tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『希望荘』宮部みゆき

希望荘 (文春文庫 み 17-14)

希望荘 (文春文庫 み 17-14)


今多コンツェルン会長の娘である妻と離婚した杉村三郎は、愛娘とも別れ、仕事も失い、東京都北区に私立探偵事務所を開設する。ある日、亡き父が生前に残した「昔、人を殺した」という告白の真偽を調べてほしいという依頼が舞い込む。依頼人によれば、父親は妻の不倫による離婚後、息子との再会までに30年の空白があったという。はたして本当に人殺しはあったのか――。
表題作の「希望荘」をはじめ計4篇を収録。新たなスタートを切った2011年の3.11前後の杉村三郎を描くシリーズ最新作。
『誰か』『名もなき毒』『ペテロの葬列』に続く人気シリーズ第4弾。

「杉村三郎」シリーズ第3弾。
前作『ペテロの葬列』での衝撃的な急展開の後、人生の新たな局面に舵を切った杉村三郎の物語は、いよいよこの巻からが本番と言えるのではないかと思います。
いわば「序章」に単行本3冊も費やすなんて、宮部さんらしいなという感じがします。
そうやって丁寧に杉村の人となりと私立探偵になるまでの過程を描いた甲斐あって、シリーズ読者は本作での杉村の新米探偵ぶりを、古くからの友人を見守るような気持ちで楽しめるのではないでしょうか。


何しろ私立探偵として探偵事務所を開くきっかけとなるのが妻の裏切りからの離婚、アラフォーにして単身でやり直し、という展開ですから、侘しさや寂しさといったマイナス寄りの感情がつきまとう物語になりかねないと少々危惧していましたが、思った以上に杉村がサバサバしているというか、前向きに新しい生活と仕事に取り組む様子が描かれていて安堵しました。
もちろん家族を一気に失った寂しさは隠せないところもありますが、それでもしっかり気持ちに整理をつけて、前に向かって力強く歩み始める様子が読み取れます。
収録作4作のうち、「聖域」が杉村が探偵事務所を構えて初めて依頼された事件の話で、「砂男」が離婚直後の杉村を描いた物語です。
この2作を読むことで、杉村が離婚してから探偵になるまでの経緯と、駆け出し探偵としての仕事ぶりが分かります。
感情を隠すのに苦労したり、情報を引き出すための嘘をついてみたりと、少しずつ探偵らしくなっていく杉村に自然とエールを送りたくなりました。
事件そのものも、派手さはないながら現代の日本社会のひずみや歪みを象徴するような事件ばかりで、非常に印象的です。
この辺りはシリーズ1作目からの流れをしっかり継承していて、物語が大きく転換したからといって宮部さんが描こうとしているものが変わったわけではないということが、はっきりと感じられました。


そして、もうひとつ印象的なのが、本作から作中での日付が明示されるようになったことです。
杉村が離婚したのはいつのことだったのか、探偵事務所を開設したのはいつだったかが、何年何月何日と明確に示されます。
これは間違いなく、収録作品4作目の「二重身 (ドッペルゲンガー)」の物語を描くためだったのだろうと思います。
「二重身」は東日本大震災後に行方不明になった男をめぐる事件の物語なのです。
舞台はあくまでも杉村が住む東京が中心なので、被災地を直接的に描いているわけではありませんが、未曽有の大災害と原発事故に見舞われた直後の日本に漂っていた非日常的な空気感を生々しく思い出させる作品です。
この災害を機に、杉村は「あの震災で世の中が変わったところ、変わらなかったところ、変わらなければならないのに変わり得なかったところ、変わりたくないのに変えられてしまったところ――それらのせめぎ合いから生じる歪みが案件となって現れたものを扱うことになるだろう」と考えるようになるのですが、これこそ宮部さん自身が今後このシリーズで描いていきたいと決意したテーマなのだろうと思います。
あれだけの大きな出来事を経て、日本という国が、社会が、国民が、全く変わらないということはあり得ない。
「震災後」のこの国をどう描いていくかというのは、社会派といわれる作品を書くすべての作家さんにとって大きな命題ではないかと思いますが、宮部さんは本シリーズで杉村の探偵活動を通して描いていくと決め、その結果生まれたのが本作なのだなと感じました。
そこには宮部さんの並々ならぬ覚悟と決意が感じられますし、軸となるテーマがしっかり定まったことで、「杉村三郎」シリーズはさらに先行きが楽しみなシリーズになったと言えます。


