tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『マイクロスパイ・アンサンブル』伊坂幸太郎


付き合っていた彼女に振られた社会人一年生、どこにも居場所がないいじめられっ子、いつも謝ってばかりの頼りない上司……。でも、いま見えていることだけが世界の全てじゃない。知らないうちに誰かを助けていたり、誰かに助けられたり。残業中のオフィスで、事故現場で、フェス会場で、奇跡は起きる。優しさと驚きに満ちた現代版おとぎ話。

一年目、二年目、三年目……と1年ごとに7年間のお話が続く連作短編集です。
なんだかちょっと変わった形式だな?と思ったら、猪苗代湖で開催されている音楽フェス「オハラ☆ブレイク」で配布された小冊子に2015年から2021年まで掲載された書き下ろし小説をまとめて1冊にしたのが本書とのこと。
音楽フェスで小説が読めるというのがまず面白いし、毎年参加する人は連載小説のように楽しめるという仕組みも楽しいですね。
作中にも猪苗代湖はもちろん、小原庄助、起き上がりこぼしといった会津ゆかりのあれこれが登場し、現実のフェスとリンクしています。
さすがに猪苗代湖は遠すぎますが、俄然イベントにも興味を持ちました。


物語は2つの世界の話が交互に進みます。
ひとつは松嶋という名の若い男性が視点人物の、現実の日本でのお話。
「一年目」ではまだ大学生で就職活動中だった松嶋が、「二年目」では就職しており、「三年目」以降、年が進むにつれ公私ともにさまざまな変化を経験していきます。
一方、もうひとつは日本ではないどこか別の場所の、エージェント・ハルトとハルトに救われた少年の視点から描かれる話です。
何やら戦いをしているちょっと物騒な世界ですが、読み進めると現実世界のパラレルワールドのようなもので、松嶋が生きる世界と時々つながるらしい、ということがわかってきます。
現実世界と異世界がクロスオーバーする構成は伊坂さんらしい気がしますね。
松嶋の物語の方は、年が進むにつれて松嶋の成長が感じられるのがよかったです。
社会人になって、ひどい失敗をして、素敵な出会いがあって。
もちろんいいことばかりではなくて、パワハラ気質の偉いさんが引き起こしたトラブルについて先方に謝罪に行くなんていう、いかにもサラリーマンらしい (?) 仕事も経験しています。
そういう若手サラリーマンの成長小説が、異世界ファンタジー小説と融合しているのが楽しいです。
エージェント・ハルトの世界は戦いをしているだけあって物騒ですし、ピンチの場面も多いのですが、なんだかんだとちょっとした「奇跡」が起きて助かるので、途中からは安心して読めるようになりました。


その「奇跡」は松嶋の世界とのつながりによってもたらされるのですが、猪苗代湖がそのつながりの場になっています。
「オハラ☆ブレイク」のために猪苗代湖にやってきた音楽フェス参加者が、猪苗代湖猪苗代湖が舞台の作品を読む。
フェスというのはお祭りなので、そういった遊び心は大事です。
自分が今いるこの場所は、もしかしたら異世界につながっているのかも、なんて想像するのは楽しいですし、フェスの非日常感にもぴったりでしょう。
松嶋の世界とエージェント・ハルトの世界は一体どんな理屈でどうしてつながっているのか、なんてそんな野暮なことは言ってはいけません。
こちらの世界での誰かのささいな行動が、あちらの世界で誰かを助けたり、さらにめぐりめぐってこちらの世界の誰かを救ったりする。
そんな小さな奇跡の連鎖が気持ちいい連作短編集でした。
TheピーズTOMOVSKYの曲の歌詞があちこちに引用されているので、彼らの音楽の一部が小説化されたような作品とも言えるかもしれません。
☆4つ。
「オハラ☆ブレイク」は今も続くイベントですが、どうやら伊坂さんの小説が載った小冊子の配布はもう行われていない模様。
ちょっと残念です。