tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『流浪の月』凪良ゆう


あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

2020年の本屋大賞受賞作。
うわあ、これはすごい……。
幼い頃から読書が好きで、たくさんの本を読んできたつもりですが、それでもこんな読書体験は初めてだったと断言できます。
今まで味わったことのない読み心地に圧倒され、心をわしづかみにされました。


9歳で父と母を失い、伯母の家に引き取られた更紗。
けれども伯母の家は更紗にとっては地獄で、やがて彼女は公園でひとりじっと遊ぶ女の子たちを眺めている背の高い男性・文 (ふみ) の家に転がり込み、一緒に暮らし始めます。
ですが、19歳の大学生である文が9歳の小学生である更紗を自分の家に入れて共に暮らすというのは、世間的にはどう見ても誘拐で、やがて文は逮捕され、ふたりは引き離されます。
その後、大人になった更紗は、カフェのマスターとして働く文と再会しますが――。
9歳の女の子と、19歳の青年。
この組み合わせから連想するのは、小児性愛者とその被害者か、あるいは禁断の恋愛関係。
けれども、そんな連想をした時点で作者の掌の上で踊らされていると言えます。
更紗と文は決してそのような関係性ではなかったのです。
「男と女」の組み合わせを見ると、恋愛や性的関係をついつい当てはめてしまう、自分の中にある人間の関係性についての思い込みと偏見に、否応なく直面させられてウッと息が詰まります。
世間から見当はずれの同情をされ、好奇の目を向けられる更紗と、忌むべき犯罪者として蔑まれる文の姿は、現実にこのふたりが存在したら確かに世間の反応はこういうものになるだろう、そして私もその世間の一部になるだろうというのがリアルに想像できるだけに、胸が苦しくなりました。


とにかく本作は読む者の価値観や考え方に、それは本当に正しいのか?という疑問符を投げかけてくる物語です。
更紗とその両親の家庭はかなり自由な家庭で、その自由さは決していい意味ばかりではなく、世間的には間違ったこと、おかしなこととされるようなものも含まれています。
食事としてアイスを食べたり、子どもである更紗に暴力的な内容の映画を見せたり。
人によってはなんていい加減で問題のある家庭かと眉をひそめるでしょう。
けれども更紗はそのような家庭を作った父母を愛し、そこで育った幼少時代を素敵な思い出として胸に刻んでいます。
対照的に文は育児書に従う母親による厳格なしつけのもとで育ちました。
更紗の視点で描かれているということもあるのでしょうが、更紗と文、ふたりの生育環境を比べてみると、更紗の方がよかったのではないかと思えるのです。
家庭のあり方、育児のあり方における「正しさ」とは一体何なのかと、自分の中の価値観が強く揺さぶられるのを感じました。
一方、更紗と文の関係については、孤独な者どうしがお互いを必要とし、絆を深めていく過程に微笑ましいものも感じつつも、やはりどこか歪んでいるのでは、この関係は健全なものとはいえないのではないかという思いがぬぐい切れませんでした。
そして、その思いは終盤に明らかになるある事実によって、またその「正しさ」を問われることになります。
文のそばにいる心地よさや快適さを追い求める更紗にいまひとつ共感できなかったけれど、更紗も文の苦悩を自分だけが理解していると思っていたのは間違いだったと思い知らされ、そこでようやく読者としての私と、更紗の立場が重なったように感じました。
誰にでも偏見や思い込みはあるということ、そしてそれは、世間からの偏見に苦しむ被害者の代表のように描かれている更紗ですら、同じだったのです。


世間的に受け入れられない関係性というのは確かにあります。
でもそれを他者がうわべだけを見て「正しくない」と判断する権利はないのではないか、そもそもその「正しさ」の物差しは正しいのか。
更紗と文の、世間が想像するような関係ではなく、愛でも恋でもない、当人にしか理解し得ないような奇妙で不思議な関係に名前をつけるとしたら、どんな名前がぴったりくるだろう。
そんなことを考えながら読み終えました。
☆5つ。