tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『おまえさん』宮部みゆき

おまえさん(上) (講談社文庫)

おまえさん(上) (講談社文庫)


おまえさん(下) (講談社文庫)

おまえさん(下) (講談社文庫)


痒み止めの新薬「王疹膏」を売り出していた瓶屋の主人、新兵衛が斬り殺された。本所深川の同心・平四郎は、将来を嘱望される同心の信之輔と調べに乗り出す。検分にやってきた八丁堀の変わり者“ご隠居”源右衛門はその斬り口が少し前に見つかった身元不明の亡骸と同じだと断言する。両者に通じる因縁とは。『ぼんくら』『日暮らし』に続くシリーズ第3作。

「ぼんくら同心」平四郎や甥っ子の美少年・弓之助が江戸の町で起こった事件の謎を解き明かすこのシリーズ、時代物でありながらとても読みやすく、謎解きも普通のミステリのような感覚で読めるので、時代物が苦手な人にもおすすめです。
現に私も、このシリーズのおかげで時代物が苦手だったのを克服することができました。
何と言っても宮部さんの時代物は、人情にあふれていて心がほっこりするところがいいのです。


シリーズも3作目となると、登場人物の性格付けや人間関係もしっかり定まって、安心の安定感のある物語となっています。
平四郎は相変わらずの面倒くさがりで、お徳のお菜(かず)屋さんで油を売っていますし、お徳さんはおさんとおもんという2人の従業員を得てますます商売に精を出し、新たな料理作りにも取り組んでいます。
14歳となった弓之助と「おでこ」こと三太郎はそれぞれ子どもから少年へと確実に成長し、平四郎や岡っ引きの政五郎をしっかり助けて働く一方、勉強の方にも力を入れています。
こうした馴染みのキャラクターの変わらないところ・変わっていくところを読めることこそ、シリーズものを追いかける一番の楽しみだと思います。
特に、優しさも厳しさも兼ね備えた大人たちに見守られて、まっすぐに成長してゆく弓之助とおでこの姿に、微笑ましいようなまぶしいような、そんなうれしい気持ちになりました。


そして、今作の新たな登場人物たちも、それぞれに魅力的だったり印象的だったりします。
私が特に気に入ったのは、同心の信之輔と、弓之助の兄である淳三郎の2人です。
堅物で真面目な信之輔と、道楽者で遊び人の淳三郎という、一見対照的な2人で、信之輔の方は淳三郎に嫉妬心のようなものも抱いているようですが、組んでみれば意外に互いに足りない部分を補い合っていいコンビになりそうな気もします。
信之輔は見た目は不細工なのですが、同心としては若くても非常に能力が高く、これからが楽しみな人物です。
なんとなく読んでいて「頑張って!」と声援を送りたくなるタイプのキャラクターだと思いました。
淳三郎は単なる遊び人ではなく、弓之助ほどの鋭さはなくとも頭もよく、商売の才能もあり、人当たりがよくて、誰とでもすぐ打ち解けることができます。
だからこそ、ふらふらと遊び歩いていても、弓之助をはじめとする家族にとっても憎めない存在なのでしょう。
遊び人タイプでもちゃんと筋は通っているというところが、宮部さんの描く人物らしいなぁという気がしました。


そんな登場人物たちが出会う今回の事件には、いくつかの「恋」が絡んでいます。
幸せな恋もあれば叶わぬ恋もあり…微笑ましくなったり、切ない気持ちになったりと、読んでいる側としてもなんだか登場人物たちと一緒に恋を追体験しているような感じでした。
楽しいばかりではないけれど、それでも男と女がこの世に存在する限り、人は必ず恋をする。
そうして、その恋から生まれたさまざまな想いこそが、人を成長させたり、道を踏み誤らせたりしながら、人々の暮らしを作ってゆくのだなぁと、感慨のようなものを覚えました。
それは時代が違っても全く変わらない人間の心の営みで、時代はそうやってつながってきたのだと思うとなんだか胸がいっぱいになります。
事件の中枢に関わる信之輔の恋が切なくて苦しくて一番印象には残りましたが、この先気になるのは弓之助とおでこの恋ですね。
弓之助にはまだ誰か特定の想い人がいるわけではないようですが、それでもいずれ近いうちには彼も恋をするのでしょうし、そうなった時に並外れた美貌と頭脳を持つ彼が、どのような女性をどのように愛するようになるのか、とても気になるところです。
これは今後のシリーズ続編でのお楽しみですね。


ミステリとしては、事件の犯人も動機も顛末もあまり意外性がなく平凡なところに落ち着いたかなという感じではありましたが、いつも通り人間の心の動きが丁寧に描かれていて、人間のあたたかさも愛おしさも愚かさも罪深さも存分に感じられる物語でした。
☆4つ。