9・11のテロ事件で夫を失います。
元々ピカソの専門家であった瑶子ですが、彼女がスペインの美術館に所蔵され門外不出となっている「ゲルニカ」をなんとかMoMAで行う展示会で展示したいと奔走するのは、そうした個人的な事情が絡んでいます。
ピカソの故郷・ゲルニカへの空爆に対する抗議として描かれた「ゲルニカ」は、国連本部にもタペストリーが飾られるほど反戦の象徴となっていますが、アメリカが9・11に対する報復としてイラク攻撃を行うことを宣言した場で、そのタペストリーには暗幕がかけられていました。
これは実際にあったことなのだそうで、「ゲルニカ」が誕生した背景とその絵が訴えるメッセージを知っている人にとっては大きな衝撃だったであろうことは想像に難くありません。
原田マハさんも衝撃を受けたひとりで、そこからこの物語が始まったという経緯には胸が熱くなります。
ゲルニカ」が伝える平和のメッセージは、ドラ・マールや瑶子をはじめとする本作の登場人物たち、そして何より作者の原田さんに時を超えて伝わり、今も人々を「戦争との戦い」へと突き動かしているのです。
「ペンは剣よりも強し」という言葉がありますが、芸術作品も同じなのですね。
人々を動かす力を持った「ゲルニカ」を、私も実際にこの目で見てみたくなりました。


終盤には緊迫した場面もあってハラハラさせられ、最後の最後まで飽きさせないストーリー展開でした。
ラストシーンはじわじわと感動が胸に迫ってきて、しばらくその余韻に浸りました。
『楽園のカンヴァス』の登場人物が再登場しているのもうれしかったです。
☆5つ。


●関連過去記事●
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『MIX (13)』あだち充


明青VS健丈(元須見工)、因縁の一戦!
音美のあわや交通事故の難を救った謎の男…その名は原田正平!
30年前にこの街に暮らし伝説を目の当たりにした男は…
明青野球部に一体何を見るのか…
そんな中始まる、明青VS健丈、因縁の一戦!!
先のセンバツのヒーロー、赤井が立ちはだかる!!

夏の全国高校野球は終わってしまいましたが、マンガならいつでも好きな時に高校野球を楽しめるのがよいところです。
表紙も非常に夏らしく (あだちさんの水着女子はいやらしすぎないのがいいですね)、今の時期にぴったりの1冊でした。


さて、12巻で新たに登場した記憶喪失の男、その名は原田正平。
そう、『タッチ』のあの原田くんですね。
高校生の時から老け顔だったせいで、30年後という設定の本作でもあまり見た目が変わっていないのが笑えます。
彼が記憶を完全に取り戻した時、物語が大きく動く……のでしょうか?
とにかく存在感だけはありますが、キーマンになるかどうかはまだよく分かりませんね。
『タッチ』の時と同様、あくまでも脇役に徹するのが原田くんらしい気もします。


そして、13巻後半からは、健丈高校 (『タッチ』の頃は須見工) と明青の練習試合が始まります。
が、エースの投馬は事情により不在。
主人公がいないのでは盛り上がりに欠けるので、この点はちょっと不満ですが、けがをしたとかではないので途中から登板する展開になるのかもしれません。
目下最大のライバル役である赤井くんとの対決をぜひ見たいので、次巻以降に期待ですね。
ただ、因縁のライバル校との試合とはいっても、あくまでも練習試合に過ぎないので、あまりページを割きすぎないでサクサク進めてほしいところですが……。


13巻はあまり大きな動きもなくゆっくりとしたペースで話が進みましたが、その中で喫茶「南風」の現在が描かれたり、回想シーンとして達也をはじめとする『タッチ』の主要登場人物たちが登場したりと、『タッチ』ファンへのサービスが多めの巻でした。
そろそろストーリーも盛り上がっていってほしいですが、あだちさんのことだから当面はまったりペースかなぁ……。
気長に付き合っていきます。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp

『ユートピア』湊かなえ

ユートピア (集英社文庫)

ユートピア (集英社文庫)


太平洋を望む美しい景観の港町・鼻崎町。先祖代々からの住人と新たな入居者が混在するその町で生まれ育った久美香は、幼稚園の頃に交通事故に遭い、小学生になっても車椅子生活を送っている。一方、陶芸家のすみれは、久美香を広告塔に車椅子利用者を支援するブランドの立ち上げを思いつく。出だしは上々だったが、ある噂がネット上で流れ、徐々に歯車が狂い始め―。緊迫の心理ミステリー。

