tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『悪の芽』貫井徳郎


大手銀行に勤める41歳の安達は、無差別大量殺傷事件のニュースに衝撃を受ける。40人近くを襲ってその場で焼身自殺した男が、小学校時代の同級生だったのだ。あの頃、俺はあいつに取り返しのつかない過ちを犯した。この事件は、俺の「罪」なのか――。懊悩する安達は、凶行の原点を求めて犯人の人生を辿っていく。彼の壮絶な怒りと絶望を知った安達が、最後に見た景色とは。誰の心にも兆す“悪”に鋭く切り込んだ、傑作長編ミステリ!

「ミステリ」と紹介されていますが、謎解きというよりは人が誰しも自覚のないままに犯しているかもしれない「罪」に着目し掘り下げる作品です。
いじめ、ロスジェネ、ブラック企業、職業差別、SNSにおける誹謗中傷といった社会問題が取り上げられており、貫井さんらしい硬派な社会派ミステリを通して、あれこれ考えさせられました。


アニメの大規模イベント会場で発生した無差別殺傷事件。
自殺した犯人・斎木が小学校時代の同級生だと気づいた銀行員の安達は、精神のバランスを崩しパニック障害を発症します。
小学校時代の斎木はいじめられており、安達はいじめに加担はしなかったものの、いじめのきっかけとなったある一言を発し、その後はいじめの傍観者となったのでした。
そのいじめにより不登校となったことから人生が暗転した斎木が社会に恨みを抱いたことが犯行につながったのではないかと恐れた安達は、パニック障害で休職することになり、自分で事件の動機を探ろうと斎木のアルバイト先など関係者をあたります。
同い年で同じ小学校に通った斎木と安達の対照的な人生が非常に印象的です。
いじめられて不登校になり、その後大学は卒業したものの、就職氷河期で就職活動がうまくいかず、ブラック企業勤務から最終的にはファミレスのアルバイトでなんとか生活していた斎木。
独身で友達も少ない孤独な生活を送っていました。
一方、子どもの頃から成績優秀だった安達は、一流の都市銀行に勤め、賢い妻とかわいい2人の娘に恵まれて順風満帆の人生を謳歌しています。
斎木が社会を震撼させた大事件の犯人だと知るまでは。


自分がいじめを誘発する一言を発したことに、何十年も経ってから罪悪感を覚える安達は少々身勝手で能天気なようにも見えます。
けれども、誰にでも同じようなところがあると言えるのではないかと、考えさせられました。
ちょっとした悪意や偏見などによって人を傷つけた経験など、誰にでもあるはずです。
それが子どもの頃のことだからというのは、免罪符になるのでしょうか。
安達は斎木が事件を起こすまで、自分が斎木のいじめのきっかけを作ったことも忘れていました。
何の問題もなく順調だと思っていた自分の人生に対する認識をひっくり返された安達が受けた衝撃がいかに大きかったかは想像に難くありません。
けれども、まったく何の汚点もない人生を送っている人などいるのでしょうか。
それを考えると、安達は確かに斎木に対してひどいことをしましたが、自らの過ちに気づき、その事実を受け止めようとしたことは立派だとも言えます。
多くの人は自分が過去に犯した「罪」になど気づくこともなく忘れたまま生きている、というのが現実ではないのか。
自分も例外ではないのではないか――と考えるととても怖くなりました。


大きな事件が起こると、どうしてそんな事件が起こったのか、どうすれば防げたのか、と誰もが考えます。
けれども答えはそう簡単には出ない。
きっと犯人の人生におけるさまざまな要素が複雑に絡み合って動機につながっているはずだからです。
そう簡単に凶悪犯罪が防げるわけではないけれど、小さな悪の芽を少しずつ摘み取っていくことが、よりよい社会に、そして犯罪の抑止につながっていくのかもしれない。
そんな小さな希望を抱かせてくれる物語でした。
☆4つ。

『滅びの前のシャングリラ』凪良ゆう


「明日死ねたら楽なのにとずっと夢見ていた。
なのに最期の最期になって、もう少し生きてみてもよかったと思っている」
「一ヶ月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」。学校でいじめを受ける友樹、人を殺したヤクザの信士、恋人から逃げ出した静香。そして――荒廃していく世界の中で、人生をうまく生きられなかった人びとは、最期の時までをどう過ごすのか。滅びゆく運命の中で、幸せについて問う傑作。

