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tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ペテロの葬列』宮部みゆき


「皆さん、お静かに。動かないでください」。拳銃を持った、丁寧な口調の老人が企てたバスジャック。乗客の一人に、杉村三郎がいた。呆気なく解決したと思われたその事件は、しかし、日本社会のそして人間の心に潜む巨大な闇への入り口にすぎなかった。連続ドラマ化もされた、『誰か』『名もなき毒』に続く杉村シリーズ第3作。

本人はごくごく普通の、家族を大事にするサラリーマン・杉村三郎。
しかし彼の妻は、今多コンツェルンという一大企業グループの会長の外腹の娘で、杉村は結婚する際の条件として、それまで勤めていた出版社を辞めて今多コンツェルンの会長室直属の社内報編集部へ。
「逆玉の輿」の、微妙な立場ゆえの苦悩もあれど、愛しい妻と娘と幸せに暮らしている杉村でしたが、シリーズが進むにつれ、厄介な事件に巻き込まれていくようになりました。
シリーズ2作目『名もなき毒』では最愛の家族が危険に晒されましたが、今回は杉村が仕事で利用したバスがなんと乗っ取られてしまいます。
バスジャック事件は無事解決を見ますが、後日、その事件はさらに大きな闇と悪意に繋がるものだったということが判明します。


宮部さんの他の現代ミステリ作品、たとえば『模倣犯』や『ソロモンの偽証』などに比べると、この「杉村三郎」シリーズは少々地味な感じがしていました。
が、この3作目『ペテロの葬列』で、一気にスケールが広がった気がします。
誰にでも起こり得るような、日常に忍び寄る悪意の怖さを描いたのが前2作だったと思いますが、今作はマルチ商法や詐欺という、国全体に影響するような大きな組織的犯罪が登場します。
そして、そこから派生する犯罪も描かれています。
宮部さんの作品では『火車』が本作にわりと近いかなと思いますが、「お金」の怖さを改めて思い知らされました。
もちろんお金は生きていくためにも、夢を叶えるためにも、遊ぶためにも、必ず必要なもの。
お金がないのも不幸の元になりますが、お金がたくさんあったら幸せかというと、決してそうとも言えない。
むしろお金があるがゆえに不幸にもなり得るし、お金が人を変えることもある。
嫉妬や恨みといった、負の感情を生み、それが悪意にもつながっていくのです。
「お金が欲しい」という誰もが持つ気持ちを利用する人間の悪意の恐ろしさと卑劣さに、背筋が寒くなりました。


そして、本作の読みどころは何と言っても終盤の展開でしょう。
突然、思いがけない形でいくつもの別れが杉村に訪れます。
杉村自身が決めた別れもあれば、避けたかった別れもあると思いますが、どんな形であれ、ある人物が言うように「別離は辛い」ものです。
読んでいる私にも、杉村の辛い思いが伝わってきて、エピローグはほとんど泣きながら読んでいました。
実は『ソロモンの偽証』の文庫版最終巻に収録されている短編が、時系列的に本作の後にあたり、杉村がどんな決断をしてどんな道を進むのか知ってから本作を読んだのですが、それでもその決断に至る経緯には意外さもあり、なかなかの衝撃的展開でした。
ただ、「意外」とは言っても、シリーズの最初の方からすでにこの展開につながり得る「危うさ」は感じていました。
ですから読み終わってみると驚きと同じくらい納得するような気持ちもあり、そのおかげで読後感はそれほど悪いものではありませんでした。
愛する人や自分の気持ちに嘘をつかずに自分が本当にやりたいことを自由にできるようになるのならば、本作の結末は杉村にとって救いであり希望なのだと思います。
そして、このシリーズの愛読者として、ぜひそうなってほしいと望んでいます。


そう思っていたら、早速この杉村シリーズの新作『希望荘』が近日刊行のようですね。
杉村の新しい人生の幕開けが読めるのを、楽しみに待っています。
シリーズの転回点となる、非常に読み応えある作品でした。
☆5つ。


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