tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ファーストラヴ』島本理生

ファーストラヴ (文春文庫)

ファーストラヴ (文春文庫)


父親殺害の容疑で逮捕された女子大生・環菜。アナウンサー志望という経歴も相まって、事件は大きな話題となるが、動機は不明であった。臨床心理士の由紀は、ノンフィクション執筆のため環菜や、その周囲の人々へ取材をする。そのうちに明らかになってきた少女の過去とは。そして裁判は意外な結末を迎える。第159回直木賞受賞作。

恋愛小説のイメージが強い作者でこのタイトルですが、今回は恋愛小説ではありません。
恋愛がまったく出てこないというわけではないけれど、タイトルの「ラヴ」は恋愛に限らずもっと広義の「愛」を指しています。
真の愛情とは何かということについての示唆に富んだ物語でした。


臨床心理士の由紀は、父親を殺害した容疑で逮捕された大学生・環菜についての本を書くため、彼女や彼女の周りの人々への取材を始めます。
環菜はアナウンサー志望で、キー局の面接を辞退した直後に画家の父親を包丁で刺したとされ、環菜のすぐれた容姿もあって事件は世間で大きな話題になりました。
父親を殺した動機は自分でもわからないと供述した環菜。
由紀は臨床心理士という立場から、取材というよりはカウンセリングをするかのように、環菜から少しずつ生い立ちや事件に至るまでの経緯を聞き出していきます。
淡々とした文章が、このカウンセリングの物語によく合っているように思います。
少しずつ明らかになっていく環菜の生育環境は、予想通りいいとは言えないものでした。
父親からも母親からも、まっとうな愛情を受けていなかったのではないかという疑いは序盤からありますが、その後予想以上にひどい少女時代のできごとが明らかになっていき、重く悲しい気持ちにさせられます。
けれども、それは同時に、環菜が救われていく過程でもあるのです。
なぜならこれはカウンセリングだから。
心に傷を負った人を救うために、隠していた闇を明るみに出し、何が問題だったのかを本人も理解して解毒していくための。
だからこそ、読んでいてつらい部分が途中いくつもありながら、最後はすがすがしい気持ちで読み終えられました。


そして、その「カウンセリング」で救われていたのは、実は由紀自身でもあるのだろうと思います。
環菜の国選弁護士になった迦葉 (かしょう) は、由紀の夫・我聞の「弟」で、由紀とは同じ大学の同期生です。
そして、由紀と迦葉の間には何か秘密があることが、序盤からほのめかされています。
その秘密も物語が進むにつれ徐々に明かされていくのですが、由紀が自分の過去と向き合い、迦葉の心の傷とも向き合うことができるようになったも、環菜に会って話を聞くようになったからこそでしょう。
環菜と由紀は、似た種類の心の傷を抱えていました。
由紀はある人との出会いをきっかけにその心の傷を癒し、乗り越えるのですが、残念ながら環菜にはそんな機会がなかったということが、事件につながったのだろうと思います。
由紀も環菜も、心に傷を負うことになったきっかけのできごとは、人によっては「そんなことでそんなに傷つくの?」と思うかもしれないようなことです。
けれども誰もが強靭な精神力を持っているわけではないし、少女時代に受けた心の傷がどれほどその後の成長や人生に悪影響を及ぼすかということを考えると、「そんなこと」と思えるようなことでも軽視すべきではなく、いかに周りの人間が配慮できるかが重要になってくるのだと思います。
環菜がもう少し早く由紀に出会って適切なカウンセリングを受けていれば事件は回避できたのかもしれない、と思うと切ないですが、結果的に由紀も環菜の事件があったからこそ救われたのだと思うと、読者としても救われた思いでした。


本作には実はもうひとり、心に傷を抱えたまま生きていると思われる人物が登場します。
どうかその人も救われてほしいと願いながら本を閉じました。
静かな雰囲気の中に、救済と再生の光が差し込む優しい物語でした。
☆4つ。