もはや本屋大賞ノミネートの常連になっている凪良ゆうさん。
本作は滅亡することが確定した地球で最期までの時間を過ごす人々の物語。
――ん?どこかで聞いたことのある設定だな、と思いました。
もう20年以上も前の学生時代に読んだ新井素子さんの名作、『ひとめあなたに…』と設定がほぼ同じなのです。
当時大好きで何度も読み返した新井さんの作品、凪良ゆうさんも好きで大いに影響を受けて書いたのが本作と知って、感激しました。
さらに、巻末には凪良さんと新井素子さんとの対談まで収録されていて、驚くやらうれしいやら懐かしいやらで感情が忙しいことにもなりました。
長年読書を続けていると、思わぬところで作品どうしがつながってくることがあり、それが喜びのひとつです。


ある日突然、1か月後に小惑星が地球に激突することが判明し、ほとんどの人が死ぬことになるだろうと発表されます。
当然ながら、世界はパニックになり、徐々に秩序や道徳が失われていきます。
暴力行為や略奪があちこちで起こり、食べ物やその他の生活必需品が手に入りにくくなり、移動が困難になり、インターネットもつながりにくくなって、荒廃していく世界。
そんな地球滅亡までの1か月間をなんとか生き抜こうとする、生きづらさを抱えた4人の人物の物語が描かれます。
一人目はいじめられっ子の高校生・江那友樹 (えなゆうき)。
憧れの同級生・藤森雪絵が東京に行こうとしていることを知り、道中の彼女を守ろうと家を出ます。
二人目は中途半端なチンピラとして生きてきた40歳の目力信士 (めぢからしんじ)。
何かと信士に目をかけてくれた五島に命じられ、ある大物ヤクザを殺した信士を待っていたのは、地球が滅亡するというニュースでした。
三人目は友樹の母、江那静香。
シングルマザーとして生きてきた静香は、地球滅亡を前にして、友樹を最後まで守り抜こうと固く決意します。
四人目は生き馬の目を抜くような芸能界で生きてきた人気女性歌手Loco。
自身のマネージャーであり愛人関係にあった男を殺した彼女は、地球滅亡目前でLocoになる前の山田路子に戻って、故郷の大阪で昔の仲間たちと共に最後のライブを開催します。


もしもあとわずかで地球が滅びることが確定してしまったらどうするか。
自暴自棄になったり、犯罪行為に走ったり、何とか普段通りの生活を維持しようと抗ったり――人によって、その反応はさまざまでしょう。
本作のメインの人物として登場する友樹、信士、静香、路子はみな、最後まで生き抜こうとする人たちです。
自分の最期が迫っているという事実を突き付けられても彼らはそれほど取り乱したりしないし絶望したりもしておらず、強い人たちだなと感じましたが、現実感がないというのも実際のところなのでしょう。
避けられないものならどうしようもない、という諦観も感じられます。
それでも信じたくない事実を受け入れられずに狂っていく人たちも多く、世界は秩序を失い、小惑星の衝突を待たずとも壊れていきます。
そんな中で友樹たちと雪絵を加えた5人が家族としての機能や絆を取り戻し、最期を目前にして自分らしく生きられるようになっていくという、その対比が印象的でした。
最後だからこそ、自分を見つめなおして素直になれた、ということはあるのでしょう。
いじめられ、好きな女の子の前で惨めな思いをしていた友樹、親の愛を信じきれない雪絵、いつまで経ってもろくでもない下っ端チンピラのままの信士、友樹を妊娠したことをきっかけに恋人の暴力を恐れて逃げずにいられなかった静香、競争が厳しい芸能界で疲弊しきっていた路子。
生きづらさを抱えていた人たちが最後の最後に生きる希望や小さな幸せを見出すというのは非常に皮肉ですが、そういうものなのかもしれないという妙な納得感もありました。


地球滅亡までのカウントダウンを描くディストピア小説でありながら、確かに希望や幸福が感じられる作品でもあります。
ただやはり、その希望や幸福が期限付きで刹那的なものであるということがなんともいえず切なく悲しいことも否めません。
読後感は悪くはありませんが、とても複雑な気分でした。
地球滅亡を回避しようと奮闘するでもなく、ただただ、滅びの時を前にした普通の人々の最後の時間を描いているだけではあるのですが、だからこそ「生き方」について考えさせられました。
☆4つ。

『犬がいた季節』伊吹有喜


1988年夏の終わりのある日、高校に迷い込んだ一匹の白い子犬。「コーシロー」と名付けられ、以来、生徒とともに学校生活を送ってゆく。
初年度に卒業していった、ある優しい少女の面影をずっと胸に秘めながら…。
昭和から平成、そして令和へと続く時代を背景に、コーシローが見つめ続けた18歳の逡巡や決意を、瑞々しく描く。
山本周五郎賞候補、2021年本屋大賞第3位に輝いた青春小説の傑作。

