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『蒲公英草紙 常野物語』恩田陸

蒲公英草紙 常野物語 (常野物語) (集英社文庫)

蒲公英草紙 常野物語 (常野物語) (集英社文庫)


懐かしく切ない傑作ファンタジー
20世紀初頭の東北の農村。少女峰子は、集落の名家・槙村家の聡子嬢の話し相手を務めていた。ある日、聡子の予言通りに村に謎めいた一家が訪ねてくる。不思議な力を持つ一族を描く感動長編。

う〜ん…この前の東野圭吾さんの『分身』でもそうだったけど、どうも集英社のホームページで紹介されているあらすじは微妙にずれているのが多いような…。
上記のあらすじでは「聡子の予言通りに」というところがちょっと引っかかる。
…ま、いいか(おい)。


あらすじが微妙でも(笑)、この作品はとてもよかったです。
シリーズ1作目の『光の帝国』は連作短編集でしたが、2作目のこちらは長編(と言ってもそんなにボリュームはありませんが)となっており、読み応えが何倍にも増しています。
舞台は、日清戦争が終わり、日露戦争がまだ始まる前の、つかの間の平和を享受していた日本。
東北地方の農村で、病弱な名家のお嬢様の話し相手をすることになった一人の少女の、大人へと成長していく日々が綴られています。
蒲公英草紙」というのはその少女が書き記した日記のタイトルなのですが、このタイトルにぴったりの、春の光のような優しさが満ち溢れています。
作中に描かれている少年少女たちの日々は、生き生きとしてとても楽しげです。
大人への階段を昇り始めるまでの、ほんの短い時間だからこそ、後で振り返ってみたときに美しく輝いて見えるのでしょうか。
時が流れ、少年少女時代をいつしか卒業し、時代を作る一人として大海へ漕ぎ出してゆく…その直前の、取り戻そうにも取り戻せない短い時のきらめきを、この作品は確かに捕まえています。
そしてまた、懐かしく、そしてどこか寂しいようなこの物語の雰囲気は、この作品が今の日本には失われてしまった「古きよきもの」を描いているからこそではないかと思います。
現代のように豊かではなくとも、娯楽が少なくとも、地域の者たちが老いも幼きも皆助け合いながら実直に働き、暮らしていた。
そんな幻想のようなキラキラと輝く世界がこの物語の中にあるのです。
でも、忘れてはいけないのは、この世界が決して空想の産物などではなく、確かに1世紀前の日本にはあったのだということ。
それを考えると、100年という年月はなんと長く、国の姿を大きく変えてしまうのだろうと、ため息混じりに思わずにはいられません。
新しい世紀の入り口に立ち、20世紀初めの日本人たちは、どこかきな臭いものを感じ取りつつも、新たな時代の到来を喜び、世界へ進出していつか欧米の列強とも肩を並べるのだという未来への希望に胸を膨らませていた。
一方、21世紀の扉をくぐった私たちは、未来への希望など抱けているでしょうか?
私がそうであるように、きっと多くの人が将来に対する不安を抱えていて、明るい展望など描けずにいると思います。
長い戦争の時代を経て、大きな犠牲の上に築き上げられた平和の時代を生きる私たちですが、20世紀初頭に生きた人々と一体どちらが幸せなのだろうと、思わず考え込んでしまいました。
けれども意外と未来への希望などない方が、その後その希望が失われた時の絶望が大きくなくてよいのかもしれません。
この作品の結末、明るく輝いているはずだった「未来」へと辿り着いた人々が見た現実を思うと、やはり悲しくなります。
ラストは涙なしには読めませんでした。


一方でこうした幻想のような時代設定だからこそ、不思議な力を持つ「常野」一族の存在も自然に物語に溶け込んでいるように思えます。
まだ「常野」の全貌が明らかになったわけではありませんが、少なくとも前作『光の帝国』から一歩進んで、彼らの生き様と宿命とがより理解できました。
彼らの「ちから」は決して世の中を大きく変えるようなものではないけれど、時代を作っていく一つの「流れ」なのだと。
世界の国々やそこに生きる人々を「さまざまな川の流れ」に例える箇所が作中にありましたが、非常にうまい比喩だと思いました。
現実の世界の姿も、常野一族の運命も、その一つの比喩でうまく説明されていると思います。
少しずつ「常野物語」という壮大な川の流れの一端が見えてきたようで、ますます続編が楽しみになってきました。
☆5つ。




♪本日のタイトル:コブクロ「Fragile mind」より