tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『吉祥寺の朝日奈くん』中田永一

吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)

吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)


彼女の名前は、上から読んでも下から読んでも、山田真野。吉祥寺の喫茶店に勤める細身で美人の彼女に会いたくて、僕はその店に通い詰めていた。とあるきっかけで仲良くなることに成功したものの、彼女には何か背景がありそうだ…。愛の永続性を祈る心情の瑞々しさが胸を打つ表題作など、せつない五つの恋愛模様を収録。

『百瀬、こっちを向いて。』に続いて中田永一さんの作品は2作目。
中田永一」名義ではまだ作品数は少ないですが、それ以前に別名義でしっかりと実績のある作家さんなので、さすがの安定感で安心して読めます。


恋愛をテーマにした5つの短編を収めた作品集ですが、どの作品も少しずつ趣が違って、いろんな味わいを楽しめます。
ベタベタに甘いラブコメではなく、静かでありながらひたむきな想いが描かれていて、恋愛小説が苦手な人でも読みやすいのではないかと思います。
そして中田永一さんといえば、恋愛小説にミステリの手法を絡めているのが特徴。
この短編集でもいくつかの作品でミステリ的な仕掛けが用意されています。
それが単なる恋愛小説に終わらない展開の意外性を物語に加えていて、新鮮な感じがします。


では5編それぞれの感想を。
「交換日記はじめました!」は、タイトル通り交換日記形式の作品です。
手紙形式はよく見ますが、交換日記形式はちょっと珍しいかな。
どうやら付き合い始めらしいカップルが交換日記を始めますが、やがてこの日記帳はなかなか数奇な運命をたどり、書き手が何人か増えていきます。
書き手が変わっていくのも面白かったですが、意外な展開が面白かったです。
5編の中で一番ミステリ的な驚きがあるのがこの作品でしょうか。
ラストの予想外の展開も好きです。


「ラクガキをめぐる冒険」は中学時代に起こった、2件続けて教室の机に落書きが書かれた事件をめぐる話です。
この落書き事件の真相も読みどころですが、主人公の恋の行方も読みどころ。
ちょっと切ないですが、最後はなんだかほのぼのとした気持ちになりました。


「三角形はこわさないでおく」、これはタイトルから予想できる通り三角関係の話です。
恋愛小説としてはこの作品が一番よかったです。
三角不等式や三角形のおにぎりなど、高校生活の中にある三角形のものが、男子2人と女子1人の微妙な関係と結び付けられて登場するのが面白いです。
三角関係は、少なくとも1つの恋はうまくいかないというちょっと切ない関係だけれど、3人が出した結論にこれまたほのぼのとしました。


「うるさいおなか」はちょっと他の作品と毛色が違った感じです。
お腹がよく鳴ってしまうことに悩まされている女子高生と、その音に気付いて正面からずばり指摘してきた茶髪の男子。
お腹の音の表現の仕方がユーモラスで、何度か思わず笑ってしまいました。
恋なのか恋じゃないのかよく分からない、主人公たちの関係も絶妙なバランスです。


そしてラストが表題作「吉祥寺の朝日奈くん」。
夫のいる女性に惹かれてしまう元劇団員の朝日奈くん。
罪悪感に悩まされながら、それでも最後の一線は越えないまま交流を深めていく2人。
これも意外な事実が明らかになり、それまで読んでいた物語の様相がガラッと変わる、ミステリ的展開が魅力です。
ラストは何とも言えず切ないですが、それでもどこかすがすがしさを感じさせる終わり方でした。


表題作以外は中高生時代の恋愛を描いた作品だったので、なんとなく懐かしい雰囲気もあり、切ないながらも優しい気持ちになれる短編集でした。
映画「吉祥寺の朝日奈くん」に出演した女優の星野真里さんが解説を書かれていますが、謙虚で誠実な文章がこの短編集の雰囲気に合っていて、巻末まで作品世界を十分に楽しめました。
☆4つ。