高校を舞台にした青春小説ということで、すっかり高校時代が遠くなってしまった私には共感しづらいかなと思いつつ読み始めたのですが、むしろ私の世代の心にこそ刺さる小説でした。
具体的に言うと、平成初期から中盤くらいに高校生活を送った世代。
当時の世相や自分にも覚えのある感情に懐かしさがこみあげてきて、ずっと涙腺が緩みっぱなしでした。


舞台は四日市市の伝統ある公立高校、八陵高校、通称ハチコー。
作者である伊吹有喜さんの母校、三重県四日市高校がモデルとなっているとのことです。
本作は高校で飼われることになった犬の視点で歴代の高校生たちの青春物語が紡がれるのですが、高校で犬を飼うなんてそんな柔軟な学校もあるのかと思ったので、実在の高校で実際に犬が飼われていたという実話を元にしているのは少し驚きでした。
捨てられた犬を保護した生徒たちも、その犬の引き取り手が見つからないとなったら学校内で飼育することを許可する校長先生も、なんて優しくて素敵な人たちなんだろう、きっとこの学校はいい学校だと、もうそれだけで心を奪われてしまいました。


第1話は昭和63年度、昭和から平成へと代替わりした年にハチコーに子犬がやってきて、その子犬の名前コーシローのもとになった美術部部長の光司郎と、美術部員の優花の切ない恋物語
第2話は平成3年度、相性が悪かったはずが、ふたりともF1が大好きだとわかって急速に接近し、一緒に鈴鹿サーキットアイルトン・セナを見に行くことになる堀田と相羽という男子2人の友情物語。
第3話は平成6年度、阪神・淡路大震災で被災した祖母を自宅に引き取り同居することになった奈津子の進路選択の物語。
第4話は平成9年度、東京の大学に進学して家を出るために援助交際でお金を稼ぐ詩乃と、仲間とバンドを組んで音楽活動をしている鷲尾の物語。
第5話は平成11年度、子どもの頃に近所の優しいパン屋のお姉さんだった優花に初恋をした大輔と、英語科教員として母校ハチコーに戻ってきた優花の物語。
その年ごとのできごとや流行を盛り込みながら描かれる出会いと別れの物語に、Mr.Childrenスピッツ安室奈美恵GLAYなどの時代を彩った名曲が盛り込まれていて、これはずるいと涙ぐみながら思わずにはいられません。
だって全部知ってる曲だから、いや知ってるどころか全部歌えるんだから。


そんな「ある世代」(就職氷河期世代、ということになるのでしょうか) を完全に狙い撃ちに来ているあざとさが感じられるのは否めませんが、青春小説としてもちゃんと質が高くて面白いのが本作の魅力です。
描かれるいくつかの恋模様は、どれも十分に甘くて切なくて、等身大の高校生の恋愛で好感が持てます。
男同士の友情はちょっとバカっぽくて、でも最高に楽しそうで、若さゆえの体力任せの冒険譚に笑みがこぼれてきます。
進路選択でいきなり人生の岐路に立たされる戸惑いも、親への反発と感謝が入り交じる複雑な感情も、かつて高校生だった大人にとって経験あるものばかり。
こみあげてくる懐かしさで何度も胸がいっぱいになりました。
高校生は大人と子どものちょうど境目の時期です。
恋は叶わない、それどころか相手に気持ちを伝えることすらままならない。
いちばん距離が近いはずの家族ですら価値観や考え方が違っていて、時に理解しあえずぶつかってしまう。
進路は思い通りにはならない。
――要するに、人生は全然うまくいかない。
そういうことがだんだん見えてきて、厳しい現実と向かい合わざるを得なくなって、それでもうまくいかないもどかしさとどうにか折り合いをつけて生きていく方法を身につけていく、それが高校時代なんだな。
そんなことを再確認した作品でした。


最終話は令和元年、創立100周年を迎えたハチコーの記念行事に卒業生たちが集まって、各話の登場人物たちのその後を知ることができるというのも心憎い演出でした。
人生の後半戦に入ってから突然新しい扉が開くラストシーンも希望に満ちています。
激動の平成時代前半の世相、当時流れていた懐かしい音楽、歴代の生徒たちにそっと寄り添う愛らしい白い犬。
そのすべてに見事に心を撃ち抜かれてしまいました。
☆5つ。