心を揺さぶる宮部さんのストーリーテラーぶりも健在で、表題作「希望荘」の結末にはじわりと涙がにじみました。
本作の文庫化と重なるタイミングで5作目の『昨日がなければ明日もない』の単行本も刊行され、どうやら本シリーズとは長い付き合いになりそうだという予感がします。
宮部さんの目に映る「震災後の日本」が、杉村三郎が関わる事件を通して描き出されていくのを、見届けていきたいと思います。
☆4つ。




●関連過去記事●
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『栞子さんの本棚2 ビブリア古書堂セレクトブック』


大きな電気工場から大金を盗み出した紳士盗賊は、捕まった後も金のありかを白状しなかった。一方、私は同居人の松村から、ちょっと変わった二銭銅貨の出どころについて執拗に問いただされる…。(「二銭銅貨江戸川乱歩)。乱歩、横溝正史夢野久作らが書き継いだ合作、妖婦蘭子の魔性の生涯を描く「江川蘭子」ほか、シェイクスピア太宰治など「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズで紹介された古今東西の名作を厳選収録。

「ビブリア古書堂」シリーズ本編に登場した作品の数々を収録したアンソロジーの第2弾です。
普段から古書店に縁がないと入手が難しそうな作品も収録されているのがありがたいですね。
ただ、さすがに複数の作品をまるごと全部収録するのは難しく、一部抜粋となっている作品もあるので、このアンソロジーを入り口に読みたいものを見つけて、古書店に足を運んで底本を探して読む、というのがよさそうです。
一部抜粋のものは「ビブリア古書堂」シリーズ本編の中で触れられている箇所を収録しているのですが、ここから面白いところなのでは?というようなところで終わってしまっているものもあり、ちょっと消化不良というかモヤモヤが残ってしまって、気持ちがすんなり次の作品に移れないということもありました。
これはもう、素直に底本を探しに行けということですよね。
そういう意味では純粋なアンソロジーとは言いづらく、ブックガイドとしての側面が強い1冊です。


今回は読んだことはなくとも名前は誰もが知っている有名どころの作家の作品が多く、比較的とっつきやすい内容になっているのではないかと思います。
特に江戸川乱歩の作品は5作品も収録されていて、そのどれもが強い印象を残す作品ばかりです。
子どもの頃に「少年探偵団」シリーズを読んで以来なので、本当にかなり久しぶりに江戸川乱歩作品に触れることになりましたが、どれも面白かったです。
もともと私がミステリというジャンルを好きになるきっかけとなったのが「少年探偵団」シリーズだったので、昔ワクワクしながら読んだ気持ちがよみがえるようでした。
特に「黄金仮面」と「二銭銅貨」が好きです。
「黄金仮面」は続きが気になるので、早速探しに行かなくては。


また、英文学科出身の私としてはシェイクスピアの2作品 (「ヴェニスの商人」と「ハムレット」) が収録されているのも見逃せません。
これまでに読んだことのあるシェイクスピア作品は「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「リア王」「マクベス」となぜか悲劇ばかりだったので、「ヴェニスの商人」は新鮮でした。
収録されているのがごく一場面だけなので、登場人物たちの関係性やどういう状況の場面なのかが把握しづらかったのも確かですが、シェイクスピアらしい皮肉たっぷりの辛辣なせりふ回しなど、エッセンスは十分に楽しめました。
いつか喜劇作品も読んでみようとはずっと思っていて、なかなか手が回らずにいたのですが、これは「ヴェニスの商人」を読むべきでしょうね。
いいきっかけをもらえた気がします。


他には、戦時中の子どもたちの疎開生活を描いた小林信彦の「冬の神話」と、聖書の物語をベースにした太宰治の「駈込み訴え」が印象に残りました。
「駈込み訴え」はほとんど改行がなく、文字がびっしり詰まっていることにも驚きました。
巻末には各作品が「ビブリア古書堂」シリーズに登場した場面も転載されているので、本編を忘れてしまっていても安心です。
親切設計のブックガイドで、新たな読書体験への扉を開いてくれる本だと思います。
☆4つ。


●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp

2018年12月の注目文庫化情報


今年もいよいよあと1か月を切りました。
なんだか焦ってしまいますが、忙しくも楽しい時期。
体調を崩さないようにだけは気をつけたいですね。


今月は読みたい文庫新刊は少なめ。
年末は忙しいので読書もなかなか進みませんが、そろそろ今年のベスト10も選ばなければ。
もちろん年末年始に読む本を仕入れておくのも忘れてはいけません。
そう考えるとやっぱり気忙しいですね。
読書はあくまでも娯楽であり、息抜きであるということを忘れないようにしたいと思います。