tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ねじの回転』恩田陸

ねじの回転 (上) FEBRUARY MOMENT (集英社文庫)

ねじの回転 (上) FEBRUARY MOMENT (集英社文庫)


ねじの回転 (下) FEBRUARY MOMENT (集英社文庫)

ねじの回転 (下) FEBRUARY MOMENT (集英社文庫)


過去を変えることはできるのか。
人類を悲惨な運命から救うため、時間遡行装置による歴史の介入点に選ばれた1936年2月26日、東京。歴史を修正すべき安藤大尉には別の思惑が…。渾身の歴史SF長編!

恩田陸さんの頭の中って一体どうなっているのでしょう?
一度のぞいてみたいです。
きっとものすごく広い世界が広がっているのでしょうね。
書きたいことがあとからあとから湧いてくるのではないでしょうか。
恩田さんの作品を読むと、いつもそのとてつもなく広大な世界に放り込まれて、恩田さんの思いのままに操られているような気分になります(笑)
この『ねじの回転』もそんなお話。
国連が過去の歴史に介入し、未来を変えようとする…とこれだけ書くとけっこうありがちなSFのようにも思えますが、「シンデレラの靴」といった時間遡行の機械のアイディアや、歴史への介入の代償として未来の世界に広まった「HIDS」という恐ろしい病気の話など、かなり独特な想像力がなければ思いつけないようなものがたくさん出てきます。
一つ新たな見慣れぬ(聞き慣れぬ)ものや概念が登場するたび、恩田さんの想像力の豊かさには舌を巻かずにはいられません。


ですが私にとってこの作品で一番心惹かれたのはSF部分ではなく、恩田さんのシビアでまっすぐな歴史観と人間観でした。
二・二六事件という歴史的な大事件を扱ってはいますが、この作品はむしろ歴史小説というよりは、"after 9/11"の世界(つまり現代)を描いた作品であるように思います。
時間を遡って歴史を変えるというようなことが可能かどうかというのは問題ではなく、恩田さんがSF的題材を使って描きたかったのは、過去と未来に対する現代の人間の考え方であったり、態度だったのではないでしょうか。
だから恩田さんは、日本人が過去に犯した過ちについても容赦なくその罪を糾弾するのです。

国民も、軍に全ての罪をかぶせて頬かむりをした。日露戦争の熱狂や、三国干渉への罵倒はそんなに昔のことではない。彼らは世界からの非難を恐れ、反省することも厭って、ひたすら全てを忘れたがった。ホラ、私たちはこんなに軍隊が嫌いです。私たちは兵隊さんに騙されていたんです。もう銃は持ちません。銃を使うのが上手なアメリカさんに守ってもらうことにしましたから。


『ねじの回転・上』137ページ 7-11行目

私たちがこれまで見聞きしてきた、太平洋戦争に対する責任の所在というのは、ほぼいつも「軍部」だったのではないでしょうか。
けれども恩田さんは、引き金を引き、国民を煽ったのは確かに軍部であり一番の戦争責任者であるのだけれども、その軍部が作った雰囲気に呑まれ、多数派の尻馬に乗った一般国民にも大いに戦争責任があったと言っているのです。
そう言い切ってしまうのは酷なようにも思えます。
けれどもほんの少しでも、海の向こうから伝えられる日本軍の活躍に胸を躍らせたのなら、アジアの人々に対して優越感を覚えたのなら、やはり一般国民にも全く責任がなかったとは言い切れないのも事実ではないかと思うのです。
日本が戦後60年経ってもいまだにアジア諸国から反省と償いを求められ続けるのも、一般国民に「自分たちが戦争を起こした」という戦争責任に対する自覚がないからなのかもしれません。
「歴史というものは、時の権力や神などによって作られるのではない。その時そこに生きている全ての人が作るのだ」と恩田さんが言っているように、私には感じられました。
時間遡行の技術があっても、結局歴史はそう簡単に変えられるものではないし、変えてよいものでもありません。
けれども、一人一人が「歴史を作るのは自分たちだ」という意識を持っていれば、大きな歴史の転回点において、少しでも「マシな」選択肢を選ぶことはできるのかもしれません。
ラストで明らかになる、国連が二・二六事件に介入した真の「理由」に、私は身の毛がよだつような恐怖を感じました。
時間を遡って歴史を変えるという空想上の技術に対し、その「理由」にはあまりにリアリティがあったからです。
歴史とは何か、歴史に対して人間はどうすべきなのか。
久々にずしりと重く胸に響く小説に出会えてうれしく思いました。
☆5つ。