tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『嗤う伊右衛門』京極夏彦

嗤う伊右衛門 (角川文庫)

嗤う伊右衛門 (角川文庫)


愛憎、美と醜、正気と狂気…全ての境界をゆるがせにする著者渾身の傑作怪談


鶴屋南北「東海道四谷怪談」と実録小説「四谷雑談集」を下敷きに、伊右衛門とお岩夫婦の物語を怪しく美しく、新たによみがえらせた、京極版「四谷怪談」

すぐれたミステリ小説が次々に映画化されて話題になっている昨今。
唐沢寿明と小雪主演で話題になっている映画といえば、京極夏彦原作の『嗤う伊右衛門』です。
京極さんの直木賞受賞も重なって、どこの書店でも新しい装丁になった原作本が平積みされています。
ちょうど「大極宮フェア」の開催も重なって何か買おうと思っていた私も、このブームに乗ることにしました。


時代小説とホラーが苦手な私は、今まで京極作品を食わず嫌いしていました。
しかし、この作品で苦手意識は一掃されました。
文体がすごく読みやすかったのです。
短い文や単語を畳み掛けるように並べる独特の文体ですが、改行が多く、意外にすらすらと読めて、場面の状況が頭の中に映像になって浮かび、把握しやすかったです。
もちろん現代の日本語とは異なる読み方をする漢字や、今では使われないような言葉も出ては来るのですが、数としてはそれほど多くはなく、内容も理解しやすいです。
これは京極さんがじっくりと言葉を吟味し、読者に対する配慮を惜しまず書いているからなのでしょうね。
さまざまな機会に京極さんは「自分は職人だ」と述べています。
職人として一つ一つの作品に惜しみない愛情を注ぎながら、大切に創りあげているのだろう、そう思わせる作品でした。


また、話の内容も、私が危惧していたようなグロテスクさやおどろおどろしさというものとは全く異なる類の妖しさと切なさがこめられたものでした。
この作品はかの有名な『四谷怪談』のお岩さんの話を下敷きにしています。
「お岩さん」と言われると恐ろしい怪談を想像してしまいますが、この作品に出てくるお岩さんは、そうした怪談にあるイメージとは全く異なっていました。
嗤う伊右衛門』のヒロイン・岩は、確かに醜い容貌と、激しい気性を持つ鬼女として皆に笑われています。
しかし、岩はそのような嘲笑に負けてはいません。
強い信念と自立心を持つ、とても強い、ある意味現代的な女性なのです。
そして、夫・伊右衛門に心を寄せながらも、気が強いばかりになかなか素直になれず、結果としてけんかばかりしています。
このような岩の姿に共感する女性は多いのではないでしょうか。
そしてまた、夫である伊右衛門も、妻を外見で判断はせず、岩の内に秘められた本当の彼女のよさを見抜き、哀しいくらいにひたむきに彼女を愛しているのです。
この点も従来の四谷怪談とは異なっていますね。


この作品は、紛れもなく純愛小説です。
途中で起こる人殺しの真相暴きなど、確かにミステリ的な側面もあります。
しかし、作品全体を貫くものは、岩と伊右衛門の一途な愛です。
おなじみの岩の言葉、「恨めしや」も、この作品中では怪談の中の岩の同じ言葉とは、違う意味合いを持って響きます。
とても切なく、哀しく、いとおしい響きです。
やりきれない結末ではありましたが、夫婦愛の一つの形として、我々現代人が学ぶところも多いのではないでしょうか。


映画は原作とは少し違うらしいですね。
より岩と伊右衛門の純愛の部分に力を入れているようですが、CMなどで見る限りは雰囲気は損なっていなさそうです。
明日から公開。
観に行ってみようかな。