tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『アイネクライネナハトムジーク』伊坂幸太郎


妻に出て行かれたサラリーマン、声しか知らない相手に恋する美容師、元いじめっ子と再会してしまったOL……。人生は、いつも楽しいことばかりじゃない。でも、運転免許センターで、リビングで、駐輪場で、奇跡は起こる。情けなくも愛おしい登場人物たちが仕掛ける、不器用な駆け引きの数々。明日がきっと楽しくなる、魔法のような連作短編集。

とても伊坂さんらしい連作短編集です。
収録された短編は、すべてがどこかでつながっています。
ある話に登場した人物が、今度は別の人物の話に登場したり、同じエピソードが異なる視点から語られたり。
単につながっているというだけではなく、「おや、こんなところにさっきのあの人が」というような意外性をはらんでいるところが、ミステリ的な面白さも生み出しています。
そうやってつながっていく物語は、最後の一編「ナハトムジーク」で全てのエピソードがひとつの結末に向かって収束していきます。
そのため、短編集としての読みやすさと、長編のような読み応えの両方を兼ね備えているのが、連作短編集としての本作の強みであり魅力です。


元はと言うと、この作品集は伊坂さんと歌手の斉藤和義さんとのコラボから始まっているのですね。
最初の2編「アイネクライネ」と「ライトヘビー」が斉藤さんとのコラボ企画で書かれた作品です。
特に「ライトヘビー」では、路上に占い師のように構えていて、客に合った曲を選んでその一節をパソコンから流すというちょっと不思議な男性が登場するのですが、その曲というのがすべて斉藤和義さんの曲で、物語の中に自然な形で斉藤さんの曲の歌詞が引用されています。
伊坂さんご自身が斉藤さんのファンとのことですから、きっと伊坂さんが好きな歌詞が使用されているのだと思いますが、これがどれも伊坂さんが創った物語に合っているだけでなく、歌詞単体をとってみてもいいなぁと思わせる歌詞ばかりで、あまり斉藤和義さんの曲をよく知らなかった私も、読んでいるうちにだんだん興味を引かれてきました。
これはきっと斉藤さんのファンの方にとってはうれしいことではないかなと思います。
そのわりにあまり斉藤さんとのコラボについてはアピールされていないのがもったいない気がしますが、いろいろ大人の事情もあるのでしょうか。
伊坂さんの作品は音楽との関わりが深く、今までもビートルズボブ・ディランなどさまざまなアーティストの音楽が作中に登場してきましたが、今回は公式のコラボということで一歩踏み込んだ関係性になっています。
それでいてコラボ色が強すぎることもなく、斉藤和義さんのことを全く知らない人でも問題なく「伊坂幸太郎の小説」として楽しめるところがいいですね。


収録作品はどれも後味のよい話ばかりだったのもよかったと思います。
ブラックなものや読後感の悪い話も、それはそれで楽しめるのですが、そればかりだと疲れてしまいます。
今回のテーマは「偶然の出会い」でしょうか。
どの物語にも、偶然の出会いと、その出会いがもたらすささやかな幸福が描かれています。
「運命」や「奇跡」などといった大仰な言葉で表されるようなものではなく、本当に日常の、ちょっとした偶然で出会った人たちの人生が、少しずつ明るい方へ向かっていく。
夫婦関係に暗雲が立ち込めているだとか、昔自分をいじめていた人物に再会してしまったとか、仕事に追われて出会いがなく恋人ができないだとか。
なかなかうまくいかないことも多い人生に、ちょっとした偶然がほのかな光になって射し込んでくるという物語は、読んでいて気分がよかったです。
そういうささやかな偶然なら、なんてことのない平凡な自分の人生にも起こるかもしれない、と思えますからね。
なんだか伊坂さんからエールをもらったような、あたたかい気持ちになれました。
☆4つ。