tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『危険なビーナス』東野圭吾

危険なビーナス (講談社文庫)

危険なビーナス (講談社文庫)


独身獣医の伯朗のもとに、かかってきた一本の電話―「初めまして、お義兄様っ」。弟の明人と最近、結婚したというその女性・楓は、明人が失踪したといい、伯朗に手助けを頼む。原因は明人が相続するはずの莫大な遺産なのか。調査を手伝う伯朗は、次第に楓に惹かれていくが。恋も謎もスリリングな絶品ミステリー。

帯などを見ると、作品の「恋愛」部分が強調されているように感じましたが、どちらかというとミステリ色の方が強いかなと思いました。
主人公の職業が獣医師のため動物に関するうんちくが出てきたり、医学や数学の話が謎解きに関わってきたりする点は、いつもの東野さんらしい理系ミステリという印象で、ファンにはうれしい1冊です。
もちろん、リーダビリティの高さも、ストーリー展開のテンポのよさも、程よい読み応えも、さすが東野さんといえるレベルで、安心して楽しめます。


主人公である伯朗の弟・明人の失踪から始まる謎解きは、物語が進むごとに謎が増えていくため、先が気になってどんどん読まされます。
明人の失踪に関わりがあると疑われるのが、伯朗の母親の再婚相手であり、明人の実父である康治を当主とする矢神家の人々なのですが、これがまた怪しい人だらけであれこれ推理したくなります。
なんとなくテレビの2時間ドラマのような雰囲気もあり、登場人物のキャラクターがみな立っているので、映像化された場合のキャスティングを想像しながら読むのも楽しいだろうなと感じました。
私はあまり俳優さんを知らないせいで、うまく脳内でキャスティングができないのですが、ドラマ好きの人ならきっと楽しめると思いますし、実際に映像化もそのうちありそうな気がしています。
東野さんの作品が読みやすいのは、このように物語が映像的だからなのでしょうね。
謎解きも真相の隠し方がうまいので展開が読みにくく、かなり終盤まで先が気になって仕方ないという状態が続くのがよかったです。
真相の判明によりちょっと切なさや悲しさを漂わせたかと思いきや、最後はコミカルな雰囲気で明るく終わるのも、気持ちのよい読後感につながっています。
特に作者の社会的な主張などがある作品ではないので、そういう意味では重みに欠ける作品ではありますが、重厚な社会派ミステリだけではなく、気軽にさらりと読めて万人受けする軽めのミステリも書けるのは東野さんの強みのひとつですね。


作品紹介において強調されている印象の恋愛面に関しては、主人公の伯朗の視点で描かれていることもあって、完全に男性目線です。
伯朗は「惚れっぽい」性格として描かれていますが、女たらしというわけではなく、むしろあまりモテなさそうなタイプで恋愛経験も多くなさそうだという印象を受けました。
失踪した弟の明人と結婚したばかりであるという魅力的な女性・楓に惹かれていきますが、根が真面目な性格なのか、自制心を保ち続けるところは好印象です。
ただ、どんどん楓に対する執着心を募らせて、彼女に近づく男に嫉妬したりするようなところは少々気持ち悪いとも感じられましたし、自制心を持ってはいても恋心が周りにバレまくっているところはなんだか滑稽です。
総じてあまりかっこいいとはいえない男性で、東野さんの代表作シリーズの探偵役である加賀や湯川といった人気キャラクターとは全く異なるタイプの人物でした。
女性としては好きになりづらいタイプの主人公ですが、男性にとってはどうなのでしょう。
加賀や湯川だとかっこよすぎて、伯朗のような主人公の方が共感できるのでしょうか?
女性の私としては、男性の感想を聞いてみたいと思いました。


この前に読んだのが (『戦場のコックたち』) 重めの作品だったこともあり、ちょうどいい軽さが心地よく読めました。
明人視点や楓視点の話でも面白いのではないかと思ったので、スピンオフとしてどうでしょうか、東野さん。
☆4つ。

2019年10月の注目文庫化情報


10月になったのにまだ暑いですね。
一体どういうことでしょうか。
一刻も早く秋らしい気候になって、読書の秋を満喫できるようになることを願います。


さて、今月はもう、これしかないでしょう!という今年の大本命がついに登場。
そう、「十二国記」シリーズの新作です。
なんと18年ぶりの新作だそうで、もうその間に流れた時の長さを思うだけで泣けますね。
実際に本を手にしたら、またいろんな思いがこみ上げてくるんだろうなと思うと、今から楽しみなような、ちょっと怖いような……。
ですが、今月発売されるのは、全4巻のうちの半分だけ。
残りの2巻は11月に発売です。
こういう場合、はやって1巻と2巻を読んでしまうと、続巻が待ちきれなくて非常につらい思いをすることになるので (別の作品で経験済み)、ここは早く読みたいところをぐっとこらえて、3巻と4巻も手元に来てから読み始めたいと思います。
ああ、早く読みたい!!

