『王とサーカス』米澤穂信

王とサーカス (創元推理文庫)

2001年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、編集者から海外旅行特集の協力を頼まれ、事前調査のためネパールに向かう。現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を送ろうとしていた太刀洗だったが、王宮では国王をはじめとする王族殺害事件が勃発。太刀洗は早速取材を開始したが、そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女の前にはひとつの死体が転がり……。『さよなら妖精』の出来事から十年のときを経て、太刀洗万智は異邦でふたたび大事件に遭遇する。

青春ミステリ『さよなら妖精』の登場人物である太刀洗万智が主人公の長編ミステリです。
先日『真実の10メートル手前』という短編集で太刀洗と再会したばかりですが、うれしいことに長編の方も早々に文庫化されました。
時系列的には『真実の10メートル手前』の収録作品の間に挟まる位置付けになっていますが、特にストーリー上つながりがあるわけではないので、どちらを先に読んでもいいし、どちらかだけでも全く問題なく楽しめるようになっています。
ですが、やはり両方を読むことによって、ジャーナリストとしての太刀洗の姿勢や仕事ぶりがより理解できることは間違いありません。
もちろん、ミステリとしても十二分に楽しめ、さすが米澤さんとうならされました。

新聞社を辞めてフリーのジャーナリストとなった太刀洗は、雑誌の海外旅行特集の取材のためにネパールの首都カトマンズに滞在します。
ところがネパール王家の皇太子が両親である国王夫妻をはじめとする王族を殺害、自らは自殺を図るという大事件が発生し、ネパール国内は混乱状態に陥ります。
予定を変更して事件の取材を始めた太刀洗ですが、その過程で出会った人物が何者かに殺害されるという、さらなる事件が起こります。
2001年に実際に起こった王族殺人事件を下敷きに、また別の殺人事件の謎を太刀洗が追う様子が描かれますが、ネパールという国の国情や文化に、太刀洗個人の新人フリージャーナリストとしての迷いと成長が絡んで、非常に読み応えのある物語に仕上がっていました。
事件の謎解きに、ネパールのことや太刀洗の職業意識までもが伏線として関わってくるというのがいいですね。
物語全体に統一感があり、異国であり異文化の中で起こる事件でありながら、遠い世界のできごとという感じがしませんでした。
謎解き自体に大きな仕掛けがあるわけではなく、どんでん返しのような驚きの要素もあまりありませんが、序盤から丁寧に張られた伏線が回収されていく過程は気持ちがよく、十分にカタルシスを感じることができます。

常に冷静で、頭も切れる印象の太刀洗ですが、ジャーナリストとしてのありかたに迷う姿には若さが感じられ、共感もできました。
カトマンズで同じ宿に泊まっている僧侶からお釈迦様の話を聞き、一度は迷いが晴れたように見えた太刀洗ですが、事件の謎を解き真実にたどり着いた時、彼女は自分の中にある冷酷さとジャーナリストの業に向き合わされることになります。
『さよなら妖精』のラストで自分が冷たい人間だと思われていることに対する怒りを吐き出した太刀洗が、時が経って他者から自分の冷たさを指摘されてどんな思いを抱いたか、想像すると胸が痛みます。
人としての情よりも仕事を優先できる彼女は、優秀なジャーナリストになれるかもしれませんが、そのことはずっと彼女を悩ませ続けることになるのかもしれません。
それでもジャーナリストという職業を選び、覚悟を決めた彼女は、前に進んでいくしかない。
彼女がこれからも抱えていくだろう痛みと決意を思うと、なんともほろ苦く、胸が苦しくなるような結末でした。

けれども、彼女に突き付けられた鋭い刃は、実は読者にも突き付けられているのだと思います。
報道の受け手として、私たちはマスコミが報じる悲劇を娯楽として消費し、悲劇の渦中にある人たちのことは同情しつつも所詮は他人事として捉えているのではないか。
そうした自分自身の姿勢からは目を背けて、あるいは無邪気にも気付かずに、偉そうに報道のありかたを批判したりしているのではないか。
そんな自省の念に駆られることになるとは予想もしていなかったので、ミステリとしてではなくその点にこそ一番強い衝撃を感じました。
おそらく、米澤さんは自分自身にも同じ刃を向けてこの作品を書いたのだと思います。
なんてストイックで厳しい作家さんなのだろう……と感嘆せずにはいられません。

本作は『さよなら妖精』の直接の続編というわけではない独立した作品ですが、太刀洗の人物像は一貫していて、過去のあの悲しい物語を経たからこそ本作における太刀洗が存在するのだと思わせてくれたのがうれしかったです。
そして、本作でジャーナリストとしての覚悟を固めた後の太刀洗を知ることができるのが『真実の10メートル手前』というわけですが、できることならさらにその先も読んでみたいと思いました。
彼女がどんなふうに事件や自分の仕事と向き合っていくのかをもっと読みたい。
ぜひシリーズとして続けていってほしいところです。
☆5つ。

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