大手食品会社の工場があるためかつては賑わった小さな港町・鼻崎町を舞台に、そこに暮らす女性たちの活動と人間関係を描く物語です。
イヤミスではありませんが、女性たちの心理描写の細やかさは湊さんらしいといえます。
田舎町の狭い人間関係の窮屈さと、立場によって考え方が異なることによるすれ違いがリアルに描かれていました。


元恋人から誘いを受け、都会から鼻崎町へ移り住んだ陶芸家のすみれ。
鼻崎町で生まれ育ち、地元の同級生と結婚して仏具店の店番をやっている菜々子。
食品会社に勤める夫の転勤により鼻崎町へ引っ越してきた、プリザーブドフラワー作りを得意とする光稀。
菜々子の娘である久美香は交通事故が原因で車いす生活を送っていますが、光稀の娘である彩也子が友達として寄り添い、手助けをしています。
そんな彩也子が久美香について書いた詩をきっかけに、自分が焼いた翼のモチーフのストラップを売り出して収益金を車いす利用者の支援団体に寄付するプロジェクトを思いついたすみれは、マスコミの取材も受けて順調にプロジェクトの知名度を伸ばしていきますが、それによってさまざまな軋轢が生じることになります。


すみれ、菜々子、光稀の3人が、それぞれ長所も短所もしっかり描かれているところがよいですね。
当たり前ですが長所ばかりの人間などいないわけで、短所も描かれていることにより、人物描写に深みが出ます。
そして、短所を描いているからこその「嫌な感じ」が物語のあちこちからにじみ出てきていて、それが本作の肝ではないかと感じました。
どうも本作ではどの登場人物にも感情移入がしづらい印象です。
それはなぜかというと、純粋に「この人いい人だな」と思えるような登場人物がほとんどいないからです。
どの登場人物も、どこか嫌な感じを受けるところがあって、なかなか好きになれません。
どの人物にも感情移入できないからこそ、読者は第三者として冷静に物語を眺めることになります。
そうすると、鼻崎町という小さな町で起こっているいろいろなことが、詳しく本文中に書かれていなくても、たぶんこうなんだろうなと想像できる。
すみれたち当事者には見えないことが、読者には見えるわけです。
そんなわけで、時にすみれたちが呑気に見えたりずれているように見えたりして、やきもきしたりイラッとしたりさせられました。
きっとこれは湊さんの狙い通りの反応なんだろうなと思うと、痛快なような、ちょっと悔しいような気持ちです。


また、人間関係の狭さを考えると言いたいことがなかなか言えないとか、ちょっと成功したり注目されたりすると妬まれて陰口を叩かれるとか、小さな田舎町の住人ならではの悩みも描かれていましたが、これに関しては都会でも似たようなことはあると思います。
ご近所づきあいは確かに小さな町の方が難しいのかもしれませんが、学校や職場など、狭い人間関係は住んでいる場所に関係なくどこにでも存在します。
また、悪口を言われる場所がネット上だったりするのも、現代においてはどこでも同じことです。
案外、この作品に描かれていることは、現代の日本人すべてに当てはまる普遍的なことなのかもしれないなと思いました。
物語の終盤、すみれと菜々子と光稀は別れの時を迎え、それぞれ別々の場所で生きていくことになりますが、結局最後までお互いに対するもやもやを抱えたままの3人の様子に、ご近所さんだからこそ成り立っていた関係であって、今後友達として関係を続けていくことはないんだろうなと思っていたら、最後の彩也子の独白 (日記?) で同じことを言っていて思わず笑ってしまいました。
子どもの観察力は侮れない、というところも含めて、すごくリアルな人間関係を見せられた作品でした。


ミステリとしては謎が完全には解明されずほのめかされるだけの部分があって、ちょっと不完全燃焼気味でしょうか。
あえてそうしているのだとは思いますが、結局何があったのかについて想像するしかない部分があるのはすっきりしませんでした。
どちらかというと、ミステリとしてではなく、3人の女性の人物描写と人間関係の物語として読むべき作品なのだと思います。
☆4つ。