『戦場のコックたち』深緑野分

戦場のコックたち (創元推理文庫)

戦場のコックたち (創元推理文庫)


1944年6月6日、ノルマンディーが僕らの初陣だった。コックでも銃は持つが、主な武器はナイフとフライパンだ――料理人だった祖母の影響でコック兵となったティム。冷静沈着なリーダーのエド、陽気で気の置けないディエゴ、口の悪い衛生兵スパークなど、個性豊かな仲間たちとともに、過酷な戦場の片隅に小さな「謎」をみつけることを心の慰めとしていたが……『ベルリンは晴れているか』で話題の気鋭による初長編が待望の文庫化。直木賞本屋大賞候補作。

手に取るとずっしり重く分厚い1冊ですが、中身の方もかなりの重みと厚みがありました。
初めて読んだ作家さんですが、キャリアは短いながら、文章も内容もベテラン作家にも負けない実力を感じさせるもので、あっという間に物語に引き込まれました。
さまざまな賞の候補にあがり、年末恒例のミステリランキングに顔を出したのも納得の大作です。


そもそも私が本作に対して一番興味をひかれたのは、「日常の謎」を扱うミステリだという点でした。
北村薫さんや加納朋子さんなど、「日常の謎」の名手と呼ばれる作家さんたちが好きでずっと追ってきていますが、この作品は今まで読んだどの「日常系ミステリ」とも毛色が違っていました。
日常系ミステリというと、殺人事件が起きず、したがって優しい作風の穏やかなミステリという印象を持たれがちですが (実際のところそうでもないと思いますが)、本作はまったくそのような印象には当てはまりません。
なにしろ舞台が戦場で、謎解きをするのは戦闘に明け暮れる兵士たちなのです。
殺人事件は起きなくとも、人は殺し殺されまくっていて、殺人事件よりもひどい非人道的な行為すら存在します。
そんな「非日常」の場が、主人公であるティムをはじめとする兵士たちにとっては、紛れもない「日常」であるということ。
一体「日常」とは何なのかと、いままであまり考えたことのないことを、考えずにはいられませんでした。
もともとは家族や友人たちとともに平穏な日々を過ごしていたはずのティムたちが、戦場と戦いに慣れていくうちに、負傷しても早く戦場に戻りたくなるというくだりにはハッとさせられます。
ティムは志願して兵士になったものの、別に人を殺したいと思ったわけでもなく、戦いが好きなわけでもないでしょう。
それでも彼らにとっては戦場こそが自分の居場所であり、日常なのだから、そこに戻りたいと思うのは当然なのかもしれません。
「日常」の中身をまったく異なるものに変貌させてしまう戦争の恐ろしさに改めて震撼するとともに、それを「日常の謎」というミステリの一ジャンルによって描き出すという作者の発想に感嘆しました。


主人公ティムの「コック兵」という役割についても、私にとっては知らなかったことばかりで、大いに好奇心をかきたてられました。
コックというからには調理がメインの仕事なのかと思いきや、決して後方支援というわけではなく、前線に出て他の兵士たちとともに戦うというのも、私にとっては驚きでした。
他の兵士たちと同じように命がけで戦っているのにもかかわらず、コック兵は他の兵士から見下されがちというのはなんだか理不尽なように思われて、ティムの気持ちになってムカッとしたりしました。
戦場で具体的にどんなものが食べられているのかについての描写もたいへん興味深く読みました。
意外とおいしそうと思えるものもあれば、これはちょっと……というものも。
もちろん戦場なのですから食材は限られ、味よりもいかにして兵士に必要な栄養分やカロリーを摂取できるようにするかが重視されるわけです。
どちらかというと、「料理」というよりは、あまりいい表現ではありませんが「エサ」に近いのかもしれません。
謎解きの題材のひとつにもなっている「粉末卵」には、そんなものがあるとはと驚きました。
味はひどいもののようですが、どんなものだか見てみたいですね。
ですが、いかに食材が限られていようとも、調理をしたものを食べるということが、兵士たちには何より大切だったのではないかと思います。
「料理を作る」「料理を食べる」という行為は、単に生命維持のためだけではなく、人間が人間らしくいられるために必要な行為なのではないかと思うのです。
終盤のある場面で、ティムがさまざまな料理のレシピを声に出して暗唱するのですが、特に悲しい場面ではないのになぜだか泣けて泣けて仕方ありませんでした。
ティムにとって、調理は自らの仕事であるだけでなく、家族との思い出に結びついたものでもあります。
故郷から遠く離れた戦地で、コック兵として他の兵士から見下されながらも、料理こそがティムの心の支えになっていることが、何よりも心に強く響きました。


兵士たちの人間関係や、戦場の厳しさ、ナチスドイツの残虐さなど、ほかにも読みどころ満載で、お腹がいっぱいになる1冊です。
細かく丁寧な描写のおかげで、なじみのない題材でも読みやすく、謎解きについても新鮮味たっぷりの「日常の謎」を満喫しました。
同じ作者のほかの作品もぜひ読んでみたいです。
☆5つ。
ところで、終盤にティムがある人物についての「秘密」を知ることになるのですが、この「秘密」の具体的な内容については明言されず、最後まで謎のまま残ります。
「その人物が〇〇であること」ということでいいのかな……?