tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『東京ホロウアウト』福田和代


夏季オリンピック開催間近の東京で、新聞社に「開会式の日、都内を走るトラックの荷台で青酸ガスを発生させる」という予告電話がかかってきたのが、すべての始まりだった。直後、配送トラックを狙った予告通りの事件が次々と起こる。さらには鉄道の線路が破壊され、高速道路ではトンネル火災が発生。あちこちで交通が分断され、食料品は届かず、ゴミは回収されないまま溜まり続け、多くの人々がひしめく東京は陸の孤島に――。 この危機から東京を救うため、物流のプロである長距離トラックドライバーたちが、経験と知恵を武器に立ち上がる!単行本刊行時に「現実とシンクロする、物流崩壊の危機を描いたサスペンス」として反響を呼んだ話題作、加筆修正を経て待望の文庫化!

福田和代さんは以前に『TOKYO BLACKOUT』という作品を読んだことがあり、これは鉄塔や発電所を狙ったテロ事件により関東圏の電力供給がひっ迫するという物語でした。
2011年の夏、まだ東日本大震災の記憶が新しい頃に文庫化され、東京での輪番停電の実施など、物語の展開が現実に日本で起こったことと驚くほどリンクしていて、作者のまるで予知能力を持っているかのような先見の明に感嘆しました。
そして本作では、オリンピックの開催を直前に控えた東京で、物流を狙ったテロが起こります。
単行本の刊行時には単純に物流の危機を描いた作品だったものが、今回の文庫化にあたって舞台を2021年に変更、コロナ禍によりオリンピックが1年延期になったという現実が物語に反映されました。


とはいえ、コロナ禍は本作のメインテーマではないので、感染拡大の危機についてはほとんど触れられることなくあっさりしています。
福田さんが描きたかったのは、物流がいかに社会の維持にとって重要かということ。
テロ事件の犯人が的確に物流の急所を狙って攻撃していく展開に、背筋が寒くなる思いでした。
物流が止まるとどうなるか?
まず、スーパーやコンビニなどの小売店に商品が届かなくなります。
入荷がなければ売るものがない、そして、早く買いに行かなければ何もなくなってしまうと、あくまでも注意喚起のつもりでSNSにお店の棚の空き具合が投稿され、善意によってそれが拡散されていき、ますます食料品や日用品などの在庫がなくなるという悪循環が起こります。
その様子が、まるでテロ犯人と善意の一般人の連係プレーのようで、意図しないものとはいえ空恐ろしさを感じました。
そういえば昨年、コロナ禍初期の頃に、マスクはもちろんトイレットペーパーや生理用品、ウェットティッシュなど、さまざまなものが買い占めによって店頭から一時的に姿を消しましたが、この騒動も一般人によるSNSの投稿と拡散によって煽られたものでした。
SNSは正しく使えば非常に便利で、今や現代人の生活に欠かせないものになっていますが、時々こうした「暴走」のようなことが起こるというのは誰しも実感があるでしょう。
自分もいつ騒動を拡大させる側に回るかわからない、よかれと思ったことが悪意を持った人に利する行為になりかねないということは、肝に銘じなければならないと痛感させられます。


けれども、テロ事件から始まる騒動を収束させていくのもまた、一般人の力でした。
物流の現場で働くトラックドライバーたちは、「自分たちは単にモノを運んでいるわけじゃない」と、東京圏を襲った危機に対して敢然と立ちあがり、協力し合ってなんとか他地域からの食料品をはじめとする物資を届けようと奮闘します。
ガソリン代が自腹だったり、深夜や早朝にも運転しなければならなかったりと、ハードで待遇的にも決して恵まれない職業ですが、誇りをもってモノを届けようとする姿に胸が熱くなりました。
ちょっと意外な「役割」についても触れられており、トラックドライバーのイメージが少し変わります。
そして、当たり前ですが社会を支えているのはトラックドライバーだけではありません。
届いた商品を売るスーパーやコンビニの店員、物流企業のバックヤードで働く人たち、ITで物流を支えるエンジニア、正しい情報をつかんで報じる新聞記者、市民の安心安全を守る警察官や警備員など、さまざまな職業の一般人たちが登場して、ともに危機に立ち向かいます。
この社会で働く人たちは、末端であってもみな社会を動かすために必要な仕事を担っていて、それぞれが日々の職務をこなすことで豊かで安全な社会が守られるのだなと思うと、自分も頑張らねばという気持ちにさせられました。


ラストはハッピーエンドに見せかけて、実は解決されていない問題がひとつ残る、というのがまたうまい終わり方になっています。
その解決されない問題は、今、そしてこれから、私たち日本社会に生きる者全員で立ち向かっていかなければならない課題なのです。
物語はまだ終わっていない、これからも考え続け、真の解決に向けて努力していかなければならないのだというメッセージをしかと受け取りました。
現実に肉薄したサスペンスとして、ごく普通の一般人の仕事ぶりを描くお仕事小説として、非常に読み応えある作品です。
☆5つ。




