tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『返事はいらない』宮部みゆき

返事はいらない (新潮文庫)

返事はいらない (新潮文庫)


失恋からコンピュータ犯罪の片棒を担ぐにいたる微妙な女性心理の動きを描く表題作。
『火車』の原型ともいえる「裏切らないで」。
切なくあたたかい「ドルシネアにようこそ」など6編を収録。
日々の生活と幻想が交錯する東京。街と人の姿を鮮やかに描き、爽やかでハートウォーミングな読後感を残す。
宮部みゆきワールドを確立し、その魅力の全てが凝縮された山本賞受賞前夜の作品集。

私が一番好きな作家、宮部みゆきさんの作品は、最初のうちは図書館で借りて読んでいたので、好きだけれども手元にはないというものが多いです。
しかし、やはり好きな作品は時々読み返してみたくなりますし、好きな作家の本くらいは全て揃えて並べておきたいという思いもあり、今少しずつ持っていなかった分を買い揃えていっています。
先日は短編集『返事はいらない』を買って、再読してみました。


収録されているどの作品も、東京という都会の真ん中で暮らす普通の人たちの生活の中で起こった事件を描いています。
どれも、ちょっと切なくて、ちょっとおかしくて、ちょっとやるせない。
短編という枠組みの中で、複数の人間の人生の断片を浮き上がらせ、その背後にある人間関係や社会問題までも見せてしまうのは見事としか言いようがありません。
登場人物はみな個性的で生き生きとしていて、心理描写や人間関係にもリアリティがあります。


特に気に入っている作品は『ドルシネアにようこそ』。
作家になる前は速記の勉強をしていたという宮部みゆきさん自身の経験から書かれているのと思われる、速記という特殊な仕事の一面を垣間見ることができてなかなか興味深いです。
もちろんそれだけではなく、作中で起こる事件とその顛末もおもしろいのです。
ブランドや見た目のかっこよさに価値を置く、現代の風潮を皮肉っているのが爽快かつ、少し切ない。
タイトルの「ドルシネアにようこそ」という言葉の使い方が非常にうまいなと思います。


他にも『言わずにおいて』の主人公OLの上司に対する言動は、働く女性ならきっと共感できるでしょうし、『私はついていない』の主人公の姉の、馬鹿だけれども憎めない性格にも思わずにんまりしてしまいます。
宮部みゆきさんは少年を書くのが非常にうまい作家ですが、女性の描写もうまいのです。
さらに、老人の描写も上手です。
つまり、人間を描くのがうまい作家なのです。
圧倒的な筆力で描かれた人間が織り成すさまざまな人間模様やそこに起こる事件を読むのは本当に楽しいものです。
時には嫌な人間もいるけれど、それもまた現実。
小説という虚構の世界でありながら、ありありと現実を映し出す宮部みゆきさんの作品を読んでいると、人間もまだまだそんなに捨てたものでもないな、と思えるのがうれしいです。