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2021年8月の注目文庫化情報


夏真っ盛り!――ですが、いろいろな意味で外を出歩くのは危険なので、やはりおうちで読書が一番じゃないかなあと思う今日この頃です。
今月の文庫新刊は本屋大賞ノミネート作をはじめとしてなかなかバラエティに富んでいますね。
加納朋子さんの新作が読めるのは本当にうれしいし、ずっと文庫化を待っていた『リバーサイド・チルドレン』がようやく読めるのもうれしい。
川上未映子さんはツイッターはときどき拝見しているのですが作品を読んだことがないので、この機会に挑戦してみたいです。
とにかく暑いので、家で読書するにしても熱中症に気をつけて、水分補給しながら楽しみたいと思います。

『昨日がなければ明日もない』宮部みゆき


宮部みゆき流ハードボイルド」杉村三郎シリーズ第5弾。
中篇3本からなる本書のテーマは、「杉村vs.〝ちょっと困った〟女たち」。
自殺未遂をし消息を絶った主婦、訳ありの家庭の訳ありの新婦、自己中なシングルマザーを相手に、杉村が奮闘します。

現在も続いている宮部さんのシリーズものの中で、続編の刊行を最も楽しみにしているのが「杉村三郎」シリーズです。
『誰か somebody』『名もなき毒』『ペテロの葬列』の3作では、大企業グループ今多コンツェルンの会長の娘と逆玉の輿婚をしてかわいい一人娘に恵まれた杉村が、今多コンツェルンの広報室で編集者として働きながらさまざまな事件に遭遇する様子が描かれました。
『ペテロの葬列』のラストでの思わぬ急展開を経て、離婚し今多コンツェルンを離れた杉村が探偵事務所を開設する『希望荘』、そしてそれに続くのが本作『昨日がなければ明日もない』です。
『希望荘』は最初の3作からのつなぎという位置づけなので、実質的には本作が初めて杉村の私立探偵生活を本格的に描いた作品と言えるでしょう。
そしてその私立探偵生活は、なんとも苦く、悲しく、やるせないものでした。


本作は3つの作品からなる中編集です。
1話目「絶対零度」は、杉村探偵事務所を訪れた上品な夫人が、娘が自殺未遂を起こし入院したが、娘の夫が娘との面会や連絡をとることを許してくれない、と相談します。
杉村が調査を進めると、娘の自殺未遂騒ぎには、彼女の夫の大学時代の先輩とその仲間が関わっているらしいということがわかってくるのですが、一旦調査が完了したと思った先に判明した真相は、あまりにもおぞましく醜悪なものでした。
なんとも後味の悪い結末ですが、日常の、本当に普通の人たちのすぐそばにある悪人や悪意を描くという点では非常に宮部さんらしい話です。
この話に登場する悪人は、最初は体育会系にありがちなパワハラ気質だけのようにも思えたのですが、それがエスカレートした結果、パワハラを超えて完全な犯罪へと変容してしまいます。
そうなる前に誰かが止めることはできなかったのかとやるせなく思いますが、これは杉村も同じ思いを抱いていたはずで、杉村が調査をして結果的に真相を知ることになっても、依頼人を救ったり犯罪を未然に防いだりすることはできない「ただの私立探偵」にすぎないということが、1話目にして強烈に示されたことが印象的でした。


2話目「華燭」は打って変わってスラップスティック・コメディ風になっています。
杉村がお世話になっている大家さんの紹介で、中学3年生の女の子が親戚のお姉さんの結婚式に出席するのに付き添うことになるのですが、その結婚式と、その日同じ会場で行われる予定だった別の結婚式が、それぞれ土壇場で中止になるという騒動を描いた話です。
結婚式当日に新規オープンしたばかりの高級ホテルで起こる騒動が、基本的にはコミカルに描かれるのですが、どうしてそうなったのかというところが明らかになってみると、これまたけっこうえげつない真相でした。
犯罪ではないけれど、男女関係、そして家族関係のドロドロ具合に胸やけがしてきます。
それを全てではないにしろ、中学生の女の子が知ってしまうことになるのですから、容赦がありません。
とはいえ、これも人生経験の一部、と思えば、1話目のような読後感の悪さはありませんでした。


そしてラストが表題作「昨日がなければ明日もない」です。
このタイトルに、私は希望を感じさせるような物語を連想していました。
ところがどっこい、読後感の悪さは1話目の「絶対零度」を上回ります。
奔放で派手な女性が、離婚して今は別居する小学生の息子について「命を狙われている」という相談を杉村探偵事務所に持ち込みます。
人の話を聞かず、感情の起伏が激しいこの女性に、最初から好感は持てませんでしたが、杉村が調査を進めていくうちに彼女の厄介さがどんどん明らかになっていきます。
そして、彼女の厄介さが引き起こす悲劇はまたしても、杉村の調査がすべて完了したと思ったその先にありました。
このシリーズでの杉村の役割は、徹底的に無力でヒーローでも救世主でもない「ただの私立探偵」である、ということが再度強調されます。
つまり、探偵が主人公でも本格ミステリに登場する名探偵とは程遠いし、謎解きによるカタルシスを狙うものでもない、というのがこの「杉村三郎」シリーズの特徴なのです。
それがはっきり示されたことで、本シリーズの方向性も明確になったのだろうと思います。


今後のシリーズにも重要人物のひとりとしてかかわってきそうな警部補の登場も印象的でした。
シリーズが何を描いていこうとしているのかがはっきりしてきて、役者もだんだん揃ってきて、この先、読み応えたっぷりの長編大作が発表されそうな予感がします。
今後の展開への期待が高まったシリーズ5作目でした。
☆4つ。




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